67:忘れ去っていた

 全員が美味しい葡萄を心ゆくまで食べ、貰った分をリュックにしまい帰り支度をし始めた時。

 空はハッと大事な事に気がついた。

「ばぁば、フクちゃんがいない!」

「え? あら、そういえば……一緒に来てたはずよね?」

 首を傾げる雪乃と一緒に、空は朝からここまでの事を思い返した。

 朝家を出て亀バスに乗り、降りた時までは確かにフクちゃんは一緒だったと思う。

 しかし葡萄畑に空が駆け込んだ時に、側にフクちゃんがいたかどうかは憶えていなかった。初めて葡萄が実るところを見て夢中になり、その存在をすっかり忘れていたのだ。

「ど、どうしよう!」

 自分の周りを見回しても白い小鳥の姿は見えない。空は急いで立ち上がって畑の外へと向かおうとした。

「そら、どしたの?」

「え、フクちゃんどこかいっちゃったの?」

 慌てる空に明良たちもついて行く。雪乃らも慌てて後を追い、全員が畑の入り口から外に出て、辺りを見回した。

「フクちゃん、フクちゃーん!」

 空が呼ぶが、姿も見えないし声も聞こえない。皆も植え込みを覗いたり、木の上を見上げたりしてくれたが、フクちゃんは見つからなかった。

 肩を落とす空を見て、しばらく考えていた圭人がぽつりと呟いた。

「確か、小さな鳥だったよね? ここにいないとなると、もしかしたら裏かもしれないな」

「うら?」

「あっ、ニワトリのとこ? じゃあじーちゃんならしってるかも!」

「うん。空くん、うちは裏でニワトリを飼ってるんだよ。もしかしたらそこのニワトリが連れてったのかもしれないから、見に行ってみる?」

「うん!」

 連れて行った、というのが良くわからないが空は大きく頷いた。とりあえず周囲をもっと探さなければいけないのは確かなのだ。

「じゃあ、皆で行こうか。こっちだよ」

 圭人と勇馬に先導され、畑や作業小屋の脇を通って沢田家の裏手へと向かう。

 空は逸る気持ちを抑えながら、精一杯の早さで後を追った。


「わぁ……とり、いっぱい……」

 沢田家の裏手は、所々地面の見える広い草地になっていた。敷地の奥に大きな平屋の建物があって、それが鶏舎らしい。敷地の外側はしっかりとした塀で区切ってある。

 その敷地内を沢山の平飼いの鶏たちが自由に闊歩し、地面を突いたり走り回ったり、木陰でのんびりしたりと思い思いに過ごしている。

 空はその鶏たちを珍しく思いながらも、その中に小さな鳥が混じっていないかとキョロキョロと一生懸命見回した。

「空くんの鳥はいないかな? そしたら……父さーん、いるー?」

 フクちゃんの姿がないのを見て取って、圭人は小屋に向かって大声で呼びかけた。すると、おう、とどこからか大きな声が返ってきた。

「じーちゃん!」

 奥の建物から誰かがのっそりと姿を現し、それを見た勇馬が声を上げる。

 出てきたのは、圭人の父であり勇馬の祖父であり、この鶏たちの管理をしているらしき人物だった。空はその人を見てぽかんと口を開いた。


「そら、あれオレのじーちゃん!」

 紹介されたのは幸生と同じくらい大きく逞しい人だった。じーちゃん、という割に年寄りにはちっとも見えない。幸生もそう年寄りっぽくもないが、勇馬の祖父はもっとすごい。何しろその頭が何だかすごいのだ。

「ユウマのじーちゃん、かっこいいあたまだなー!」

「すっごいたってるね……」

「すげー真っ赤だな!」

 子供たちが口々に感想を述べる。

「と……とさか?」

 そう、勇馬の祖父は、まるで雄鶏のトサカのような派手な赤いモヒカンという髪型だったのだ。ソフトなそれではなく、バリバリにハードな方だ。頭の中央に真っ赤な髪を逆立て、その両脇はつるりと剃り上げている。

