3:田舎落ち
田舎落ちとは。
田舎で成功出来ず、生きて行くだけの実力がなく、都会に逃げ出す事、らしい。
(意味がわからない)
空の知る常識と真逆の言葉だ。都落ちなら理解できるのだが、空の前世の乏しい記憶の中に該当する言葉や事象はなかった。前世の空は田舎に憧れを持っていたが、それはむしろ都会から逃げ出したい、という気持ちから来るものだったはずだ。だが母の様子からすると、田舎はどうもスローライフ的な意味で憧れるような場所ではないようだ。空は、母は何か勘違いしてるか、冗談でも言っているのかと最初は思った。
だが紗雪は至って真剣で、医者に宥められて落ち着いたあと、家に帰ってからも落ち込んでいるようだった。子供達の前では普段通りに過ごしていたが、時々宙を見つめてぼうっとしていた。
そして帰ってきた父、隆之を笑顔で迎え子供達を寝かしつけて、紗雪は今隣の部屋で静かにまた泣いている。
空はそっと起き出して居間の扉の傍に立ち、細く開けた隙間から両親の話し合いを聞いていた。
「そうか……空は、そんな体質だったのか」
「うん……多分、このまま東京で育てたら、お、大きくなれ、ないって」
ソファに父と並んで座り、ほろほろと泣く母を見ていると空の胸が痛む。
紗雪は線の細い優しげな美人……というよりは可愛いタイプの女性だ。明るくて人に好かれるタイプで、四人の子供がいるとは思えないくらいに若々しい。子供が小さい為髪はいつも後ろでくくっていて服装もシンプルだが、それでもどことなく都会的だ。身内のひいき目を差し引いても、可愛い方なんじゃないかと空は思う。ぱっと見では田舎出身のようには思えなかった。
(一体母さんはどんな秘境出身なんだろう……)
いつも明るい母があんなに取り乱すほどの恐ろしい場所なのかと思うと、空もちょっと怖じ気づいていた。ここが空の知っている日本だったならどこへ行っても構わないのだが、どうも違うようなので判断がつかないのだ。
「僕にも田舎があったら良かったんだけど、両親も東京生まれだしな……いっそ家族で田舎に行こうって言ってあげたいんだけど、多分移住許可が下りないだろうな……」
「わ、私ももう随分ライセンス更新していないから、帰れるかどうかわからないわ……空だけなら、治療目的だし、父さん達が保護者になってくれれば行けると思うけど、心配で……」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、紗雪は深いため息を吐いた。隆之は難しい顔で、優しく紗雪の背中をさすった。
「でも先生は、空ならきっと体が少し育てば強くなれるから馴染めるはずだって言ってくれたんだろう? お義父さん達にお願いすれば、少しずつでも空を鍛えてくれるだろうし……強くなれれば、田舎には夢があるよ。ここであんな辛そうに生きるよりは、いいかもしれない」
(鍛えなきゃ生きていけないような場所なのかやっぱり……田舎でスローライフとか、ちょっと憧れだったのに)
やはりなんだか怖い。しかしそれでも保護者がいるなら、ここにいて近い死を待つよりはまだマシかもしれないのが難しいところだ。
「夢……そう言って田舎に移り住む人は時々いたけど、住み続けられる人は少なかったの。あそこ出身の私でも駄目だったのに……それに、私、逃げるように出てきたのに今更子供を預かってくれだなんて、父さん達許してくれるかしら……」
「大丈夫だよ。僕らが結婚の報告をした時も、お義父さん達は幸せになれって言ってくれたじゃないか。子供が生まれたと報告する度に、ちゃんと喜んでくれてる。お米だって毎年送ってくれてるんだから、もうとっくに許してくれてるよ」
米、という言葉に空はハッと顔を上げた。
(米! あの米、美味しいよね! すごい美味しい! お祖父ちゃんちが作ってるの? 田舎行ったら腹一杯食べれる!?)
いつも空腹の空は家で出てくる米が大好きだ。できる限り空腹が薄れるように毎日ものすごくよく噛んで食べているが、甘みと旨味があってすごく美味しいのだ。米と聞いただけで精神年齢が退行するくらいには好きだ。その産地だというだけで、田舎に希望が湧いてきた。
「そうね……そうよね。私が東京に行くって言った時も、父さんは何も言ってくれなかったけど、責めもしなかった」
「君を責めてるのは君自身だよ。紗雪は頑張り屋だから、田舎落ちした自分がずっと許せなかったんだろ? でも、そのおかげで僕らはこうして出会えたんだ。僕なんて君とは比べものにならないくらい軟弱な、生まれも育ちも東京のもやしみたいな男だよ? 君が東京に来てくれて、僕を選んでくれたのは人生で一番の幸運だったよ」
「私は隆之のそういう優しくて穏やかなところを好きになったのよ。子供も皆可愛くて……私も、幸運ね」
空が米の産地に希望を馳せている間に、両親は大分落ち着いてきた。
(父さんより母さんの方が強いのか……この世界って一体どうなってるんだろ)
確かに父の隆之は優しそうなインテリという雰囲気の容姿をしている。しかし背丈もそこそこあるし、体もそれなりに引き締まっていた気がする。
(いかにもホワイトカラーって感じではあるけど、良く僕以外を連れて公園でキャッチボールしたりバスケットしたりしてるって言ってたのに)
父には運動神経が悪そうな印象がなかったので意外だった。空ももっと元気になったら公園での遊びに参加してみたいと思っていたので、それだけは少し残念だ。
「明日、父さんに文を送ってみるわ。空の事情を伝えてお願いしてみる」
「そうだね。空の体の事を考えると早い方が良い。今日、ご飯を増やしたらすごく申し訳なさそうに、でも喜んで沢山食べてたよな……あの子は、ずっと言えずに我慢していたんだろうな」
「うん……うん」
隆之の言葉に紗雪はまた少し涙をこぼした。空はそこまで見て、そっと布団に戻り、弟の隣に潜り込んだ。
(とりあえず今日は普段の三倍くらい食べられたけど、まだ空腹なんだよね……ホント、この体ってどうなってるんだろう? あと、連絡に文って何? 手紙のこと? 時間掛かるし、家にも電話あるよね? どうなってんの?)
自分の体も、この世界も、空にとってはまだちっとも理解できる気がしない。
(明日からはもうちょっと、周りの事をよく見るようにしよう)
生まれてこの方、意識があっても寝込んでいるかお腹空かせてぼうっとしているかだった空は、両親の結論に安心しつつ、ちょっと反省をしながら眠りについた。
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