50:その名前はちょっとどうかと思う

 バスは順調に村の中を走り、やがて北区の端に位置する土手の際でゆっくりと動きを止めた。

「はい、到着だ。下りてどうぞー」

 田亀の声と共に開けて貰った扉から空が下りると、土手の向こうから川の流れる音が聞こえる。

 雪乃は途端にそわそわし出した空に手を差し出し、走り出さないように手を繋いで歩き出した。

「ありがとう田亀さん、お昼頃またお願いね」

「おう、いってらっしゃい。空くん、楽しんできな!」

「ありがとー!」

 田亀とキヨにぶんぶんと手を振って、雪乃に連れられて土手の階段を上る。明良や武志達も楽しそうに駆け上っていった。

「わぁ……かわだぁ」

 土手を上りきると、その向こうには川が流れていた。積まれた石と土で出来た土手から川原に向かって斜めの道が延びている。そこを下りると小石が転がる広い川原があり、そして煌めく水の流れが見えた。その幅は空が想像していたよりも広く、そして浅く見えた。

「ばぁば、いこ! はやくいこ!」

「はいはい、坂だから慌てないでね」

 憧れそのままのような景色に、空はすっかり大興奮だ。雪乃の手をぐいぐいと引っ張りながら空は坂を下った。


 川原には大きな木も見える。何本かずつ固まって点々と生えていて丁度良い木陰をあちこちに作り出しているので、わざと残してあるらしい。雪乃は空を連れて土手を下りると一番近い木の下に向かった。

「ここに荷物を置くのよ。空、お日様に当たって暑くなったり疲れたりしたら、ここに来て休んでね」

「うん!」

 頷きつつもきょろきょろと首を回して周囲を見回せば、遠く上流の方の川原や川の中に、年かさの子供たちの姿が見える。皆それぞれ何人かのグループで来て、釣りをしたりしているらしい。

 武志はそちらを羨ましそうに見やり、小さくため息を吐いた。

「俺も早く釣りしたいなぁ」

 そう呟いた武志の頭を美枝が撫でる。

「武志くん、身体強化得意じゃない。もうすぐよ。もう少し大きくなれば、魚に負けて引っ張り込まれなくなるから……来年か、再来年かしらね?」

「ちぇー。釣りが無理でも、銛くらいそろそろやってみたいのに……」

「うーん、銛ねぇ……この辺の魚は硬いから、まだ鱗を貫けないんじゃない? 逆に銛に噛みついてくる魚もいるし」

「うん……くっそー、がんばろ!」

 その意気よ、と励ます美枝の言葉を、空はいつものごとく内心でちょっと引きながら聞いていた。

(魚釣り……僕は、高学年になってからにしよう)

 空は、銛でも貫けない鱗を持つ魚に負けて川に引っ張り込まれて溺れたくない。


 空達は木の下に敷物を広げ、荷物を下ろした。

 木陰に入ると川風はひんやりと涼しく、空は気持ちよさそうに目を瞑る。水の音や匂い、髪を揺らす風、葉ずれの音、緑の匂い。それらを深呼吸と共に味わえば、何だか嬉しくて自然と顔に笑みが浮かぶ。

「かぜすずしい……きもちいい」

「気持ちいいわね、空」

 雪乃と笑い合っていると、ふいに近くでバシャン、と水の跳ねる音がした。

 空が音のした方を向くと、いつの間に川原の際に見知らぬ若者が一人立っている。

 アッシュグリーンのゆるく癖の付いた髪に麦わら帽子を乗せ、着ている開襟シャツはアロハのように色鮮やかで派手な花柄だ。シャツや半ズボンから出た肌は日焼けした小麦色。

 顔の造作はスッキリと整いなかなかのイケメンに見えるが、全体的な見た目とへらりとした笑顔が雰囲気を軽く見せている。

 どことなくチャラそうなその青年は、にこやかに笑うとひらひらと雪乃に手を振った。

「おはようさん。いやぁ雪乃さん、久しぶりだねぇ」

「あら、おはよう、スイさん。本当、久しぶりね」

 雪乃もひらりと手を振り返し、それから自分を見上げている空の頭を撫でた。

「スイさん、これがうちの孫の空。空、この人は河童の川流翠さんよ。ここで夏の間、川原の整備や子供たちの監督のお仕事をしてくれてるの」

 空はその紹介を聞き、青年と雪乃を交互に見て首を傾げた。

(カッパノカワナガレスイサン……どこが名前?)


「んと……かっぱのさん?」

 どこまでが名前か分からず、とりあえずそう呼ぶと、青年があははと声を上げて笑う。

「いやぁそこ名前じゃないんだよね! それは種族名だね~。カワナガレが家族名で、名前がスイってんだけど……面倒だからスイちゃんでいいよ!」

「か……?」

「空は河童は知らない? うーん、何て言えばわかるかしら。水辺に住む泳ぎが得意な……妖怪っていうと聞こえが悪いかしらね。良き隣人……お隣さん? ヤナみたいなようなそうでもないような……」

「おとなりさん……」

(合羽の……川流れ水産……違う? かっぱ……河童!?)

 空は目を見開いて青年を見上げた。どう見ても彼は普通の人間に見える。河童と聞いて空が思うような部分は微塵もない。

 帽子を被っていて服を着ているので皿や甲羅があってもわからないのかもしれないが、見た感じは背の高いただの人間の若者だ。

 髪の毛が緑っぽいのはもしかすると河童っぽい部分なのかもしれないが、それだってただの若者らしいお洒落だと思えばそうとしか見えない。前世のテレビや本で見知ったような河童のイメージとはかすりもしない。

「かっぱさん……およぐのがとくい……」

 小さく呟くと翠はにこりと笑い、手を顔の横に上げてパッと指を開いた。

「そうだよ~。ほら、水かき! 僕らはこれですごく早く泳ぐんだよ~。まぁ普段は邪魔なんだけどさぁ」

 開いた指の間には確かに真ん中くらいまで薄い皮膚が広がっている。空はそれを見つめ、翠の顔を見て、それからそっと川に視線を向けた。

(ヤナちゃんだってヤモリなんだから、河童がいても良い……神様とか龍とかだっているんだから、河童もいる……フレンドリーな若者にしか見えない河童……)

 自分に言い聞かせて一生懸命消化し、空は一つ頷き、青年を見上げてパッと笑顔を見せた。

「そらです、はじめまして!」

 空は、とりあえず全てを忘れて笑顔で挨拶しときゃ何とかなるだろうという結論に達した。

 でも河童なのにカワナガレっていう名前はどうなんだろうとちょっと疑問に思った。

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