49:お待ちかねの朝

 夜明けと共に蝉の声が聞こえ出す、そんな夏のある朝。


「かわあそび!」

 空はその日、いつも起きる時刻よりもずっと早く目を覚ました。今日は待ちに待った川遊びの日なのだ。

 むくりと起き上がって目を何度か擦り、ハッと覚醒するなりそう叫んだ孫を雪乃も幸生も可愛くて仕方がないと言う顔で見つめていた。

「おはよう空、川遊びは朝ご飯の後でね。さ、顔を洗って着替えましょうね」

「うん! あ、じぃじ、ばぁば、おはよーございます!」

「……おはよう」

 二人に挨拶して空は布団から抜け出し、大急ぎで洗面所を目指す。洗面所には空の為の踏み台が置いてある。空はそこによいしょと上がり、水を出すとパシャパシャと顔を洗って、自分でちゃんと歯磨きもした。空はこういう時だけは中身がちょっとだけ大人で良かったと思う。

「空、甚平洗っておいたから、今日はこれ着てね」

「うん!」

 スイカを採りに行く日にも着た甚平は涼しくてすっかり空のお気に入りだ。外に出かける日にはよく着ている。

 顔を拭いて寝室に戻るときちんと畳んだ甚平が置いてあった。空はさっそくパジャマを脱いで半ズボンを履き、羽織に袖を通すと、雪乃に紐を結んで貰う。空の小さな手ではまだ上手に紐を結べないのだ。

「はい、結べたわ。じゃあ朝ご飯作るから、ちょっと待っててね」

「あい!」

 雪乃と一緒に台所に来ると、食卓にはヤナがすでに座っていた。

「おはよう、空。早いな」

「ヤナちゃんおはよー!」

 空が元気に挨拶するとヤナはにこりと笑い、窓の外を指さした。

「楽しみで仕方ないという顔をしておるな。良かったな、多分今日は一日良い天気だぞ」

「ほんと!? やったー!」

「良かったわね、空。でもあんまり長く遊ぶと疲れちゃうから、お昼に一度帰ってきましょうね」

「えー……」

 一日遊べるのかと思っていたがどうやらそうではないらしい。空はちょっと不満そうな声を上げた。

「空、どの家の子も大体そうだぞ? 夏は空が思うより疲れるし、昼寝もせねば大きくなれぬしな」

「うーん……じゃあ、そうする」

 大きくなれないと言われては仕方ない、と空は渋々頷いた。せっかく順調に育ち始めたばかりなので、空はぜひとももっと大きくなりたいのだ。幸生ほどの身長でなくてもいいが、将来は自分の父の隆之くらいにはなりたかった。



