62:トウモロコシという名の何か

 青く高い空に、箒で掃いたような薄い雲が広がっている。

 空が縁側でそれを眺めていると、隣に来た幸生が同じように空を見上げた。

「……秋の雲だな」

「あきのくも……もう、なついっちゃうの?」

「うむ。秋はすぐそこだ」

「そっかぁ……」

 空は何だか寂しくなって、膝に乗せていた小鳥を両手で包んで優しくもみもみした。

 揉む度にピッ、ピッ、と規則正しく声が上がり、まるでそういう玩具のように可愛らしい。

 小鳥は先日空によって、『フクちゃん』と命名された。

 前世の記憶はあっても空のネーミングセンスは三歳児並みだった。フクちゃんだけはふくふくしているからという名付けの理由に若干不本意そうにしていたが、今ではすっかり米田家に馴染んでいる。

 

 幸生は夏が終わることを寂しがってシュンとする孫をどう慰めて良いのか分からず、口をへの字にして冷や汗を垂らした。しばらく真剣に考え、やがて空を見下ろして口を開いた。

「秋は……美味いぞ」

「えっ!?」

 キランと瞳に光が戻り、ぎゅっと顔が上向いて、期待に満ちた視線が幸生に向かう。

「おいしいの? じぃじ、なにがおいしい!?」

「……し、新米が美味い」

「しんまい!」

「葡萄やイチジク……柿や栗も」

「ぶどう! くり!」

「あとは、猪や鹿も襲ってくる」

「いのしし! ……おそ?」

 空がピタリと止まると、幸生はうむ、と頷きその頭を撫でた。

「全て俺が狩ってやるから、たんと食え」

「じぃじ……じぃじかっこいい! ぼく、ハムがいい! あとおやさいとおにくいっぱいの、おみそしる!」

 想像しただけで空の口の中は洪水になりそうだ。

 幸生は食い意地のはった可愛い孫を一見そうとは全くわからないが、愛おしそうに見つめた。

 そこにパンパン、と手を叩く音が割り込んだ。

「さぁさ、ハムもベーコンもお鍋も、季節が来たらみーんなばぁばが作ってあげるからね、今日はそろそろお出かけよ」

 今日の雪乃はお出かけ用の動きやすい格好をしている。出かけると聞いていたが、どこに行くのかはまだ知らない空は雪乃を見上げて首を傾げた。

「ばぁば、どこいくの?」

「今日は、トウモロコシを狩りに行くのよ」

「とうもろこし……とうもろこし、たべたことない!」

 そういえば今世ではまだトウモロコシを食べたことがないと、空は今気がついた。

 前世では焼いたりスープにしたりサラダに入っていたりと色々使われていた記憶があるが、今世ではまだお目に掛かっていない。この村にもあったなんて知らされていなかった。

 空はあの独特の甘味を薄い記憶から引っ張り出し、ゴクリと喉を鳴らした。

「おいしい?」

「おいしいわよ。子供たちの夏の終わりのお楽しみね。さ、畑に行きましょうね」

「うん!」

 空は促されるまま大喜びで立ち上がり、器用に肩に飛び乗るフクちゃんを連れて玄関へと走った。


 トウモロコシの畑はスイカ畑の近くにあった。

 同じように塀で区画分けされているが、その塀がスイカのものよりも更に高い。

 ここのトウモロコシも逃げ出したりするんだろうかと思いつつ開け放たれた入り口を通ると、そこには大勢の東地区の子供たちと、その家族の姿があった。

「わ……ひといっぱい。おまつり?」

「そうね、お祭りみたいなものね。今日は子供連れの家族が来て良いお祭りなのよ。明良くん達もどこかにいると思うわ」

「やった!」

 友達がいると聞いて空は嬉しくなった。

 早速見知った顔がないかと畑を見回し、しかし空はすぐに首を傾げた。

 トウモロコシ畑は随分と広く、しかも何だかおかしな見た目の畑だったのだ。空の知るトウモロコシ畑と言えば、緑色の背の高いトウモロコシがみっしりと植わって向こうが見えないような、そんなイメージだ。

 しかしここの畑は向こうの塀がよく見える。それが何故かと言えば、トウモロコシとおぼしき作物が、二メートルほどの間隔を開けて、点々と植わっているからだ。

 しかもその作物が何かおかしい。

「ばぁば……とうもろこしって、あれ?」

 空は違うと言って欲しいと思いながら、そのおかしな植物……とおぼしきものを指さした。

 それは地面から真っ直ぐ伸びた緑の棒の天辺に、トゲトゲの巨大なくす玉をぶすっと刺したような、そんな姿をしていた。高さはどうみても二メートル以上ありそうだし、玉の大きさは七、八十センチ近くあるように見える。

 それが多分植物だろうと思うのは、緑の棒に一応葉っぱが生えているからだ。農業をやっている人が見れば、葱の花に似ていると言ったかもしれない。

 空の前世の乏しい知識から似た物を探すとするならば、ファンタジーなどに出てくるモーニングスターが近いような気がした。鎖のない奴だ。

(映画であんな武器を見た気がするようなしないような? でもあのくす玉部分、大きすぎるかな……。そしてそんなのに葉っぱが生えている……謎だ)


「そう、あれがトウモロコシよ。今年は少し大きいわね。きっと美味しいわよ」

「お、おいしいんだ……」

 緑のトゲボールのどこに美味しい部分があるんだろう、と空が考えていると、前の方から声が掛かった。

「おーい、そらー!」

「あ、アキちゃん!」

「そらもきたんだな! あっちにみんないるから、いっしょにトウモロコシとろ!」

「う、うん」

 空は頷いたが、その視線は明良の持つ網に向かっている。明良はカニを獲った時に使っていた大きな網を持ってきていた。

(網……まさか……)

 その網に不安を覚えつつ、空は明良の後を追った。


「あ、そらちゃん、おはよー! フクちゃんも!」

「空、おはよ!」

「ユイちゃん、タケちゃん、おはよう!」

 皆の家族と合流してみると、子供たちはやっぱり網を持っている。

 空は何も持って来ていないのでどうすれば良いのかと悩んでいると、矢田家と野沢家の家族と挨拶を交わした雪乃が、背負ったリュックの中から空の網を出してくれた。

「空にはまだ大きいけど、持って立ってるだけでも出来ると思うのよ」

「う、うん……」

(やっぱり……トウモロコシ、飛んでくるの!?)


 空がそれを雪乃に確かめる前に、畑の手前から大きな声が上がった。

「はーい、それじゃあトウモロコシの収穫祭、始めまーす! 子供たちのお楽しみの前にまずは足場作りです! これから印をつける手前の方の畑、中央を残して両脇を刈り取るから大人達はそっちの手伝いをまずよろしく! 刈り取った分はいつも通り地区で一旦保管、分配しますが、多めに必要な家庭は申請して下さいねー!」

 その言葉を受けて散っていった何人かが、手分けして畑の中に赤い布切れを結んだ棒を立てて行く。

「こっからそっちまでは残して、両脇は刈っちまってくれ! あと奥の方にも目印をしたが、そっから向こうは乾燥飼料用と、来年の種取り用だから手はつけないこと!」

 その指示通りに大人達がドヤドヤと移動を始める。雪乃と幸生も、空に明良達といるようにと言い置いて参加しに行った。

 空が少しばかり不安げに見送ると、明良と結衣が大丈夫だと笑いかけてくれる。

「おとながいっぱいいるからすぐおわるよ!」

「あっというまなのよ!」

「そうなの?」

 どれどれと空が大人達の方を見てみると、本当にあっという間だった。

 誰かが持っている斧や鉈でスパンと茎を切り倒し、それが地面につく前に別の誰かがさっと持ち上げる。後はそれを魔法の袋らしき物にどんどん入れて行くだけだ。

「ほんとにあっというまだね……」

「だろ?」

「トウモロコシ、まとまってるかららくちんなんだって!」

(まとまってる……まとまってるって言う状態なんだ、あれ)

 空にはあのトウモロコシが前世で知る物と同じなのかどうかもよくわからない。

 とりあえず、ここにいる子供たちでも収穫出来るらしいことだけが一縷の望みだ。

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