4:祖父母がきた。


 その二日後。

 兄弟達が学校や保育園に行ったのを見送っての、お昼頃。

 空は母と共に急な来客を迎え、玄関のドアを開けた先にそびえる壁を見上げていた。

「いらっしゃい、父さん……久しぶり。来てくれて、ありがとう」

「ああ……」

 壁が喋った。

 壁のように空の前にそびえるのは、すごく立派な体だった。空の前に立った母はドアの外に立つ人に話しかけている。空は母の足の脇からそっと覗いていたが、祖父だという人の顔は玄関の入り口の上部に隠れてよく見えない。かろうじて顎が見えるけれど、その両肩に担がれた大きな袋の方が気になってしまう。身を乗り出そうか、でもちょっと怖い、などと思っていると、明るい声がその場に響いた。

「ちょっと、お父さん! 早くそれ下ろしちゃって! それじゃ玄関に入れないじゃないの」

「あ、母さん」

 声に押されて壁が脇に避けた。空いた空間に身を滑り込ませてきたのは、母と似た優しい面差しの女性だった。

「紗雪! 久しぶりねぇ、元気だった? 貴女ったらちっとも帰ってこないから、心配してたのよ! あら、この子が空くん? やっと会えたわ! 雪乃おばあちゃんよ!」

 このハイテンションな人がどうやら空の祖母ということらしい。母と同じくらいの背丈なので、今度は空にもちゃんと顔が見えた。

 雪乃は母と顔も体型もよく似て、スリムで可愛い印象の人だった。髪型はすっきりとしたボブカットで、何故か全体が青く、顔の右脇に白い筋が一筋だけ入っている。その髪色のせいか、明るく賑やかな人柄のせいか、とても孫が四人もいる田舎の年寄りには見えなかった。

 雪乃は手にした保冷バッグを紗雪にさっと渡すとしゃがみ込み、空の顔を覗き込む。普段ほとんど人と会わない空はちょっと緊張していたし、驚いたが、祖母の優しそうな笑顔につられて思わず笑顔になった。

「こ、こんにち、は。おばぁちゃん?」

「可愛い! 可愛いわ! そうよー、おばあちゃんよ、こんにちは! 空くんにお土産持ってきたわよ!」

 ひょいと抱き上げられて空の視線が高くなる。

 高くなった視線で横を向けば、ついに祖父の顔を拝むことが出来た。

(あ、これは……あれだ。すごく世紀末な世界観があってそうな感じ。名前に濁点がすごく入ってそうな人だ)

 祖父はとにかく全体が大きい。上から下まで、存在を構成する全てのパーツがいちいち太くて大きい。目付きもカタギとは思えないくらい鋭いし、あとなんかいるだけで圧がすごい。多分空じゃなかったら即チビってギャン泣きしていただろう。堅そうな髪も太い眉も白銀だったが、こちらも年寄りという感じは全くしない。


「おじぃ、ちゃん? えと、こんにちは」

「まぁ、ちゃんとご挨拶出来て偉いわねぇ! すごいわ! この人を見て泣き出さない子、初めてだわ!」

 だって米担いでるんだもん、と空は思った。祖父が両肩に担いでいた袋はよく見れば毎年送られてくる米袋だった。これはきっと祖父からのお土産だ。確かに見た目は怖いが、田舎からそんな重い物を担いで土産に持ってきてくれる人に悪い人はいないに違いない。ていうか一つ多分三十キロで、合わせて六十キロを担いで、一体どこからこの格好で来たのだろうか。

「おじいちゃん、それ、おこめ?」

祖父が持つ袋を指さして可愛く訊ねれば、祖父はうむ、と頷いてくれた。

「あんね、おじいちゃんのおこめ、おいしいからぼく、すき。おこめくれるおじいちゃんも、すきだよ」

 ふぐ、とか、ふが、みたいなくぐもった音がして、祖父はすごい勢いで天を仰いだ。

「まぁまぁ、聞いた貴方!? なんて可愛くて良い子なの! 良かったわねぇ!」

「父さんが感動してる……空、すごいわ」

 祖父は三分後に雪乃に背中をバンと叩かれるまで、そのままピクリとも動かなかった。


「ほんとに、魔送文もらってびっくりしたわぁ。もっと早く教えてくれたら私だけでも診に来たのに」

「ごめんね、母さん。こっちのお医者さんには前から掛かってたんだけど、体が弱い子なんだとしか言われなくて、そういうものだと思い込んじゃってたの……」

 部屋に招かれ、雪乃はソファに、米を下ろしてどうにか玄関をくぐれた祖父はソファが小さいとカーペットの上に座り込み、紗雪の話を聞いてくれた。

 まそうふみってなどんなものなんだろう、と思いながら、空は点数稼ぎの為にあぐらを組んだ祖父の股にちょこんと座り込む。床に座っているのに椅子のように高い。祖父はビクッと一瞬揺れたが、そのまま黙って空を座らせてくれた。

