9:出来れば猫が良かった
「空、ここからはバスよ。もうちょっとでおうちだからね」
「うん!」
少し昼寝して元気になった空は幸生に下ろして貰って、バス停のベンチに座る。少し歩こうと思っていたのだが、この辺はまだ寒いからと雪乃が自分のストールを貸してくれてぐるぐる巻きにされたので諦めた。そこから出た小さな足をぶらぶらさせながら、空は気持ちの良い山の空気に深呼吸をし、ついでに周囲を観察した。
山を切り開いて建てられた駅は本当に小さくて、去って行った装甲列車がありえないくらい似合っていなかった。無人だし、当然売店などもなくホームと素通しの小屋のような駅舎があるだけの、秘境駅と言われても全く反論できない見た目だ。そんな駅舎の周囲はぐるりと木々に覆われ、小さな駅前広場から伸びる農道のような細い道路が林の中に続いている。
「バスって言っても小さな車だけどね。列車の時刻表に合わせて村と駅を往復してるから、そろそろ来るでしょ」
雪乃の言葉に、村の有志が運営してるって言ってたっけそういえば、と空は思い出す。乗り合いタクシーみたいなものかなと思っていると、遠くからかすかに地響きが聞こえた。
「あ、来たわね。あなた、荷物お願いね」
「ああ」
どすどすと重い音と振動が山道を登ってくる。何だろうと思っていると、林の影からにゅっと何か大きなものが顔を出し、空と目が合った。
「ひぇっ!?」
空は思わずベンチの上でびくりと体を揺らした。
その何かは、駅舎の前に人がいることを確かめるとどすどすと近寄ってきた。
大きくて、足が太くて、首が長くて、甲羅がある。そしてその甲羅に何か付けてあって、四角い箱のような物を引っ張って歩いている。
「か、か、かめ……」
「こっちよ、田亀さん! 空、バス来たわよ」
(これがバス!? 僕の知ってるバスと違う!!)
空が今日何度目かの驚きで目を見開いて固まっている間に、巨大な亀はどすどすと駅前の広場までやって来た。広場と言ってもただ森を切り開き、土を踏み固めたような空間があるだけだ。亀が歩くと地面が揺れて土埃が舞う。
「おう、米田さん、お帰り! どうだった東京は」
亀がしゃべった、と空が更に驚いていると亀の甲羅の上に誰か人が乗っているのが見えた。日に焼けた気の良いおじさんといった風貌の人がひょいと身軽に亀の背から下りてくる。
「特に変わりなかったわよ。相変わらず人が多くて息苦しいとこよ」
「そうかい。お、そっちのちびちゃんがお孫さんかい? 魔砕村にようこそ!」
そう言いながら田亀と呼ばれたその人は空の前まで来ると、しゃがんでにっかりと笑った。
「こ、こんにちは! そら、です!」
空は動揺を振り切るように元気良く挨拶して頑張って笑った。すると田亀は手を伸ばして空の頭を優しく撫でてくれた。
「いやぁ、可愛いな、紗雪ちゃんの小さい頃にそっくりだ! 空くん、おじさんは田亀っていうんだ、よろしくな。良かったなぁ米田さん、可愛い孫と暮らせて!」
「あら、療養なんだからそんなこと言っちゃ駄目よ……と言いたいんだけど、そうよ、可愛いの! すごく嬉しいのよ!」
雪乃がにこにことそう言うと、幸生は照れているのかぷいとそっぽを向いた。
「ごめんね、空、空は家族と離れたのに喜んじゃって」
「ううん、ぼくもじぃじとばぁばといっしょ、うれしいよ! あとねー、ここ、なんかすぅってするとぽかぽかする!」
空がそう言うと雪乃は田亀と顔を見合わせた。
「空、息を吸うと暖かいの?」
「うん! おうちでは、すぅってするとこのへんがひんやりして、むずむずして、せきがでたの。ここあったかいね!」
空は自分の胸に小さな手を当てて、パタパタと足を揺らした。
深呼吸を何度かして空は気がついたのだが、むしろ呼吸をする度に体が楽になるような気がしていた。山の空気はひんやりとしているのに、息を吸うと肺の中からふわりと暖かくなり、体が軽くなる気がするのだ。都会では呼吸するだけですぐ咳が出て苦しい事が多かった空には、それがもうすでに嬉しかった。
「ひょっとして魔素の純度がわかるんかな。こりゃ将来有望だな」
「空はやっぱりこっちの空気の方が合ってそうね。きっとすぐ元気になるわね」
