秋の黄昏

65:拘りが強い葡萄

「ぶどう!」


 季節は夏から秋へと移りつつある。

 だがまだまだ残暑の続く、そんなある朝のこと。


 空は高く叫ぶと、目の前にある葡萄畑に向かって駆けだした。

 用心深い空は勝手に入るようなことはしないが、入り口とおぼしき場所の手前で止まってそわそわと畑の奥を覗き込む。

 前世も含め、葡萄が生え、実っているところを空は初めて目にし、感動していた。木の下には沢山の葡萄の房がぶら下がっている。大粒の黒い粒が綺麗に並んで、如何にも美味しそうだ。

 空はその味を想像して、思わずよだれがこぼれそうになった。

「空、急がなくても葡萄は逃げない……わよ」

 一緒に来ていた雪乃はそう言って笑ったが、一瞬溜めがあったのでもしかしたら逃げる事もあるのかもしれない。

「ぶどうのはたけ、はじめて!」

 目を輝かせてそれらを見ていると、この畑の世話をしている人が畑の入り口から空を手招いた。

「空くん、入ってもいいよ。ただ、地面に根っこが出ていることがあるから足下に気をつけてね」

「はーい!」

「オレもいく! ほら、アキラたちもいこーぜ!」

 そう言って駆け寄ってきたのは勇馬だった。

 空を招いてくれた人は、先日米田家に謝罪に来た勇馬の父親の沢田圭人だ。ここは勇馬の家のすぐ側にある沢田家の果樹園だった。

 今日は勇馬やその家族に誘われ、明良と美枝、結衣と武志で、南地区の沢田家に葡萄狩りに来ているのだ。

 沢田家は南地区で色々な果樹の栽培と、卵用の鶏を育てる仕事をしている。

 虫取り騒動のお詫びにと沢田家から届けられた山のような果物と卵に心奪われ、空は勇馬とすっかり和解し、今では明良達を交えてたまに一緒に遊ぶくらいの仲になった。

 食べ物が絡むと空はことさらチョロい。


 そんな勇馬に促され、空は明良たちと共に広い葡萄棚の下に足を踏み入れた。

「わぁ……すずしい!」

 葡萄棚は大人が立ってすんなり歩けるかどうかという高さに作られている。空からすれば手が届かないくらい高いが、それでも思ったよりもずっと葡萄が近く見えた。

 木々の間隔は広く取られているのに、無数の葉がみっしりと生い茂って薄暗い木陰を作り出している。そのおかげで残暑厳しい今日のような日でも、木陰はとても涼しく感じられた。


「そら、こっち! こっちのやつ、すげーんだぜ!」

 奥に駆けていった勇馬がそう言って大きく手を振った。何がすごいのかはわからないが、明良たちも走り出したので、空も慌てて駆け出す。

 所々に出ている葡萄の木の根を避けながら奥に近づくと、そこには畑の手前とはまた違う種類の葡萄の房がぶら下がっていた。

「えー、なにこれすっごいきれい!」

 葡萄を見た結衣がはしゃいだ声を上げた。

 ぶら下がっている葡萄は入り口の方の木とは違い、皮が薄緑色の品種だった。けれどその実全体が半透明に透き通っている。

 薄緑の皮と実の間には白く細い筋が入っているのだがそれも透けて良く見え、木漏れ日を浴びて時々銀色に光っているようだった。

 そしてその実の奥に青い結晶のような小さな種が二つほど。そんな粒が重なり合って実る葡萄の房は、まるで繊細なガラス細工のようだ。

「みけいしみたい……きれい」

「なんかきらきらしてるなー!」

「えー、これ食えるの?」

 美味しそうというより美しいその姿に、空はすっかり見入ってしまった。


「この辺のは、ここ数年でやっと木が育って収穫できるようになったマスカットっていう葡萄の仲間なんだけど……どうもこの辺に適応して変化しちゃったみたいで、輸入した苗に付いてた見本写真と大分違うんだよね。でも味は美味しいよ」

