61:涙と青空

「うわあぁぁん、そらちゃぁん!」

「ごめん、そら!」

「ほんっとーにごめん!」

 空がたっぷりとご飯を食べて、すっかり元気になった頃。

 空が目を覚ましたと連絡した途端、矢田家と野沢家の家族が空の家に急いで駆けつけてきた。

 玄関先で空の顔を見るなり結衣は大泣きし、目を真っ赤にした明良も武志も真っ先に空に頭を下げた。空はそんな皆の姿に目を丸くし、ちょっと焦ってしまった。とりあえず慌てて手をパタパタと横に振って元気だと主張した。

「ぼく、けがしてないし、げんきだよ! それよりゆいちゃん、けがだいじょぶだった?」

空は結衣の肘を見たが、そこに擦り傷は残っていなかった。絆創膏なども貼っていない。綺麗に治療して貰ったようでホッとした。

「うっく、あんなの、ぜんぜんへいき……ちゃんとしんたいきょーか、まにあったもん……そらちゃん、わたし、まもってあげられなくてごめんねぇ」

「ユイはわるくないよ! おれとユウマがしっぱいしたせいだし……」

「いや、明良も悪くなかった。最初に俺がやれるって思ったのが絶対失敗だったんだ……結衣にも怪我させて、空にも怖い思いさせて、本当にごめん」

 何度も謝る皆に、空はぶんぶんと首を横に振った。

 そもそも、勇馬の喧嘩を買って虫取りを見に行くと主張したのは空なのだ。

 それなのに行ってみればすぐに興味を失って、離れていたとはいえ背を向けて結衣と一緒に余所見をしていたのも悪かった気がする。ちゃんと皆を見ていれば、急いで逃げたりもっと距離を取ったりできたかもしれない。

「ぼくのこと、わらじとユイちゃんが、ちゃんとまもってくれたよ! それに、ぼくがムシとりみたいっていったんだもん。ぼくもごめんね」

「ううん。おれ……そらがすごくしっかりしてるから、ちょっとくらいいいかとおもっちゃったんだ」

「わたしも。ちっちゃい子といっしょのときは、うんときをつけなさいっていわれてたのに」

 空は、それは多分自分もだとハッと気が付いた。精神年齢が少しばかり高いせいで、空自身が油断や慢心を持っていた気がする。

 それと同時に、勇馬の癇癪を受け流せず喧嘩を買ったり、すぐ他所に気を取られてしまう子供っぽさもやはり持っているのだ。

 空の周りは誰もが優しく、当たり前のように危険から守ってくれる。

 日々知らない事に驚かされたり怯えたりすることはあれど、本当に命の危険を感じるような事は無かった。空はいつの間にかそれに慣れてしまっていたのだと気がついた。

 空は基本的には臆病で脆弱なのに、案外忘れっぽい。だからこそこの田舎にそれなりに馴染みつつあるのだが、しかし危機感まで忘れてしまうのは重大問題だ。

(僕って……ひょっとしなくてもすごく危なっかしいのでは?)

 そうは言っても子供が危なっかしいのはどこの世界でも一緒なのだが、精神年齢が高いのに役に立っていないのは残念すぎる。

 空は今更ながらそんな風に思い、少し気落ちした。


 明良や武志らの両親も、空や雪乃らに何度も何度も謝っている。

 なかなか終わらない謝罪合戦に皆で顔を見合わせて肩を落としていると、空の足下でピロロロ、と声がした。子供たちの視線が自然とそちらに吸い寄せられる。

 そこにいた小さな鳥の姿を見た途端、明良と結衣が泣きはらした目をパッと見開いて輝かせた。

「そのとり! それ、きのうすごかったんだ!」

「そらちゃんをたすけてくれたんだよ!」

「ほんとに? ぼくなんにもわかんなかった……あのとき、どうなってたの?」

 空が両手で鳥を持ち上げて皆に見せると、武志が顔を近づけて覗き込み、今日は小さいな、と呟いた。

「きのうはちがったの?」

「ああ。んっとな、あの時空がカブトムシにさらわれてぐんぐん高いとこ行っちゃって、すごい焦ったんだ。どうにか追いかけて、もし落ちたら受け止めようって思って皆で走ったんだけど」