そうならもっと嬉しいなぁと空が考えていると、不意に体がふわりと浮いた。
「そろそろ行くぞ。遅くなる」
空を持ち上げたのは幸生だった。幸生の言葉に田亀も慌てて振り向いた。
「おう、そうだった。キヨ! 向き変えるぞー」
田亀が手を振ると、亀がぐぅと低い声で答えてもそもそと動き出す。キヨというのが亀の名前らしい。
亀が向きを変えると、その後ろに付けられていた四角い箱のような物がよく見えた。空の知識の中で言えば、キャンピングトレーラーという物に似ている。小型の牽引タイプのキャンピングカーだ。
「よし、乗ってくれ。客はどうせ米田さん達だけだろ?」
「私たち以外には降りなかったわ。お客さんあんまり増えないわね」
「こんなド田舎まで来るのは、住人の親戚か、一攫千金狙いの馬鹿くらいなもんだからな。俺の当番はキヨの散歩を兼ねてるから、一日一回や二回くらい空振りしても問題ないさ」
幸生に抱き上げられ視線が高くなった空は身を乗り出して亀の背を見た。その太い胴から甲羅にかけてぐるりとハーネスのような帯が回り、それがキャンピングトレーラーと亀を繋いでいる。そしてそのつなぎ目の辺りに運転席というか、御者席というかがあるらしい。田亀は米田一家を客車に入れると、その運転席に身軽に乗り込み亀を発進させた。
乗ってみると客車は不思議な造りだった。こじんまりとした空間の真ん中に四人がけくらいの座席が背中合わせに二つ設置してあり、壁の両側と後方に出入り口が一つずつ、計三つと、空いたスペースに小さな窓が並んでいる。
空はその背中合わせの座席を不思議に思いつつ、幸生に下ろして貰って腰を掛けた。窓から外を見ると、景色がするすると横に流れていく。どすどすという大きく重い音の割に、車の進みは速く思いのほか滑らかだった。
「……かめさん、はやいね」
「そうね、キヨちゃんは早駆け陸亀だから、走るのは得意なのよ。力持ちだしね」
「すごいんだねぇ」
空の前世には多分いない亀だったが、もうそういうものなのだと諦めるしかない。そう空が内心で自分に言い聞かせている事も知らず、雪乃は話を続けた。
「この亀さんはすごいのよ、自前で結界を張る能力があるから、いざという時はこの客席までちゃんと守ってくれるの。さっきの装甲列車なんて目じゃないくらい堅いのよ。ねぇ、あなた」
「うむ……キヨは強い。大猪に突進されてもびくともしないからな。あんなもんよりずっと安心だ」
幸生も大きく頷き、太鼓判を押す。
すると運転席の後ろにある開いた窓から田亀が笑う声がした。
「里で一番強い米田さんに褒められたならキヨも俺も鼻が高いなぁ」
その言葉に空は幸生を見上げた。
「じぃじ、いちばんつよいの?」
「む……いや、まぁ……腕力は、な」
「ふふ、空、じぃじは強いわよ! でも強さってのはそれだけじゃないからね。私は直接の攻撃力はそこまで高くないけど様々な技術を持っているし、田亀さんだって名うての魔獣使いなのよ」
「みんなつよい?」
「ああ。まぁ、ここじゃあ、そうだな……」
幸生は頷いたものの、何か言いたげに語尾を濁す。
そうでないと生き残れない、と幸生は口にはしなかったが、空は何となくそれを察した。
(田舎怖い……ていうか、魔獣使いっていうのも新しい単語だったな)
言葉の感じからも、この亀からも何となくそれが何なのかはわかったから突っ込まなかったけれど。
「ぼくもつよくなれるかなぁ」
「あら、きっとなれるわ。大丈夫。空は魔力もきっと多くなるだろうし」
「どんな風に強くなるかは、ゆっくり探せば良い。今は早く元気になれ」
「ははは、楽しみだなぁ米田さん! 空くん、もしキヨみたいな生き物に興味があるなら、俺んとこに遊びにおいで。色々見せてやっからな!」
「うん!」
空は元気に頷いた。とりあえず今まで通り中身はともかく外見は子供らしく振る舞って、色々なことを積極的に学んでいこうと心に決めて大人達ににこにこと笑顔を見せておく。
(子供のうちにそれに甘えてとにかく色々経験するしかない……死にたくないし!)
祖父母が守ってくれるうちに頑張らなければ、と空は気合いを入れ窓の外に視線を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます