47:優しい失敗
「お、やっちまったか?」
「あ、じーちゃん。へへ、やっちゃったー」
空が畑を睨んでいると、横から声が掛かった。秀明が様子を見に来てくれたのだ。
秀明はベタベタになった孫達を見ると懐かしそうに目を細めて笑った。
「ははは、明良が失敗するのも久しぶりだな。どれ、洗ってやろうか」
「うん!」
「空くんも、ちっと目瞑っていられるか?」
「め?」
言われるままに空がぎゅっと目を瞑ると、突然頭の上からざぁっと水が降ってきた。ビックリして思わず身を縮めたが、温いシャワーのような水はむしろ気持ちが良い。
空は目を瞑ったまま両手を出してパシャパシャと滴を受け止めた。水はひとしきり空の体を濡らした後、今度はしゅわしゅわと抜けて行く。
「よし、もう良いぞ」
その声にそっと目を開けると、スイカの汁でベタベタだった顔も体もさっぱりと洗われ、洗ったことが嘘のように甚平も乾いていた。
「べたべた、しない……すごい! ありがとう!」
「ありがとー、じーちゃん!」
「おう、お安いご用だ。頑張ってスイカ採ってきな」
「うん!」
元気よく頷く明良の頭を撫で、それから秀明はしゃがみ込んで空の顔を覗き込んだ。
「空くん、スイカ初めてだろ。良いもん貸してやろうか」
「いいもん?」
「ちょっと待ってな」
秀明はそう言って立ち上がると、農具などがしまってあるらしい小屋の方へと歩いて行った。
子供たちが素直に待っていると、すぐに戻ってきた。
「ほら、これだ」
「……はた?」
手渡されたのは、空の腕より少し長いくらいの細い棒の先に、三角の赤い布が結びつけられているものだった。どう見ても旗だ。
「小さい子はこういうの合図に使うんだよ。これを高く上げてパタパタ振れば、見やすいだろ?」
「あー、そうだった! それ借りれば良かったんだ!」
「はは、武志は忘れてたか。まぁ、ここいらの子はすぐ自分で採るようになるから、これを使うのは本当に小さいうちだけだしな」
ほら、と手渡された旗を空は大事そうに両手で持った。
「ありがとう! ぼく、これでがんばる!」
「おう、頑張りな。スイカは大人でもうっかり踏んじまったりして、たまに失敗するのさ。何度でもおじさんが洗ってやるから、楽しんできな」
「あい!」
ふん、と鼻息も荒く、空は再び畑を目指した。さっき失敗した場所までまた一生懸命蔓を乗り越えて戻る。今度は探すべきは迷彩模様だと分かっている。空は飛び散った赤や緑の破片を避けつつ、身を低くしながら大きな葉っぱを次々にめくった。
(あ! あっ……た?)
あった。迷彩柄の、大きな、四角いものが。
見つけた実はさっきのような丸じゃなかったので、空は軽く混乱した。しかし、形は違えど多分これもスイカで良いんだろうと思い直して、空は立ち上がると旗を勢いよく掲げてパタパタ振った。するとそれに気づいた明良がすぐに駆けてくる。
近くまで来た明良に、空はそっと葉っぱを持ち上げて見つけた四角いスイカらしきものを示した。明良は葉っぱの下を覗き込んで、うん、と頷くと手振りで少し空を下がらせた。そして手に持っていた鎌をそっと下に置き、もう片方に持っていた棒をぎゅっと握る。
その棒をどうするのかと空が黙って見守っていると、明良はそれをスイカめがけて勢いよく振り下ろした。
「っ!?」
ぼぐっと鈍い音がして、スイカが揺れる。破裂する、と空は思わず身をすくめたが、明良は棒を素早く鎌に持ち替え、今度はそれをさっと横薙ぎに振るった。その一撃で実の付け根の蔓がスパンと切り離される。
「よし!」
明良が小さく声を上げ、それからスイカに手を伸ばした。しかしスイカは五歳児の手で持つには大分大きい。空はそれをハラハラしながら見守った。
「よっと……おっきいけど、しかくいからなんとか……」
明良がスイカをどうにか持ち上げフラフラと立ち上がると、近くで見守っていたヤナがそれを支えて受け取ってくれた。
「ヤナが持とう。向こうに運んでおくから、二人はまた別のスイカを探すと良い」
「ありがとう、ヤナちゃん!」
周囲にいるかも知れないスイカを警戒して、空は小声でヤナに礼を言った。それから明良にも。
「あきちゃん、ありがとう!」
「うん、みつかってよかったな! もっとさがそうな!」
「うん! あ、ねぇあきちゃん、すいか、なんでぼうでたたいたの?」
破裂するかと思ってドキドキした空は、それを聞いておかねばと思っていたのだ。すると明良は足下に落とした棒を拾い上げそれを両手で構えて見せた。
「あんな、すいかはこれでばしっとたたくと、ちょっとだけきをうしなうんだって。それからかまでさってねもとをきると、もうばーんてならないんだよ」
「きをうしなう……?」
それは本当に植物なんだろうかと空は疑問に思ったが、明良はうん、とただ頷く。そして離れた所にいる祖父をちらりと振り返り、ちょっと悔しそうな顔で首を横に振った。
「おれだと、たたかないと、はものちかづけるだけでばーんしちゃうんだ……じーちゃんみたいにおとなだったら、けはいけしたりできるし、ちょっとはなれたとこからきっても、ちゃんとくきだけきれるんだけど」
「あきちゃんでも、まだむりなの?」
「うん。タケちゃんもまだだもん。でもぜったいできるようになるけどな!」
そう言って明良は屈託のない笑顔を浮かべた。空も釣られて笑いたくなるような、明るい顔だ。
「ぼくも! ぼくも、ぜったいできるようになる!」
「うん、そらもな! そしたらはたけじゅうのすいか、みんなでとりつくそうな!」
「うん!」
いつか、スイカの山の上で皆で笑う未来が見えたような気がして空は力強く頷いた。
「おお、沢山採ったなぁ」
「少し採りすぎな気もするが……まぁ空は沢山食べるから良いか」
畑の端にゴロゴロと転がされたスイカを見て、秀明とヤナが笑う。
子供たちが見つけては採って来たスイカは全部で十数個ある。空は頑張って四個見つけて、リベンジも果たしすっかり満足だ。
空は自分が見つけて明良や結衣に採って貰ったスイカを見比べた。どれも大きくて立派だが、その形が全部違う。
空が見つけたスイカは丸や四角、大きな楕円形、さらにはひょうたん形までと、実に様々な姿をしていた。他の皆が採ったスイカも同じようにバラバラの形をしている。あまりに色々あるので何故かとヤナに問うと、「個性だぞ」と言われたので、空はもうそういうものなのだと諦める事にした。
(形はもう何でもいいんだ……大事なのは味だもん)
そう達観する空の横で、ヤナは空が見つけたスイカを持ってきていた雪乃の魔法のリュックに次々入れて行く。
「空、一つはここで食べるか?」
「うん!」
ヤナの言葉に空は嬉しそうに頷いたが、秀明がそれを止めた。
「空くんが採ったのは持って帰って食べな。ここで食べる分はさっき俺が採って冷やしておいたからよ」
「ほんと!? ありがとう!」
「やった、じーちゃん、おれのどかわいた!」
「わたしもー!」
「おう、小屋にあるからスイカしまったら皆でおいで」
「はーい!」
冷たいスイカがあると聞いて、子供たちは急いで自分のリュックにスイカを押し込める。
空も明良のリュックの口を支えて手伝い、それぞれのスイカは平等に皆のリュックに収まった。
「じーちゃん、スイカちょうだい!」
「手は洗ったか?」
「みんなあらったよ!」
外にあった井戸の水で綺麗になった手を皆で見せて、子供たちはくすくすと笑う。そんな子供たちの目の前に、切り分けられたスイカがまな板に並んだままどんと置かれた。
「ほら、冷えてるうちに食え!」
「いただきまーす!」
口々にきちんと挨拶してから子供たちはわっとスイカに手を伸ばした。空も大きな一切れを渡してもらい、両手に持って齧りつく。
しゃく、と思い切り噛むと、口の中に甘い汁が溢れた。まだ午前中とはいえずっと外にいたので皆喉が渇いている。冷えたスイカが何よりも美味しく感じられ、空はしゃくしゃくとかき込むようにスイカを口に運んだ。
