52:多分きっとカニ

「あ、そうだわ、そろそろスイカも食べる?」

「スイカ! 食べる!」

「じゃあ切ったら皆も呼びましょうね。翠さんも適当にくるでしょうし」

 雪乃がそう言ってスッと手を挙げると、川辺で冷やしていたスイカがふわりと持ち上がった。

 見えない手に導かれるようにスイカは雪乃の前に降り立ち、雪乃がポンと手で叩くとパカリと二つに割れる。

「あ、雪乃ちゃんここに載せて」

「ありがとう」

 美枝がリュックから大きな板を出して敷布の上に置く。雪乃がそこにスイカを乗せると、半分になっていたスイカは今度は勝手に食べやすい大きさの三角形にバラバラと分かれた。

 いつもながら雪乃の魔法は実に鮮やかで、空はそれを見て感心するばかりだ。

「子供達、スイカよー!」

 美枝が手を振って遊ぶ子供達に声を掛ける。すると全員がパッと振り向き、パタパタと慌てて駆けてきた。

「ほら、川で良いから手を洗ってきなさい。特に明良!」

「はーい!」

 砂だらけの手をしていた明良は素直に川に駆け込み、綺麗に手を洗った。武志も結衣もちゃんと手を洗いに行く。

 空も手についた米粒を残らず食べて布巾で綺麗にし、スイカを一切れ貰った。川の水で冷やされたスイカは丁度良い温度で、瑞々しく甘くて美味しい。

 全員が夢中でスイカを食べ始めると、近くでまた水音がした。

 空が顔を上げると翠が手を振りながらこちらに歩いてくるところだった。


「やっほー、僕もご相伴にあずからせて欲しいな」

「待ってたわ、翠さん。どうぞ座って」

「ありがとう。あ、ねぇそこの小さい水たまりにこれ入れてもいい?」

 そう言って翠が振っていたのとは反対の手を顔の前に上げる。その手には立派な鮭ほどもある大きな魚がぶら下がっていた。

「うわ、すげぇ! スイちゃん、これ何の魚!?」

 魚を釣りたいとしきりに言っていた武志が目を見開いて立ち上がり、近寄って手を伸ばす。しかし翠は武志の手が魚に届く前にさっと手を高く上げた。するとその急な動きに驚いたのか、大人しくしていた魚がまたビチビチと暴れ始める。

「こら、危ないよ。まだ元気だし、噛まれでもしたら指が千切れるよ!」

「俺、そんなヘマしないよ! ちゃんと強化できるし!」

 武志は言い張るが、翠は首を横に振った。確かに、水から上げられてなお元気よく身を左右によじりガチガチと歯を鳴らす魚を見ていると、空には全然大丈夫そうには見えない。

「だーめ! 雪乃さん、ちょっとそこの水たまり、大きくしてくれない?」

「ええ。明良くん、いい?」

「いいよ!」

 小さな水たまりの工事責任者だった明良が快く頷くと、雪乃が動かした水の流れによって小さな水たまりがみるみる大きく深くなり、掘られた石や土が周囲に盛られて縁も高くなる。

 そこに新しく綺麗な水が入れられると、翠は手にした魚をぽいと中に放り込んだ。魚はバシャンと何度か跳ね、ぐるぐると回っていたが、やがて大人しくなった。

「ありがとね、雪乃さん。これ皆でおやつにでもしてよ」

「嬉しいわ。あとで塩焼きにして皆で頂きましょうね」

「おやつ! ばぁば、おやつのさかなおいしい!?」

「岩魚は美味しいわよ。ほくほくよ」

 この田舎ではおやつまで豪快だが、空は美味しく食べられるなら何でも大歓迎だ。

 美味しいと言う言葉を聞いて空の瞳が期待に輝く。期待と同時にこの鮭のように大きな魚が岩魚だったことに少し驚き、でも案外小さくて良かったとホッとした。これがメダカだとか言われなくて本当に良かった。


 空はそこでふと美味しいと聞いたもう一つのものについて思い出した。

「あっ、かに! おいしいかに、とってない!」

 その言葉に子供達もそういえばと思い出す。

「じゃあスイカ食べたらカニ獲ろうな!」

「うん!」

 武志の言葉に皆が頷くと、スイカを受け取って齧り付いていた翠が顔を上げた。

「カニって、小さい沢ガニ?」

「うん。スイちゃん、どのへんにいっぱいいるかな?」

 明良が聞くと翠は少し考え、水かきのついた指で少し上流の岩がゴロゴロしている辺りを指さした。

「あっちの岩の下辺りに多いかなぁ? この辺は子供達がすぐ岩をひっくり返したり割ったりしちゃうから、ちょっと離れたとこによく隠れてるよ。あそこより上流の方は大きい子達が暴れてるから、そっちからも逃げてくるしね」