 今日も美味しい朝食をたっぷりと食べた空は、玄関に座ってそわそわと時間が来るのを待つ。

 ゆらゆらと小さく揺れる背中を眺めて微笑みながら、雪乃はリュックにタオルや水筒を詰めて準備をしていた。

 ちらりと時計に目をやれば時刻は八時になろうかというところだ。そろそろかと雪乃が視線を戻すと、丁度空が立ち上がるのが見えた。

「ばぁば、きたよ!」

 空が玄関を指さしてパッと笑顔を浮かべる。玄関の向こうからはどすどすと重たい音が近づいてくるのが聞こえた。

「ハイハイ、じゃあ草鞋を履きましょうね」

「うん!」

 空はもう草鞋に足を突っ込んで準備万端で待っていた。雪乃は玄関に下りてその草鞋の紐を結んでやる。

 大人しく足を差し出しながらも、空は待ちきれなくて今にも走り出しそうだった。


「はい、良いわよ空」

「ありがとー!」

 空は雪乃の手が離れるや駆けだした。玄関の扉をうんしょと開くと、その向こうには久しぶりに見る大きな亀の姿がある。

「キヨちゃん!」

「おう、空くん、おはよう」

「おはよーございます!」

 キヨの背に乗る田亀が空に手を振る。空もパタパタと振り返すと、キヨの顔のところへと近づいた。

「キヨちゃんなでていい?」

「おう、良いよ。やあ、雪乃さんおはよう」

「おはよう、田亀さん。今日はよろしくね」

 小さな子供たちが利用できる川遊び用に整備された場所は、村の北を流れる川の丁度真ん中くらいに位置している。東の端にある米田家からは結構遠い。

 雪乃はまだ遠くまで自分では歩けない空の為、乗り合いバスの迎えを依頼しておいたのだ。

「さ、乗ってどうぞ。途中で矢田さんちとかの子供らも拾っていくから、少し詰めてくれな」

「あい!」

 キヨのほっぺたを撫でていた空は元気よく返事をし、雪乃が開けてくれた扉からバスに乗り込むと、端っこの席にちょこんと座った。

 扉が閉まったのを確認して、バスがゆっくりと動き出す。空は二回目なのでもう驚かず、うきうきと窓の外を眺めた。次の目的地はすぐお隣なのであっという間だ。


「そらー、おはよ!」

「アキちゃん、おはよー!」

 矢田家の玄関の前で待っていた明良が窓越しに空を見つけて手を振る。空も立ち上がって笑顔で手を振り返した。

「おはよう、美枝ちゃん。今日は美枝ちゃんが一緒なのね」

「雪乃ちゃんおはよう。今日は暇だったのよ」

 雪乃と美枝も笑顔で挨拶を交わす。さらにその先で武志と結衣を拾い、バスはゆっくりと村の北へと向かった。

「今日良い天気で良かったな!」

「ねー!」

 武志も結衣も嬉しそうな笑みを浮かべている。空も嬉しそうに二人に頷き、それから明良も含めて皆に問いかけた。

「あんね、ぼく、かわはじめてなんだけど……みんななにしてあそぶの?」

 川遊びというものに空は長い間憧れを抱いてきたが、実際にやったことはないのでそのイメージは漠然としている。

 前世のテレビでは岩から飛び込む子供たちの姿を見たことがあるが、それ以外は釣りくらいしか思いつかなかった。

 なので、皆が普段何をして遊んでいるのか教えて貰って、一緒に出来そうなことには交ぜて貰おうと思っていたのだ。

 空の質問に、明良が笑って膝に乗せていたリュックをぽんと叩く。

「おれすこっぷもってきた! あとあみも!」

「わたしもー!」

「すこっぷと……あみ?」

「スコップで穴掘って遊んだり、あと網でカニとったりするんだよ。俺、そろそろ釣りやってみたいんだけど、まだダメって言われるんだよなー」

「たのしそう……」

 空が呟くと、雪乃が手を伸ばしてその頭を優しく撫でる。

「空のスコップと網も、ちゃんと新しく用意しておいたわよ。あとこの前善三さんが竹の水鉄砲作って持ってきてくれたのよ。皆の分もあるから、それで遊んだりも出来るわ」

「みずでっぽう! たのしそう!」

 大喜びする空に、美枝がくすくすと笑う。

「善三さんも空くんに甘いわねぇ。幸生さんが頼んでくれたの?」

「そうみたい。でも善三さんも紗雪の事可愛がってくれてたから」

「ぼく、ぜんぞーさんがこんどきたら、おれいいうね!」

「そうね、きっと喜ぶわ。あとでカニを獲ってお礼に持って行っても良いかもね」

 カニというと、沢ガニという奴だろうかと空は首を傾げた。空の想像では、沢ガニは食べるには小さいんじゃないかと思うが、しかしこの村では実際に見るまでは分からない。カニ、と空が呟くと、明良が笑顔で頷いた。

「カニな、おいしいんだ! あとえびもおいしいよ!」

「おいしいの!?」

 魔法の言葉に空の瞳が輝く。美味しくて、かつ子供でも獲れるというのなら、空が挑戦しない訳がない。

「あとでいっしょにとろうな」

「うん!」

 空の期待を乗せて、バスはどすどすと足音を響かせながら川へと向かっていった。

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