 空は祖父の顔を見上げて声を掛けた。

「おじぃちゃん、おなまえ、なんていうの?」

「……じじいでいい」

 じじいで良いと言われても、空の中の良識が否を唱える。何と呼んだものか空が困っていると雪乃が顔をこちらに向けた。

「ちょっと、空くんに悪い言葉教えないでちょうだい! あのね、この人は幸生っていうのよ。米田幸生。幸せに生きるって書く……って空くんにはまだ早いわね。ふふ、全然似合ってないわよね。巌とか、権蔵とかそういう感じよね」

 そう言って雪乃はケラケラと笑った。その屈託のなさに空の方がハラハラする。

「ゆ、ゆきおって、おばあちゃんのおなまえと、にてるね」

「あら、もう覚えてくれたの? 嬉しいわねぇ。私たちの事はじぃじとばぁばで良いわよ! 私、小さい孫にそう呼ばれてみたかったのよ」

「じぃじと、ばぁば?」

「……うむ」

 じじいとあまり変わらない気がしたが、呼ばれたいと言うなら良いだろう。

 そう呼んで見上げると、幸生は大きな手で空の頭をそっと撫でた。空の頭をひとつかみ出来そうなくらい大きな手は、驚くほど優しくて、温かい。美味しい米を作ることが出来そうな名前も好感度が高い。空は大きな祖父と明るい祖母が、もうすっかり好きになった。


「さぁさぁ、とりあえず空くんの診断はあとにして、お昼にしない? これ食べましょ。朝作ってきた、ばぁば特製よ!」

 雪乃はそう言ってテーブルに置いてあった保冷バッグを開く。中には美しい三段の重箱が保冷剤と共に納められていた。

(田舎のお婆ちゃんのお土産の定番なら、ぼた餅とかだと思うけど……おにぎりとかもありかな)

 中身は何だろうとワクワクしながら身を乗り出すと、幸生が空を持ち上げてテーブルの前に下ろしてくれた。

「じゃーん、黒毛魔牛のローストビーフむすびよ!」

 美しい花模様の施された蓋が開かれた途端、何か想像を超える物が出てきて、空は目を見開いた。

 むすび、というからにはおにぎりのような物なのだろうと思う。しかし米が見えない。見えるのはほんのりと赤みが残る美しい霜降りの肉の断面だけだ。どうやら薄切りのローストビーフで、米を巻いてあるらしい。ぱっと見は丸い肉の塊に見えるそれを、細い青菜でくるりと結んである。その上、一つ一つが父の拳のように大きかった。

(なんっじゃこれ! 肉! すごい肉!)

 衝撃的な見た目に空の語彙力も精神年齢も消失しそうだ。

「わぁ、美味しそう! 母さんの肉巻きおにぎり、久しぶりだわ……私これ大好きよ」

「うちの里にこれが嫌いな人間はいないわ。空くんも、魔素不足なら絶対好きだと思うのよ。なんたって全部うちの里産ですからね。新鮮な魔素がたっぷりよ!」

 母の実家は一体どんな魔境なんだろうかと空は一瞬考えたが、肉巻きが皿の上にどんと置かれ目の前に出てきた瞬間全てがどうでも良くなった。

「いたっきます!」

 言うが早いか空は肉を両手で持ってかぶりついた。表面に醤油だれがたっぷり塗られているらしく、かぶりつくとその風味がまず感じられた。

(肉、分厚っ! 何これ! 全然薄切りじゃなかった! うまっ!)

 なんと、ご飯を巻いた肉は空の想像の三倍くらいの厚さがあった。それに驚きながら分厚い肉をぎゅっと噛みしめると、その厚さに反して子供の歯でも容易くちぎれ、醤油と合わさった肉の旨味が口の中一杯に広がっていく。

 まだ米にたどり着かないのでもう一口慌てて囓ると、今度は青菜を混ぜてバターと醤油で風味を付けられたご飯がほろりとこぼれ出てくる。

(うっま! 何これうま!)

 そのおにぎりには空の体に染みこむような旨さがあった。空はよく噛む事もすっかり忘れ、勢いのままに肉と米を次々口に運んでいく。

「まぁまぁ、美味しかったのね! どんどん食べてね空くん。まだ沢山あるからね」

「空、良かったねぇ。母さんの肉巻きおにぎり、ホント美味しいわよね」

 手づかみでわしわしとがっつく空を見ても誰も行儀が悪いと怒ったりしない。祖父母も母も空を微笑ましそうに見ている。空はそのまま一人で、三段の重箱のうちの一段を空にするまで食べ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る