5:死ぬよりは多分マシ

「よく食べたわねぇ」

 すっかりお腹を膨らませた空を膝の上に乗せ、雪乃は嬉しそうに頭を撫でてくれた。

 けれど空は少し落ち込んでいた。三段の重箱はすっかり空っぽで、一つは空の、一つは幸生の、残り一つは雪乃と紗雪のお腹にすっかり収まってしまった。

「どうしたの、空。食べ過ぎて苦しいの?」

 元気をなくした空の顔を、紗雪が覗き込む。

「ううん……おなか、いっぱいになった」

「ほんとに? 良かった……じゃあ何でそんなしょんぼりしてるの?」

 紗雪に問われ、空は綺麗になった重箱を見た。

「あんね、すごくおいしかったのに、ぼく、いっぱいたべちゃった……りくとか、みんなにわけてあげなかったの」

 あんなに美味しい物を他の家族に分けずに食べてしまったことに罪悪感があるのだ。落ち込む空の頭を、雪乃がまた優しく撫でてくれる。

「それで落ち込んでたのね、良い子ね。大丈夫よ、隆之さんや樹くんや小雪ちゃん、あと陸くんにも、ちゃんとお菓子をお土産に持ってきてるのよ。それにね、あのおにぎりは魔素が強すぎて私たちみたいな田舎育ちか、空くんみたいな体質の人以外は食べられないのよ。だから最初から、空くんと紗雪に食べさせるつもりで持ってきた物なの」

「そうなの?」

「そうよ。普通の人が食べると、逆に具合が悪くなっちゃうのよ」

「そっか……ありがと、ばぁば」

 そう言って笑顔を向けると、雪乃も嬉しそうに笑う。

「どういたしまして。さて、どうかな空くん。お腹いっぱいになったら、どんな気分かばぁばに教えてくれる?」

 空はその言葉に自分の体に意識を向けた。記憶にある限り多分初めての満腹感だ。腹の底からぽかぽかと温かく、空の体の中でいつもの発熱とは違う何かが全力で働いているのがわかる気がした。

「なんか、おなかぽかぽかする。そんで、ぎゅんぎゅんしてる?」

「どれどれ……」

 子供のわかりにくい言葉も気にせず雪乃は空の薄い腹に手を当て、目を瞑った。

「うんうん、魔素がいっぱいになって、魔力器官が全力で仕事してるみたいね。魔力への変換は順調……いえ、大分早いわね。今まで足りなかった分が急に入ってきて、体が少しびっくりしてるかしら……でも大きな問題はないみたい。このあとちょっと長く眠るかも知れないけど、これならとりあえず一週間くらいは調子よく過ごせるんじゃないかしら……でも、本当に魔力の器が大きいのねぇ。里でもこんなに大きい子は滅多に生まれないわよ」

「そんなに? 母さんの爆弾みたいなおにぎり、一段分も食べるなんて、ホントにすごいのね……しかも米からそれを炊く水から全部里のでしょ? 私でもあんまり食べると魔素中毒になりそうなくらいなのに」

 紗雪でも食べられたのは四つまでだった。それを空は一段分で九個も食べたのだ。この小さな体のどこに入ったのか不思議なくらいだ。それと同時に、そのくらい空の体が魔素と栄養を必要としていたのに、気づいてあげられなかった事を紗雪は本当に悔やんでいた。

「空……ずっとお腹空いてたのに、気づかなくてごめんね……ずっと我慢してたんだよね」

 その言葉に空は紗雪の顔を見た。そしてふるふると首を横に振った。

「あのね……おにいちゃんが、ずっとまえにね、いっぺんにたくさんたべると、おなかいたくなるっておしえてくれたの。だからぼく、そうだっておもってたの。おなかいたいのやだなって。だからいわなかったの。ままのせいじゃないよ」

 兄のせいにするようでちょっと心苦しいが、それっぽいことは確かに以前言われたので、空はそれを理由にしてみた。完全な嘘でも無いから許してくれるだろう、多分。小学校二年生の兄、樹は今頃学校でくしゃみでもしているかもしれないが。

 母を慰めようと懸命に言葉を紡ぐ孫の頭を優しく撫で、雪乃は紗雪に向き直った。


「紗雪……やっぱり、空くんはうちに預けた方が良いと思うわ。三歳でこれなら、体が少し育てばもっと魔素がいるようになるわよ。完全に器の成長が止まれば多少足りなくても平気だし、やり方を覚えれば自分である程度何とかできるようになるだろうけど、それまで大分時間がかかるはずよ」

「うん……そうよね、やっぱり……」

 紗雪は頷いてそれから俯いた。

「父さんと母さんがいるから大丈夫って思うのに、心配で……もうずっと空に会えないんだと思うと、わ、私……」

 隆之と話し合った夜に決めた覚悟が揺らいで、紗雪は目を潤ませた。空の前で泣くまいとグッと唇を噛む。空は心配そうにその姿を見つめた。するとずっと黙っていた幸生が口を開いた。