「そしたらきゅうに、そらちゃんがぴかってひかったの!」

「びっくりしてみてたら、カブトムシがズバンって、いちげきでバラバラになったんだ!」

「ば、バラバラ……!?」

 あの巨体を思い出して空は思わず身震いした。あんなに大きくて固そうだったカブトムシがバラバラになるだなんて、空には想像がつかない。

「そう。そんで、空が落っこちてきてさ。落ちる! って慌てたら、この鳥がヒュンッて降りてきて、すごーく大きくなって、空を受け止めてくれたんだ」

「えええ、おおきくなったの!?」

 空は驚きと共に手の上の小さな鳥を見つめた。

 空が気を失う前にうっすらと感じた、もふっと柔らかなものに受け止められたように思ったアレはどうやら夢や幻ではなかったらしい。

 それは大変に有り難かったが、しかしその前にこの小さな体であの巨大なカブトムシを一撃でバラバラにするなんて、何だか急にちょっとだけ怖くなってしまう。

 空は恐る恐る小鳥を目の高さまで持ち上げて、一体どうやってカブトムシをバラバラにしたんだろう、とじっと観察してみた。

(爪……小さいし、足も長いけど細い。くちばしも……ちょっと丸まって、細くて、攻撃力なさそうなのに……それとも戦う時はもっと怖い感じになるのかな)

 そんな空のじとっとした視線を受けて、小鳥はふわりと羽を膨らませて丸い体を更に丸くし、きゅるんと首を傾けてつぶらな黒目で空をじっと見る。

(……可愛いアピールがすごい気がする)

「か……かわいいし、つよいの、すごいね」

 守ってくれたのは確かだし、とても有り難かったのだし……と空はにこりと微笑んだ。

「そらちゃん、いしからかわいくてつよいこがかえって、よかったね!」

「う、うん……ぼくも、うれしい」

 ずっと側にいてくれるかはまだわからないが、とりあえず今こうしているところを見るとすぐにどこかに行ってしまうという事はなさそうだ。

 その強さは気になるが、ひとまず仲良くしよう、と空は笑顔で頷く。


「そうだ。あのな、そら……えっと、ユウマも、あとでそらにあやまりにくるって」

「え……そうなの?」

「ユウマくん、きのうわたしにもいっぱいあやまってたよ。たぶんあとでくるとおもう」

「ごめんな、空。あの時俺、勇馬のことちゃんと止められなくて。せめてちゃんと、皆を待って一緒にやれば良かったのに」

 また話が謝罪に傾きそうで空が焦っていると、玄関からごめんください、と声がした。

 顔を上げれば、開いたままの玄関扉の向こうに空の両親くらいの男の人と女の人の姿が見える。

「あら、沢田さん」

 雪乃がその二人を見て声を上げた。沢田さんと呼ばれた二人はどうやら勇馬の両親であるらしい。沢田夫妻は入り口から一歩中に入るなり、揃って頭を深く下げた。

「米田さん、この度は、本当に申し訳ありません!」

「うちの子が、お孫さんを危険な目に遭わせて、申し訳ありませんでした!」

「あら、あらあらそんな……顔を上げてくださいな。勇馬くんだけのせいじゃないですし」

「いえ、勇馬や他の子から聞きました……あの子が、家にいたお孫さん達を半ば無理矢理虫取りに連れて行ったことも、周りの子の言うことを何も聞かず無茶をして、その結果結衣ちゃんやお孫さんが危なかったことも」

「ほら、勇馬! あんたもちゃんと謝りなさい!」

 勇馬の母が玄関の外に向かって声を掛けると、扉に隠れるようにして立っていた勇馬がおずおずと顔を見せた。その顔を見て空はぽかんと口を開けた。

 勇馬の短かった髪は更に短く、綺麗に丸坊主になっていて、目は泣き腫らしてパンパンに腫れて真っ赤だった。どうやら両親からよほど怒られたらしい。

 勇馬は空や明良達の前までゆっくりと近づき、皆の顔を不安そうに見回して、それからがばりと頭を下げた。

「ごっ、ごめん……ごめんなさい!」

 下げた頭の下から雫がぽたりと落ち、玄関の三和土に丸い染みを作る。

「オレっ、オレが、むりやりつれだしてっ、ほうって……あんなおおきいのえらんだから……タケちゃんのいうこと、きかなかったから……チビ、じゃない、そら、しなせるとこだった!」

