春の野原

11:家に付くもの

 空が魔砕村に越してきてから、今日で一週間が経った。

 その一週間空が何をしていたかと言えば、毎日ただひたすらに寝ていた。

 虫取りに戦きつつ祖父母の家に着いた途端、空はコトンと気を失うように眠ってしまったのだ。そしてそれからずっと目を覚ましても体がだるく、起き上がれない。ご飯は雪乃が雑炊や消化のいい果物を口に運んで食べさせてくれるが、それ以外はとにかく眠くて長く起きていられないのだ。

「今まで足りなかった魔素を、空の体がすごい勢いで吸収してるみたいね。魔素は寝てる間に魔力に変換されるから、多分その為に眠くなるんだと思うわ。必要な分の魔力が変換されて体に行き渡ると楽になるからね」

 雪乃によればそういうことらしい。

 熱もあるようで、雪乃が時々氷嚢を変えてくれたり冷たい飲み物を飲ませてくれる。体のあちこちが軋むように痛んだりもしてそれなりに辛かったが、空は元から具合が悪いことには慣れている。今までを思えば、咳が出ないだけまだマシだった。眠ってしまえば大抵のことは意識の外なので、空はこの一週間大人しく眠って過ごした。


「空、具合はどう?」

 空は雪乃に起こされて目を覚まし、飲み物を貰って飲んだ。少し甘しょっぱい、スポーツドリンクのような味がする。乾いた喉に染み入る味だ。空はゆっくりと喉を潤してから、雪乃の方を向いた。

「んと……もうあつくないよ」

 そう答えると雪乃の手のひらが空の額に当てられる。

「お熱は下がったみたいね。体の痛いのはどう?」

「うーん……まだいたい、みたい?」

 軽く腕を動かすと関節が軋む。膝も痛いようだし、寝過ぎたのか背中も軋んだ。祖母は空のお腹に手を当ててしばし目を瞑る。

「魔力は大分巡ってるわね……魔素も六割は維持してるみたいだけど、吸収した端から魔力にしているみたいだから、もう少しご飯増やした方がいいかしらね。空、またご飯食べる?」

 呼吸による吸収だけでは足りないだろうと、雪乃は定期的に空を起こしては、水と食事を取らせている。空は少し考えて首を横に振った。

「ぼく、もうちょっとねる……」

「そう、じゃあもう少ししたらまた起こすわね」

「うん……」

 雪乃は空を寝かせて布団を掛けると、部屋を出て行った。空はうとうとともう半分眠りに入りかけている。このまま夢の世界に落ちようかという頃、不意に、カタン、と部屋のどこかから音がした。

「……?」

 その音が何となく気になって、空は閉じていた目をうっすらと開いた。今は昼間だが、明かりを消してカーテンも閉じてある部屋は薄暗い。ぼやけた視界に入るのは、都会ではお目にかかれないような太く大きな梁と、それに支えられた高い天井と……目が、二つ。


「!?」

 ビクッと体が勝手に震え、空は慌てて堅く目を閉じた。意識が一気に覚醒する。浅く息を吐き、それからもう一度さっき見たものが気のせいだったと確かめようとゆっくりと瞼を開け、そして……やっぱり何かいる。梁の上の端、天井との隙間が作り出す、微妙な暗がりにいる何かと、確かに目が合った。

 空はヒュッと息を吸い込み、しばらく止め、それから思い切り吐き出した。

「ば……ばぁばー! なんかいるうぅぅうう!」

 もう恥も外聞もない。半泣きで叫ぶと、慌てて雪乃が飛び込んできた。

「空!? どうしたの!」

「ばぁばっ……! あそこっ、なんかいるうぅ!」

 駆け寄ってきた雪乃に必死でしがみつき、空はぎゅっと目を瞑って震えながら天井を指さした。

 雪乃は空の指さす先を見てハッと息をのみ、それから声を張り上げた。


「こら、ヤナ! 下りてきなさい!」

 その声に空の体がまた揺れる。その背を宥めるように撫でながら、雪乃は天井から下りてきた何者かをきつく睨んだ。

「ヤナ、駄目でしょう脅かしちゃ! 空がビックリするだろうから寝てる間に近づいたら駄目って言っておいたでしょ!」

「……ヤナは悪くないぞ! いつまでも紹介してくれない雪乃が悪い! ヤナだって、お世話したいのに!」

 甲高い、怒ったような声が答える。祖母にしがみついていた空は、その声に驚いて少しだけ顔を上げた。そろそろと顔を動かして声の方を見ると、そこにいたのは黒地に赤い椿模様の着物を身に纏った、十歳くらいの可愛らしい女の子だった。