「ふはぁ……おいしい、あまぁい」
乾いた体に染み渡るような瑞々しい甘さに、うっとりとしたため息がこぼれる。
気づけば手に持ったスイカはもう皮だけになっている。隣で珍しくスイカを食べていたヤナが、その皮を引き取ってもう一切れ渡してくれた。
「ヤナちゃん、おいしーね!」
「ああ、ヤナも喉が渇いていたから有り難いな。今日は頑張ったな、空」
「うん!」
「そら、またいっしょに、スイカとりこような!」
「あ、ゆいも!」
「そうだな、夏の間、みんなで何回も来ような!」
「うん、つぎはぼくも、ぼうもってくる!」
「えー、そらにはまだはやいよ!」
あはは、と笑う皆の顔はスイカの汁でベタベタだ。空も笑いながらまたスイカに齧りつく。皮の際まで甘いスイカは、爽やかな真夏の味がした。
「またねー!」
「ばいばーい!」
お昼が近くなった頃の帰り道。矢田家の前で明良と別れ、空はぶんぶんと手を振ってから、またヤナと歩きだした。歩きながら、泣くほどビックリしたけど、楽しくて美味しかったスイカ採りのことをふと思い返す。
「……ねぇ、ヤナちゃん」
「うん? 何だ空」
「あんね、なんで、すいかがばーんってなるって、おしえてくれなかったの?」
スイカを採りに行く、と言っても誰もそれについて教えてくれなかったと、空は今更ながら気がついて首を傾げた。予め聞いていたら、きっと泣くほど驚くことはなかったと思うのだ。
「おしえてくれれば、ぼく、なかなかったのに……いじわる?」
ヤナは空を見下ろし、それから困ったような笑顔を見せた。
「あのな、空。この村には、危険な事がいっぱいあるだろう? 危ない事、駄目な事は、ヤナはちゃんと空に言ってきたな」
「うん」
「だがスイカは、まぁ破裂はするが、怪我をするほどのものでもないのだ。失敗しても、安全なのだぞ」
「しっぱいするって、しってたの?」
「誰でも最初は大体失敗するからな。この村ではそういう風に安全に失敗できることというのは、そう多くはない。だから大人達はそういう機会を子供達から奪わぬようにしておるのだ」
わざとだったと聞いて、空は少し唇を尖らせた。確かに経験にはなったけれど、すごくビックリしたので少し不満だ。そんな空の頭を宥めるように撫で、ヤナは続けた。
「空が失敗したのを、誰か笑ったか? 明良は恥ずかしそうにしていたか?」
「ううん」
「そうだろう。あのな、していい失敗なら、沢山しておいた方が良いのだぞ。そうしたら、どうしたら失敗しないか考えたり工夫したりしながら、色々な挑戦ができる。それは予め何でも教えられてする一回の成功より、ずっと価値のある失敗だ。ちっとも恥ずかしい事じゃない。この村では皆そうやって大きくなる。子供のうちにする沢山の失敗が、この村で生きる力を育ててくれるのだ。空も、二つ目からはちゃんと見つけて静かに明良を呼べただろう?」
「うん……ぼくも、すいかみつけて、うれしかったよ」
二つ目に見つけたスイカを明良と収穫した時の事を思い返し、空はそう呟いた。
「良かったな」
「うん」
「安全な失敗なら、今のうちにいくらでもしておけ。後片付けなら雪乃らやヤナに任せておけばいいからな」
「うん。ありがとう、ヤナちゃん」
空はヤナを見上げて笑い、手を繋いでぎゅっと握る。ヤナの手は少しひんやりしていて、けれどいつも優しい。この村には空の成長を見守ってくれる優しい人が沢山いる。
「でもね、ヤナちゃん……ぼく、すごくびっくりしたから、つぎはびっくりするかもって、ちょっとだけおしえてくれるとうれしいなぁ」
「そうか? ふふ、ならば少しだけな」
「うん!」
いつか、村で出会う優しい人達のように、大きく強くなりたいなぁと空も思った。
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