「もうすぐ……一級指定が外れる。そうしたら、家族で会いに来い」

「え……一級指定が? ホントに!?」

 紗雪がその言葉にパッと顔を上げた。

「そうよ、紗雪。あのね、父さんね、貴女が里を出てから、ずっと頑張ってたの。村の寄り合いで呼びかけて、危険地域を村から減らそうって。そして、村を出て行った人たちが里帰り出来るようにしようって」

「父さんが……?」

「危険な動物を間引きして、山を開墾して畑や田んぼを増やして自然魔素の濃度を少しずつ薄めて……それから危険な植物も根気よく駆除して村道を安全にしたし、あちこちに結界を張った安全地帯も作ったのよ」

(本当に一体どんなとこなんだろう、その村……)

 結界って何? と内心で一人首を傾げる空を置いて、雪乃は紗雪に微笑んだ。

「今じゃ村の有志で作ったバス会社が、村までバスを出してるのよ! 朝五時に出て、乗り継ぎは多いけどお昼にここまで来れるのよ! すごいでしょ!」

 すごいの基準が空にはよくわからなかったが、とりあえず東京から六、七時間掛かる場所に祖父母の家はあるらしい事はわかった。それなら離島なんかよりもよほど近いと言えて空もちょっとホッとした。


「それ、みんな父さんが?」

「……俺だけで出来たことなど何もない」

 そう言って幸生はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「ふふ、今県の審査中だけど、村の居住区が第二指定になるのはもう決まってるの。来年までには多分認可が下りるわ。そうしたら、紗雪が一緒なら隆之さんや子供達だって、遊びに来れるのよ」

「母さん……父さん、ありがとう」

 紗雪は目尻を拭って小さく呟くと、真剣な顔で空の目を真っ直ぐに覗き込んだ。


「空……あのね、空はちょっと母さん達と体質が……体の中が、違ってて、ここじゃ大きくなれないかもしれないの。わかるかな……このおうちにいると熱が出たり、お腹がすごく空くのがずっと続いちゃうの」

「うん」

「だからね、大人になるまで、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らした方が、空はきっと元気になれるの……空はおじいちゃん達と暮らすのどう思う?」

「……ぼくだけ?」

 答えは知っていたが、空は一応そう問いかけた。

「うん……ごめんね。ママは多分平気だけど、パパもお兄ちゃん達も陸も、おじいちゃんの村にはまだ行けないし、行けても長く暮らすことは出来ないの。だから、空だけになっちゃうの……」

 空は辛そうに顔を歪める紗雪をじっと見て、それからにこりと笑った。

「わかった。あんね、ぼくへいきだよ。じぃじもばぁばもすきだもん。それに、ばぁばのおにぎりたべたらおなかぽかぽかして、ぼく、いまげんきだよ! おじいちゃんちいけば、もっとげんきになれる?」

 空の言葉に雪乃は強く頷いた。

「それは絶対なれるわ。ばぁばが約束しちゃう。ばぁばのご飯食べて里の空気を吸えば、それだけでどんどん元気になって、好きなだけ走り回れるようになるわよ」

「ほんと? やったー! まま、ぼくね、りくみたいにおそとであそんだり、ともだちつくったりしたかったの! ずっとげんきでいられるなら、じぃじのおうち、いきたいよ」

「空……」

 紗雪はその言葉にまた目を潤ませた。もっと早く大きな病院に行っていればと言う何度目かの後悔が胸に湧いたが、それでも間に合ったのだと決意を固め、強く頷いた。

「じゃあ、ママは空を、おじいちゃん達に預けます。しばらく会えないけど……行けるようになったら、すぐに皆で会いに行くからね」

「うん! そしたらぼく、ぱぱにおそとでぼーるあそびしてもらう!」

 そう言ってにっこりと笑う空が愛しく、紗雪は手を伸ばして抱きしめた。

「きっと、元気になるわ、空……ママも頑張る。空にいつでも会いに行けるように、もう一度ライセンス更新して、ダンジョンで鍛え直してくるからね!」

(えっ、ちょっ、ダンジョン!? そんなのもあるの!?)

「紗雪ならすぐ勘を取り戻せるわよ。ね、貴方」

「うむ……紗雪、お前はちゃんと、村の一員だった。今でも、だ」

「父さん母さん……ありがとう。空を、どうかお願いします」

「ええ、任せておいてね! 孫と暮らせるなんて嬉しいわぁ!」

「うむ」

 母の腕の中の空を置いて、祖父母と母は笑顔で頷き合っている。

 空はホッとする一方でまだ知らぬ事の多すぎるこの世界に困惑し、これから暮らすことになる魔境、田舎にドキドキしていた。ちょっと困惑しすぎて、ワクワクは今のところあんまりしなかった。


(ほんっとに、どういうとこなの、田舎って!)

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