「だからって、天井に張り付いて見に来る事無いでしょう! ごめんね、空、驚かせて……」

「う、ううん、だいじょうぶ……ばぁば、だれ?」

 まだドキドキする胸を抑えながら、空は女の子を見つめた。女の子も空をじっと見つめて嬉しそうに頷く。その動きで、肩に付かない長さで切りそろえられたおかっぱがゆらゆらと揺れた。


「この子は、うちの家の――」

「ヤナは、米田ノ家守ノカミ、ヤナリヒメだ! ヤナと呼んで良いぞ!」

「ヨネダノ、イエモリノカミ? ……んんと、ヤ、ヤナちゃん?」

 名を呼ぶと女の子がにっこりと笑う。金色の瞳がキラリと光って、黒い瞳孔が縦にきゅっと伸びて細長くなり、空は思わずビクっと小さく震えた。

「空、この子はねぇ、うちの家を守ってくれる精霊みたいなものなんだけど……なんて言えば空にわかるかしらね? 座敷童みたいな……うーん、神様っていえば、わかる?」

「かみさま? かみさまって、おそらにいる?」

「そうね、神様は大抵お空にいるけど、そうじゃない神様もいるのよ。ヤナはお空にいくにはまだ早い、神様の卵って感じかしらね」

「たまご……」

(意味はわかるけど、世界観的にますますわからない!)

 空の困惑は深まるが、しかしとりあえずホラーな意味で怖いものではなかったらしいので、同時にホッとする。雪乃とはよく知った仲のようだし、この際、敵対的な存在でなければ良いことにしようと空は深く考えるのを止めることにした。


「えと……ヤナちゃん、ぼく、そらです。こんにちは」

「うんうん、よろしく空! この家と一緒に、お前の事もヤナがしっかり守ってやるからな!」

「あ、ありがとう……びっくりして、ごめんなさい」

「ヤナこそ、驚かしてすまんかったな! 空が来た日からずっと楽しみにしておったのに、雪乃が全然紹介してくれんから焦れてしもうてつい……」

「だからって天井に張り付くのは止めなさい。ホント、そういうとこはヤモリなんだから……」

「ヤモリ……?」

 ヤモリという名は、爬虫類の一種だと空の知識にある。しかし前世も含め、その実物は見たことがなかった。目の前の少女のどこにもヤモリらしいところは……瞳以外は、ない気がする。黒と赤が目立つ着物の色柄から、どちらかと言えばペットショップで見たことのあるイモリの方を思い出した。

 この少女とヤモリというのが上手く結びつかないが、積極的に突っ込むのも何だか少し怖い。空の常識にない現実を受け入れるには、心の準備と余裕が必要なのだ。けれどさっき驚き過ぎた空には、今その余裕はなかった。

(考えるな、僕……感じるんだ……もうそういうものだと思おう。そんでもう寝よう)

 驚いて血圧や息が上がったせいか、また熱が出てきたのか、どうにも頭がくらくらする。

 全ては元気になってから考えることにして、空はとりあえず予定通り寝てしまうことにした。

 けれどその前に、やっておかねばならない事が一つある。空は覚悟を決めて雪乃の服を引っ張った。


「ばぁば……あのね、ぼく、おむつかえたい」

 ビックリして盛大にチビっていた空は、子供っぽさを前面に出しておずおずと自己申告した。

 オムツをはいていて良かったと今だけは心から思った。


(寝こんでるんだから、オムツでも仕方ないんだってば!)

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