「どれも美味しそうね。沢田さん、葡萄狩りに誘ってくださってありがとう」

「いえいえ、こちらこそ米田さんにはいつも勇馬がお世話になって。他の畑はまだ早いんですが、ここはそろそろ食べ頃なんです。どうぞ今日は沢山持って帰ってください」

 そう言って、圭人は側にあった葡萄の房に手を伸ばした。

 するとその手が房に触れる直前、どこかから伸びてきた細い蔓がシュッとしなり、ピシリと圭人の手を打ち据えた。

「痛っ!」

「あ、とーちゃん!」

 空が目を丸くしていると、圭人は打たれた手をさすりながらもう一度、今度は隣の房に手を伸ばす。そしてまたピシッ、ピシッと叩かれた。

「いった、痛いって! いや、もう良いでしょこれ! どう見ても君ら食べ頃だろ!?」

 圭人はそう言って葡萄の木を説得するが、木も譲る気配がない。あちこちから蔓を伸ばして素振りのようにシュッシュッと振って威嚇してくる。

「ちょっとくらい、早くても、痛っ、美味しいだろ!? 君らの基準じゃギリギリすぎて、うわっ、そんなんじゃ、いつまで経っても出荷できな、痛いって! こら!」

 伸ばす手とそれを退けようとする蔓の攻防は段々と激しさを増していく。

「とーちゃん、がんばれ! そこ、みぎからくるぞ!」

「ぶどう……ユウちゃん、ぶどうって、たべられるのやなの?」

「ううん、そうじゃなくて、えっと……ブドウはかんぺきすぎ? なんだってさ!」

 勇馬は叩かれる父を応援しながら、そう言って教えてくれた。

「かんぺきすぎ……?」

「ふふ、完璧主義ね。葡萄は完熟しないうちに収穫されるのを嫌がるんですってよ。だから熟れすぎるせいで遠くにはなかなか出荷できなくて、作ってる場所やそのお隣の町くらいでしか食べられないのよね」

「そうなんだ……」

(だから僕は今世ではまだ葡萄食べたことなかったのかな)


 それは納得したが、しかし目の前にぶら下がっている葡萄を今食べられないのは納得できない。

 葡萄狩り出来るのを楽しみにやって来て、鈴生りに実った粒はどれも綺麗に揃い、はち切れそうに大きくて良い匂いがしているのに。

「ぼく、ぶどうたべられないの……?」

 この美しい葡萄は一体どんな味がするのかと楽しみにしていただけに落胆は大きい。

 空がしょんぼりと悲しげに呟くと、圭人を叩いていた蔓の動きがピタリと止まった。

「ほ、ほら、こんなに小さい子達が君らの葡萄を食べるのを楽しみにしてくれてるんだよ!? 少しくらい妥協してもいいと思わないかい? な?」

 圭人の言葉に、葡萄達はまるで木同士で会話するかのように蔓や葉を寄せ合ってざわざわと揺らす。

 空がそれを見上げていると、不意にその肩がつん、とつつかれた。振り向くと、何故か目の前には大きな黒い葡萄の房がぶら下がっている。

「あ、ぶどう!」

 それは手前の方に植えられていた皮の黒い大きな葡萄だった。房の根元をみれば蔓が絡みつき、その蔓は手前の木が伸ばしているものらしい。葡萄の木自らが実を採り、空の前に差し出してくれたのだ。

「もらっていいの!?」

 キュウリの時にも同じように分けてもらった空は、大喜びで差し出された房に手を伸ばした。

「わ、おっきい……おもい! ありがとう!」

「良かったわね、空」

 空が大喜びで葡萄を受け取ると、他の場所からも蔓が伸びてきて次々と子供たちに葡萄を分けてくれる。

「あ、おれにもくれるの? やった、ありがとー!」

「わぁい、おいしそう!」

「良い匂いだな~!」

 明良も結衣も武志も大喜びでそれを受け取り、口々にお礼を言った。

「そっかー、巨峰の方が子供に優しいのかー、いやあ偉いなぁ」

 どこかわざとらしく圭人が巨峰を褒め称えると、マスカット達が更にざわめく。

 マスカット達はしばし思案するように蔓を揺らした後、ぶら下がる房を吟味し、それからプチプチと自ら切り離し始めた。


「あ、きれいなぶどう! ありがとう!」

 空は目の前に美しいマスカット(?)の房を出され、大喜びで手を伸ばして受け取った。マスカットも大粒で、よく育っていてなかなか重い。

 手に載せられるとふわりと良い香りがして、空は思わず満面の笑みを浮かべた。

 すると今度はまた巨峰が横から差し出されてきた。

「えっ、わ、あり、ありが、とう!?」

 空がそれも受け取るとまた張り合うようにまた緑の房が空の小さな腕に載せられ、空はついに重さによろけてぺたりと尻餅をついた。すると今度はその膝の上や、脇の地面にどさどさと房が置かれていく。

「あらあら、空が埋もれちゃうわ。葡萄さんたち、こっちに渡してちょうだい」

「ちょっ、君ら極端すぎ! あああ、地面に置くなって! 箱、箱持ってくるから! あと態度変わりすぎ!」

 大人たちが慌てて近くにあった収穫作業用の台から平たい箱を持ってくる。

 いつの間にか、子供たちは全員が葡萄に埋もれるようにして、畑の草むらに座り込んでいた。

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