66:種まで美味しい。

 葡萄狩り……は叶わなかったが、その代わりに謎の接待競争をたっぷり受けた後。


「おいしーい!」

 葡萄棚の下に広げた敷物の上で、空はそう叫んだ。両手にはマスカットと巨峰を一つずつ持ってご機嫌だ。

「おいしいだろ、うちのぶどう!」

「うん!」

 勇馬が空の返事に嬉しそうに笑う。葡萄はどちらも本当に美味しかった。

 マスカットは皮が薄いのでそのまま食べられるのだが、歯触りがシャリッとしていて瑞々しく、甘みの中に酸味もあってさっぱりしている。種も食べられると教えて貰ったのでそのまま齧ったら、青い種は口の中でパチンと弾けてソーダのようにシュワッと消えていった。

 巨峰は雪乃に皮を剥いて貰ったが、香りや甘みが強くて濃厚な味わいだ。剥いた実は柔らかく、とろりととろけるように美味しい。こちらの種は噛むとそれだけカリカリした歯ごたえがあって、ナッツのように香ばしかった。

 種の存在意義とは、とちょっと不思議な気持ちになるが、美味しいならいいかと空は気にせずそれもうっとりと味わう。

 両方を交互に食べると、さっぱりしたのと濃厚なのの繰り返しで永遠に食べていられそうだった。

 明良や結衣らも手や口元を汁でベタベタにしながら葡萄を頬張り、皆一様に顔をほころばせた。


「すっげーあまい! ばーちゃんおいしいよ!」

「すごいわねぇ。本当にとっても甘いわ。どっちも美味しいわねぇ」

 明良と一緒に両方を味見した美枝が感心したように頷いた。

「矢田さんにそう言ってもらえると嬉しいですねぇ。植物に関しては矢田さんには全く敵わないですから」

「そんな事もないと思うわよ。これだけ大粒で甘いのは沢田さんが手を掛けてる証拠じゃない」

「いえ……実は葡萄は、大体自分たちでやるんですよ。僕なんて畑に顔を出す度に葡萄に叩かれて、やれ肥料を畑の脇に積んでおけだの、水桶を設置しろだの、下草を刈れだのとこき使われる日々で……本当になんでこいつらはこんなに偉そうなんでしょうね……」

 ガラス細工のような実を一つ口に運んで、圭人が遠い目をする。しかし実った葡萄の美味しさを味わうと、やっぱり元気が出ると苦笑いを浮かべた。


「ここで育つ植物は皆個性的だから大変ね。でもこの葡萄とっても美味しいわ」

「ありがとうございます米田さん……すいません、箱に並べるのを皆さんにも手伝って貰って」

 敷物の脇には葡萄をいっぱいに並べた平たい箱が何段も積み重なっている。明らかに採りすぎ……というか、過剰な接待の結果だ。各家が一箱分ずつくらい貰って帰ることになったが、それを引いてもまだ大量にある。

「いえいえ、流石に貰うにしても量が多すぎるもの。出荷するのにちょうどいい頃合いの物が多いんでしょ? 外に売れそうね」

「ええ、村内で消費する分もありますが、完熟より少し早いので村の外にも多めに持って行けそうです。いやあ、子供たちには感謝です、本当に。葡萄は子供の泣き落としに弱いなんて……米田さん、時々空くんたちと遊びに来てくれませんかね?」

「あら、構いませんよ。空はよく食べるから喜ぶでしょうし」

 空は葡萄で口の中をいっぱいにしながらうんうんと頷いた。こんなに美味しい葡萄が食べられるなら、ちょっと出かけてきて葡萄に可愛くお願いする事など何でもない。

 美味しい物のためならプライドも精神年齢も放り投げる、それが空だ。


「俺らも来て良いの? うちのかーちゃん、この黒いのが余るとジャムにしてくれるんだ」

「おいしーんだよ!」

 武志と結衣の言葉に、雪乃と美枝が頷いた。

「結衣ちゃんたちのお母さんは料理上手だものね」

「麻衣さんって、ジャムとか、香辛料を色々入れた酢漬けとか、ちょっと洒落た保存食が上手よねぇ。葡萄のジャム、私も教えて貰おうかしら」

「ぶどうじゃむ……たべてみたい!」

「おれもー!」

「えー、オレちょっとあきたなー」

 空と明良は食べてみたいと手を挙げたが、勇馬は少し嫌そうな顔をした。選別を漏れた果物やそれで作ったジャムはもう食べ飽きているのだ。

「そうだな……葡萄たちが完璧主義なばっかりに、出荷するのにギリギリ駄目なものは皆うちで加工してるもんな……」

 圭人はそう言ってため息を吐いた。沢田家は生産農家ならではの悩みを抱えているらしい。


 魔砕村の中で生産された物や野菜、狩った獲物などは、村の共有畑の物以外は近場で物々交換される事が多い。

 自分たちが育てていない野菜や果物をお互い交換しあったり、婦人会で材料を持ち寄って皆で加工して分け合ったりするのだ。今日のように、収穫などの手伝いのお礼に作物を分けて貰う、という場合もある。

 けれど沢田家のように大きな専業の畑を持っている場合は、村の店に卸して村人に買ってもらったり、村の外に出荷する必要があるのだ。

 葡萄を始めとした果樹の栽培は、養鶏に才能がなかった圭人がその代わりに始めてもう十年以上取り組んでいるのだが、その難しさに毎年無駄になる分が幾らか出てしまうのが現状だった。

「じゃあぼく、ぶどうさんにちょっとはやくちょうだいって、いっぱいおねがいするね! そんで、いっぱいとれたら、ばぁばにじゃむにしてもらうの!」

「ありがとう空くん……!! もう本当にお願いします!」

 圭人はその言葉に空を拝まんばかりに喜んだ。

 美味しい葡萄が食べられるなら、空は足繁く通うだろう。空の場合大半の葡萄を自分で食べてしまう可能性が高いため、幾らあっても困らないのだし。


 葡萄が潤沢に食べられそうな予感に気分を良くし、空はもう一粒マスカットを枝からむしった。

 あーん、と大きな口で齧り付こうとし――

「へぶっ!?」

 ――ぶしゃっと葡萄を握りつぶし、その汁を顔中に浴びてしまった。

「あら、潰れちゃった? はい、空こっちにお顔向けてちょうだい」

「あい……」

 口元に流れてきた汁を未練げにペロリと舐めて、雪乃にタオルで顔を拭いてもらう。

「ぶどう、つぶれちゃった……」

 小さな手の中には僅かに実が残っているが、残りは弾け飛んでしまった。手に残った分を仕方なく口に運んで、ベタベタになった手もついでに拭いてもらう。

「大丈夫かい? 柔らかくなった実が混じってたかな?」

「そうかも?」

 口ではそう言いつつ、別にそんな感じもしなかったけど……と空は首を傾げたのだが。

「はい、空。あーん」

 皮を剥いた巨峰を口に運んでもらって、空はそんな僅かな疑問はすぐに忘れてしまったのだった。

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