 そう言って頭を下げ続けている勇馬の体は小さく震えていた。床の染みもポタポタと増え続けている。


 実は勇馬には空より一つ年下の弟がいる。

 弟がいる事は嬉しくないわけじゃないのだが、両親を取られたような不満や、自分がしたい遊びをすぐ邪魔される日々に、小さい子を少しばかり疎ましく思う気持ちが勇馬の中にはあった。

 けれどそんな気持ちや明良と遊べない不満をつい関係のない空にぶつけ、無理矢理外に連れ出した挙げ句に気遣いもせず放置した。

 しかも自分の無謀な行動の結果、弟と同じくらいの年の子供をもしかしたら死なせてしまっていたかもしれないという事が、勇馬にはひどく堪えたのだ。

 あの時、カブトムシに攫われた空を必死で追いかけても、勇馬では追いつくことすら出来なかった。

「オレ、バカで……ほんとにごめん、ごめん……!」

 頭を下げる勇馬と一緒に、両親も空に深く頭を下げてくれた。

 空はそれを見て困ったような顔をしたあと、ふと手に乗せたままの小鳥に視線を落とした。そしてその手をそっと伸ばして丸坊主になってしまった勇馬の頭にそっと近づける。

 小鳥は空の意図を察したのか首を伸ばし、その頭をつん、つん、と優しく突いた。その感触に勇馬が恐る恐る顔を上げる。

 空は泣きはらした勇馬の目を真っ直ぐ見て、にっこりと笑顔を見せた。

「ぼく、げんきだよ! じぃじのくれたわらじと、ユイちゃんと、あとこのとりが、ぼくのことまもってくれたから!」

「そら……」

「それに、みにいくっていったの、ぼくだもん。ぼく、よわむしっていわれたくなかったから……アキちゃんやユイちゃんのことも、ぼくのことも。だからぼくが、いくっていったの」

 空は勇馬と勇馬の両親を見上げてはっきりとそう言った。勇馬の両親は困ったようにお互いの顔を見合わせる。


 そこに、成り行きを見ていたヤナが声を掛けた。

「勇馬。空は、まだ弱虫か?」

 その問いに勇馬は弾かれたように首を横に振った。

「よわむしじゃない! そらも、アキラも、ユイも! みんな、よわむしなんかじゃない!」

「えへへ、やった!」

「良かったな、空。だが、ヤナに声を掛けずに子供だけで行ったことはとても良くないぞ。空には草鞋の護りがあったとはいえ、それとて万能とは限らぬのだ。心配かけた事は、ちゃんと空も謝らねばな」

 その言葉に空はハッと振り向き、雪乃や幸生、ヤナの方を向いてぺこりと頭を下げた。

「ぼく、かってにでかけて、じぃじやばぁばや、ヤナちゃんにいっぱいしんぱいかけて、ごめんなさい!」

「ええ。空にはまだちょっと早かったわね。お願いだから、次はちゃんと言ってから私達と出かけてね」

「……うむ」

 きちんと謝ることが出来た空の頭をヤナが優しく撫で、大人達をぐるりと見回した。

「ちと巡り合わせが悪かったが、皆無事で済んだのだ。ならば謝罪はそのくらいにしてその幸運と、子に加護をくれたアオギリ様に感謝するがよい。子供らは皆それぞれ己の何が悪かったのかちゃんとわかっておる。次からは気をつけるだろうよ。さ、主らは上がって茶でも飲むが良いぞ。子供らは庭で少し遊んでおいで」

「そうね、上がっていってくださいな」

 恐縮する大人達を雪乃が囲炉裏の部屋へと誘い、ヤナに促された子供たちは頷いて庭へと駆けだした。

 空も草履を履いて立ち上がると、行っていいのか悩み所在なげに立ちすくむ勇馬を見上げ、笑みを浮かべて手を差し伸べた。

「いこ!」

「う……うん!」

 手を繋いで駆け出す空達の足下を、小鳥が走って追って行く。

 隣を走る勇馬は、ちゃんと空と足並みを合わせてくれていた。

 今日は空に新しい友達が一羽増えた、良い日だ。もう一人増えるかどうかはまだ分からないが、それでも同じ村の子なのだからこうして少しずつ仲良くなれたら嬉しいと思う。繋いだ手はまだぎこちないが、痛くない。そこにはちゃんと優しさがあった。


 空は足下を見ながら、これから庭でお守り袋に入れる新しい石を探そうか、それとももういらないだろうか、と考える。

(とりあえず……しばらくはいいや!)

 ピロロロ、と足下で響いた声は、空の心に賛成しているかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る