 服装も派手な柄のTシャツと迷彩柄のハーフパンツで、非常に若々しい。しかしその格好の全てが霞むくらいモヒカンのインパクトが強かった。


「こんにちは、佳鶏さん、お邪魔してますね」

「おう、いらっしゃい雪乃さん、美枝さん」

 カケイ、と呼ばれた勇馬の祖父は雪乃に挨拶をされ、その見た目とは裏腹ににこやかに手を挙げて軽く返した。

 そしてぞろぞろと連れ立ってきた一行を見回し、足下に駆けて来た勇馬に視線を落とす。

「どうした勇馬。なんかあったか」

「じーちゃん、あんね、そらのとりがいなくなっちゃったんだ! ちっさいしろいの! じーちゃんみなかった?」

「ちっさい白いの……どんくらいだ?」

「こ、このくらい! このくらいで、まるくて、しろいとり、です!」

 空が小さな両手を丸め、少し広げてフクちゃんの大きさを示す。その大きさを見た佳鶏は少し考え、見なかったな、と呟いた。

「フクちゃん……」

 空がしゅん、と肩を落とすと、佳鶏は慌てて手を横に振った。

「いやいや、坊主、がっかりすんな! 俺が見てねぇだけで、うちでいなくなったなら多分あそこにいるから!」

 そう言って太い指が指し示したのは、鶏舎のすぐ横にくっつくようにして建つ小さな小屋だった。

「あそこはヒヨコとかが居る場所なんだよ」

 佳鶏に手招かれ、皆でその小屋の前に移動する。

 低い位置にある戸を開けて貰って空が覗き込むと、そこには何羽かの雌鶏と、沢山のヒヨコが入っていた。孵化したてのような小さいヒヨコもいれば、もう少し大きくなってしっかりしたヒヨコもいるようだ。

 奥に穴が開いて鶏舎と繋がっていて、大きめのヒヨコはそこを出入りして駆け回っている。まだ小さいヒヨコは親鳥の側に群がり、積み重なって団子のようになってピヨピヨと鳴いていた。


「わぁ、かわいい!」

 可愛いものが好きな結衣が真っ先に声を上げる。

 しかしヒヨコの中にフクちゃんの姿は見えず、空はまた肩を落とす。しかしヒヨコたちをじっと見ていた佳鶏が不意にヒヨコ団子の中に手を伸ばした。

「よ、っと……これか?」

 ピヨピヨと抗議の声を上げるヒヨコたちの中をごそごそと探り、奥から何か掴んだ大きな手が戻ってきて、空の前に差し出される。

「ピェ……」

 その手に掴まれていたのは、大きな手でがっしり捕らえられて仰向けにされ、もう死ぬかも、みたいな色々諦めた顔をしたフクちゃんだった。

「フクちゃん!!」

「ピッ!? ピュルルルル!」

 空の声を聞き、その顔を見たフクちゃんが大喜びで囀る。佳鶏が手を開くと大急ぎで飛び出し、空の手の中に戻ってきて嬉しそうに羽ばたいた。

「よかったぁ……フクちゃん、おいてってごめんね!」

「ピピッ、ピピピッ!」

 優しく抱き寄せ謝る空の頬に、フクちゃんも身をすり寄せる。そんな一人と一羽を見て、周りの皆もホッとして顔を綻ばせた。

「ユウちゃんのおじいちゃん、どうもありがとう!」

 空がお礼を言うと、佳鶏は笑って首を横に振った。

「気にすんな。多分そいつがここにいたのはうちの鶏のせいだから……おっと、来たか」

 佳鶏がそう言って顔を上げた次の瞬間、コケコッコー! という高い鳴き声が辺りに響き渡った。

 声の方を皆が振り向けば、広場の端に雄鶏が一羽立っていた。立派な赤いトサカをした、白く肉付きの良い雄鶏だ。しかも、かなり大きい。

「あ、ボスがきた!」

 勇馬がそう叫ぶと、ボスと呼ばれた雄鶏は凄まじい速度でこちらへ駆けてくる。そしてその勢いのまま地を蹴り、ふわりと飛んだ。

 ヒヨコの小屋を開けて中から鳥を出した不埒者達に自慢の蹴爪で襲いかかろうと、鶏とは思えぬ巨体が軽やかに宙を舞う。

 しかしその爪が誰かに届く前に佳鶏が前に出た。佳鶏はすれ違いざまに僅かに身をずらして蹴爪を躱わすと、その白い首に腕を回し、反対側の手で羽の根元をむんずと掴んで、あっという間にボスを押さえ込んだ。

 押さえ込まれたボスがクケー! と抗議するような声を上げる。

「よーしよし、落ち着けボス。ありゃあ敵じゃねぇ。お前の子は皆無事だ、よく見ろ」 

 空は手の中のフクちゃんに視線を落とし、それからその手をボスによく見えるように前に出した。

「このこ、ぼくのフクちゃん! ひよこじゃないよ!」

「ピッ!」

「コケ……?」

 フクちゃんを見たボスが首を傾げる。しばらくキョロキョロしていたが、やがて納得したらしくボスは暴れるのを止め、大人しくなった。

「悪かったな、坊主。こいつは縄張りの巡回に熱心な上、こう見えて子煩悩でな……他人が来てる日なんかはヒヨコがうろうろしてると心配して回収して来ちまうのさ。そのくせあんまり細かい事に頓着しねぇもんだから、その小鳥も間違えて捕まえてきちまったんだろう」

「ピピッ!」

 フクちゃんはその通りだというように身を揺すった。

 フクちゃんは空を追いかけようとした時に通りすがったこのボスに突然咥えられ、しかし敵意がなかったためどうしていいかわからず小屋まで連れてこられてしまった。

 なまじ賢いために、自分のテリトリーじゃない場所で敵意のない相手と戦うことを躊躇ったのだ。その後は何故かヒヨコらに集られ、団子に埋まって動けなくなっていたのだった。

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