 子供が岩を割る、ということには突っ込まず、空は笑顔のまま川原の上流を見た。

 赤い線の描かれた近寄ってはいけない岩のある場所は少し離れていて、その手前まででもそれなりに広い。その範囲内でも十分にカニはいるだろうと、翠は教えてくれた。

「カニを獲るのは良いけど、素手じゃ危ないよ? 皆何か道具持ってきた?」

「おれあみもってきたよ!」

「わたしも!」

「俺も!」

 皆がそう言って自分のリュックからずるずると長い棒を引っ張り出す。うんしょと引っ張り出された棒の先には、直径が五、六十センチはありそうな巨大なわっかが付いていて、そこに目の粗い網が張られている。

「お、おおきいね……?」

「おおきくないとにげられちゃうんだ」

「いっぱいいるし、このくらいじゃないとね!」

 思ったよりもずっと巨大な網に空はちょっと驚いた。小さい沢ガニと翠は口にしたが、網の目は粗い。一体どんなカニなのだろうとちょっと不安になる。


 そんな空の心配を他所に、スイカを食べ終えた子供達はどうやってカニを獲るか話し合う。

「網かまえて、岩を叩けばいいよな? 俺、多分リュックにハンマー入れっぱなしだよ」

「それおとーさんの? おこられるよおにいちゃん!」

「あとで返しとくって!」

「タケちゃんちのハンマーだと、そらがもつにはおもいよね? じゃあ、タケちゃんがたたいて、おれたちがあみ?」

「そらちゃん、あみもてるかなぁ」

 結衣の言葉に空は少し考えた。網の本体自体は竹で出来ているように見える。それならそんなに重くはなさそうだが、大きさがかなりあるので自信が無い。

 空がそんな心配を滲ませて雪乃の方を見ると、雪乃は頷いてリュックから同じような長い棒をぐいと引っ張り出した。

「空の網は少し小さめに作って貰ったんだけど、どうかしら?」

 差し出された棒の端をしっかり握って受け取る。確かにそれは皆のものより一回り小さいように見えた。

 思ったより重くはなかったが、それでも空には大きいので網が揺れると引っ張られてちょっとふらつく。これを持って駆け回るのは、自分にはまだ無理だと空は思う。

「……ちょっと、おっきい?」

「そうみたいね。じゃあとりあえず最初は見学してみる? やってみたくなったら後でばぁばが手伝ってあげるわ」

「うん!」

 その提案に頷き、空はひとまず見学に回ることにした。


「じゃああの岩からにしよっか?」

 皆で上流の方へ少し移動し、いくつもの岩を真剣に吟味した武志がその一つを指さした。川原に近い場所にある、水に半分つかった余り大きくない岩だ。

 明良と結衣がうん、と返事をして網を持って駆けてゆく。二人は何故か岩から五メートルほども離れた川の中に少し間を空けて並び、体の横にしっかりと網を構えた。

 空はそれを近くの川岸から雪乃と一緒に見学していた。明良達のその位置取りを見てもどんなカニなのか想像がつかなくて、頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 空の疑問を他所に、武志は二人が位置についたのを見てハンマーを手に静かに目当ての岩に近づく。持っているハンマーは、頭が二十センチもあるような結構大ぶりな物だ。

 武志は岩の側まで行くとそっとその下を覗き込み、納得したように頷いて位置を少し変えた。

 そしてパタパタと手を振り、明良と結衣が頷くのを確かめ、両手でハンマーの柄をしっかり持って斜め横に振りかぶる。

 空が見つめる中、武志のハンマーが勢いよく振られ、ガツン! と固い音が響く。

 次の瞬間、バシュンッと岩の下から幾つもの何かが水を跳ね上げ、勢いよく空中に飛び出した。

「てぇいっ!」

「えいっ!」

 明良と結衣の声が続いて響き、二人が網を持った手を伸ばして素早く振った。バスッという鈍い音と共にそれぞれの網が大きく膨らみ、そして並ぶ二人の隙間や反対側の脇を、網を逃れた何かが飛んで行く。


「ヒェッ……」

 空は飛びたったその何かが、ハサミと足を持ち、そして羽を持っているのを確かに見た。

 網を逃れた何か……多分カニかもしれないそれが、水の中からロケットのように飛び出し、半透明の羽を開き低い軌道で水面を跳ねるように飛んで行くのを。

 まるでさっき武志が投げていた水切りの石のようなその動きを、空は遠い目で見送った。

 飛ぶ、というには少々不格好な飛行だったが、確かにブゥゥンと低い羽音が聞こえるので一応飛んでいる事に間違いは無いらしい。

「……かに?」

(田舎のカニは空を飛ぶ……)

 それは大きさだけを警戒していた空には、完全に予想外の光景だった。

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