第四章 生き人形

#7 生き人形 (上)

 翌朝、人形工房の開店時間になっても、そこに樹の姿はなかった。だが棚に掛けられた布などは取り払われており、いつもより早く開店準備が早く済んでいるのを見ると、舞果は樹がすぐに戻ってくるだろうと察していた。

 昨日の事が気がかりで、ぼんやりした頭で新たな服のデザインをノートに描きながら店番をしていると、樹が可愛らしい柄の入った買い物袋を手に戻ってきた。

 「何買って来たの?」

 「人形だよ、ちょっと実験用」

 「え?」

 「母さんとの約束破ろうと思って」

 そう言いながら塩ビで出来た安物の人形を袋から取り出す。テーブルにそれを三体並べると、樹は舞果を見て言う。

 「僕らの持つ能力、ちゃんと知っておくいい機会だと思わない?」

 「そうかも・・、しれないわね・・・・」



 姉弟が十八歳の時、児童施設を出る歳となった二人は、共に暮らすようになる。昔から手先が器用だった二人は、いつしか人形作りの才能に目覚めていた。そこで二人は母の記憶を辿るように、いつか人形工房を開こうと約束する。

 数年後、工房の新規開店準備を進めている最中、作った人形を陳列していた二人は奇妙な感覚に襲われた。


 それは自身の記憶の回廊の中に立って、一枚一枚飾られた小さな絵画を眺めている気分だった。やがてその一つを掬い上げ、空っぽの人形の頭の中に移せる事に気が付く。人形に記憶が沁み込んでいくと、幼いころ聞いた母の言葉を思い出す。


 「母さんが作る人形にはね、思いが宿っているの。でも人形が持てる心は一つだけ。複雑な心を持った人形は、もう人形とは呼べないわ。それはとっても怖い何かなの。あなた達が人形に触れて、不思議な何かを見れるようになったときには、必ず今言った事を思い出して」


 すると、手元の人形からは作った時よりも、不思議な魅力が溢れているように見えた。姉弟はたった今起きた不思議な感覚の事を互いに話すと、他の人形を手に取り試行錯誤する。しかし、誰に咎められるでもないのに、今の今まで母の教えを守ったのは、人間の記憶というものを扱うという事に、二人はどこか畏怖の念を抱いていたからであった。




 既製品の人形の前で、樹はメモ帳に昨日の夕食と今朝の朝食の内容を書いている。舞果はテーブルに置かれた人形達を眺めながら尋ねる。

 「でもどうしてそんな人形?うちは人形屋よ?」

 「あの関節の摩耗跡が気になってね。商品に傷がつくような何かが起こるかもしれないと思ってさ」

 そう言いながら人形を包装するビニールを破り、樹は一体を手にする。

 「人形とは呼べない何か、か・・・。姉さんが止めろって言うならやらないけど?」

 「やりましょう。私たち家族に何があったか知るためにも」


 舞果はカウンターの外に出てくると、その様子を見守る。樹は自身の二つの記憶を人形に注ぎ込み、人形を床に置いた。二人はそれを固唾を飲んで注意深く変化を観察する。

 すると人形の四肢がピクリピクリと動き出したと思うと、ぎこちなく立ち上がったのだった。その光景に目を見張る二人。歪に関節を曲げながらギシギシカタカタと音を立て舞果に向かって歩いていく。

 「姉さん下がって!」

 樹のその声に舞果は、斜め後ろに一歩下がる。だが人形は舞果に目もくれず、そのまま彼女の横を通り過ぎ、その小さな拳でカウンターの下に貼られた板を叩きつける。そして、人形は右腕を突き出した体勢のまま固まり、仰向けに倒れた。


 「と、止まった・・・」

 人形を確認するため樹が近寄ると、そこには人形によって潰された蜘蛛の屍骸があった。

 「なんだ?姉さんではなく、初めからこの蜘蛛に向かって行ったのか・・・?」

 「樹、これって・・・・」

 「うん、真琴さんの見た動く人形と同じだった」

 樹は人形を拾い上げると、すぐに人形の関節を外し観察する。

 「削れてる。似たような跡だよ」

 「恐ろしい何かを感じたわ。母さんはこの事を知っていたから、何度も私達に忠告していたのね」

 「きっとそうだろうね。母さんの言葉通りだったんだ。小さい頃、僕らが人形に悪戯しないように、母さんはわざとそんな事言ってるだけだって、兄さんはよく言ってたけど」

 人形の頭に手を当てた樹は、注意深く先ほど注いだ自身の記憶を覗き込んだ。 

 「この人形、入れた記憶は残ってる。でも人形殺人に使われたものには記憶は無かった」

 「それってつまり、あの事件の犯人は、私たちと似た力を持っていて、記憶を持ち去っているとでも言いたいの・・・・?」

 「持ち去ったのが犯人かどうかはわからないけど、この摩耗跡から考えるに、このを生成出来る人物の可能性はあるかも」

 「生き人形?」

 「仮称だよ。この現象に呼び名が無いと困るかなって」

 「なるほどね。ところで、その生き人形になった後の記憶を、元の人間に戻して大丈夫なのかしら?とても不気味に感じたのだけれど」

 「やってみるよ」

 「今度はあんたが暴れだすとかやめてよ?」

 樹は微笑み返すと人形に再び手を当て、自らに記憶を戻すと違和感に気づく。

 「ん?なんだこれ?これは、人形から見た光景なのか・・・?さっき記憶を覗いた時には無かったのに」

 「ちょっと、大丈夫なの!?」

 先ほど書いたメモ帳の内容と、自身の記憶を照らし合わせながら樹は答える。

 「うん、人形が見た記憶が足されている以外何も問題ないよ」

 「人形が見た記憶が足されてる?ねえ、それならあの人形に入ってる記憶を私たちに戻したら、あの日、火事の中で、あの子が何を見たか分かるんじゃないかしら?」

 「そうだね。あの記憶を戻すのは、色々辛いけど、何か分かるなら・・・・」


 店内の商品棚とは別の、人目に付かない棚に置かれた星与の作った人形は、何かを語りたそうに宙を見つめていた。

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