#6 与えるものと奪うもの (下)

 施設の建物から出ると、駐車場に停めた車に向かい歩く姉弟。

 「珍しいね、姉さんがあんな事するなんて」

 「話を聞いていて、子供に恨まれたまま死んでいくのなんて、可哀想に思えただけよ。恨まれてしまった記憶と自責の念、どっちを人形に移せばいいか正直分からなかったわ」

 「ああ、それでって」

 「どちらにしてもあの場合、苦しめている記憶を全部拭い去る事なんて無理だけど、それでも・・・・」

 「そうだね。一体の人形につき、記憶は一つまで、か」


 車に乗り込み工房へと走り出すと、重くなった雰囲気の中で樹が会話を切り出す。

 「で、姉さん、さっき見た記憶だけど・・・・」

 「記憶の変質・・・。兄さんがあんな事するはずないわ」

 「僕もそう思いたい。だとしても、あそこまで変質した記憶は初めてだよ」

 「兄さんの腕の中で知らない子供が死んでた・・・、あれは人形ではなかったわ。母さんは何を見たっていうの?」

 樹が小さく首を横に振ると、車内は静まり返ってしまった。無言のまま車を走らせていると、貯水池の脇の道へ差し掛かる。すると前方に赤色灯が見え、警察官が交通誘導をしていた。

 指示に従い徐行をしながら横を通り過ぎようとすると、物々しく並ぶ警察車両の列の奥に、ブルーシートで覆われた一角が見えた。そこにゴム手袋を手にはめながら入って行く真琴の姿があった。



 貯水池の対岸では一人の男が、望遠レンズを付けたカメラで現場を覗いている。シャッターを切り続けていると、そこに声が響く。

 「ちょっとそこの人!ここは規制線の中ですよ!すぐに出て下さい!」

 制服の警官に怒鳴られた男は舌打ちをすると、渋々その場を後にする。敷地の外に出ると、カメラの液晶モニターでに映った写真を拡大する。遺体を包むシートが映るその脇に、人形の姿を確認すると不謹慎にも男は喜んだ。

 「人形殺人再び・・・・」

 男は道の脇に停めた車に乗り込むと、その場を去っていった。



 人形工房が夕闇に包まれる。表の看板をひっくり返そうと、舞果が庭先の門まで出てきた時、前の道に一台の車が停まる。そこから降りてきたのは、少し大き目の段ボール箱を手にした屋代だった。

 「よう、相変わらず個性的な格好しているな。この前話していたやつ、持ってきたぞ」

 舞果は会釈し、屋代を中へと通す。来客に気付いた樹も工房の奥から出てくると、屋代はテーブルの上に箱を置き、中身を取り出す。

 「これが君らが気になっていた物だ。ついでにあと何体か持ってきたから一応見てくれ。で、こっちがあの火災現場で回収したやつだ。合ってるか?」

 「はい、確かに僕らが実家で最後に見た人形に違いありません」

 「そうか、ならこれは返そう。証拠品の方は戻さないとまずいから、この場で意見だけ聞きたい」

 「触っても?」

 「構わん」

 樹と舞果は証拠品の人形を手に取り、それらを注意深く観察する。樹は屋代に、

 「この前写真でも気になっていたこの一体、母の作風に似ているのが気がかりです。少しバラしてもいいですか?」

と、許可を求めた。

 「ああ、大丈夫だろう」

 そう言われて樹は人形の胴体の関節を外し始めた。すると、その外した内部を屋代の方へ向ける。

 「見て下さい、人間でいう横隔膜の位置に小さくサインを残すのが母の作品の特徴でした。摩耗が進んでいて読みづらいですが、これは母のサインじゃありません」

 「と言うと、これは君らの母親の作品を良く知る人物が作者って事か?」

 「はい、ここまで共通した特徴があるとそうなります。しかし、母に教え子が居たという話は聞いたことありません。それに作品の愛好者もそれなりに居ますから、余程熱狂的なファンに作られたものというだけかも。すみません、あまりお役に立つ情報が無くて」

 「いやいいんだ、そういう細かい情報が糸口になる事だってある。そういや前に、事件の人形には愛された形跡がないとか言ってたよな?人に遊ばれてない人形も、関節ってのはこんなに容易く摩耗するものなのか?」

 「これは長年使われたというよりも、何か強い力が加わったようにも見えます。他の関節にも所々似たような跡がありますね」

 「気になるな・・・、他の人形も後で改めて見てみよう。もっと色々聞きたいところだが、実は今日近くで女性の刺殺死体が見つかってな、これから残業なんだ」

 「そうでしたか、この辺も物騒ですね」

 「ああ、戸締りちゃんとしろよ?もう行かないと、ありがとな」

 屋代は証拠品を箱へ戻し、工房を後にすると職場へと戻って行った。


 二人はテーブルの上に残された母が作った人形を見つめる。昼間に見た人形の記憶が頭を過ぎり、二人は自然と黙ってしまった。沈黙を破ったのは樹だった。

 「そういえばさっきの人形、記憶は持ってなかったよ」

 「母さんのじゃないのだから、当然と言えば当然ね」

 「で、どうする?姉さん」

 「・・・見るわ」

 二人は顔を見合わせ頷くと、同時に人形の上に手をかざした。




 暗い廊下の先、半開きになった扉の向こうから聞き覚えのある声がする。父と母だ。

 「これで止めさせられたんだな?」

 「ええ、後は私が何とかするから・・・・」

 「すまないな」

 幼い手が扉を開くと、そこには引きつった表情でこちらを見る両親の姿。母の手には包丁が握られている。ベッドシーツから垂れる血を辿っていくと、布団の上で力なく横たわる兄の光を失った瞳がこちらを見ていた。



 人形から思わず手を引いた姉弟。舞果は口元に手を当て言葉を失い、樹も記憶の内容に呆然とする。

 「これは僕の記憶なのか!?隣には姉さんが居て、一緒に見てた。もしかして姉さん、母さん達に何があったか今まで黙ってたの?僕だけが忘れていて・・・・」

 「待って、私が見た光景には樹、あんたが隣に居た・・・・」

 「え?じゃあ、これは僕ら二人が見た記憶だったって事?つまりこの人形には・・・・」

 「記憶が二つ入っているのよ・・・・」

 二人は目の前にある人形の関節に目をやる。舞果は、

 「さっき屋代さんが居た時は、わざと黙ってたのね?」

 「うん・・・、似たような摩耗跡」

 「父さんと母さんだけが知ってた兄さんの何か・・・。そして人形殺人に使われた人形と同じ痕跡」

 「でも兄さんはそんな人じゃなかったはず。人殺し何て・・・・。兄さんはいつも優しくて・・・・」

 「私も信じたい、信じたいわ・・・・」

 「姉さん、もし人形に・・・。いや、明日にしよう」

 人形工房の姉弟に眠れぬ夜が訪れた。

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