第三章 与えるものと奪うもの
#5 与えるものと奪うもの (上)
次の日の午後、樹は栗原から預かった人形の壊れた腕の修復が終わる。もう一体の方も、胴を動かすための関節の緩みが気になったため、一度取り外す事にした。すると、その関節が入る窪みに、何か小さな文字が彫ってある事に気づく。
そこに仕上がったばかりの人形の服を手にした、舞果がやって来た。
「ちょっと着せてみようと思ったのだけれど、調整中だったみたいね」
「うん、もう少ししたら終わるよ。それよりこれ見てよ」
作業台のライトを人形の胴の窪みに当てると、舞果はそこを覗き込む。
「これって母さんのサインかしら?」
「やっぱりそうだよね?母さんはこんな場所にサインを入れてたんだね」
幼い頃の母の記憶しかない二人は、それを見てどのように作品が作られていたのか、僅かに残る古い記憶を織り交ぜながら想像を膨らませた。再び作業の手を動かし始める樹に舞果は伝える。
「明日には届けられそうね」
「うん、今日中には終わるからそうしよう」
「そうそう、栗原のおば様が私たちの作品も見たいと連絡が入っていたの」
「じゃあ姉さん、持っていけそうな人形選んどいてくれるかい?」
「わかったわ」
人形の修復作業が進む中、その頃、真琴は山納家の心中放火事件の詳細が気になり、仕事の合間にデータベースを漁り、パソコン画面に映る過去の捜査資料を読んでいた。
「死亡したのは世帯主である山納啓一とその妻の星与、そして長男の
長男は当時十八歳、結構歳の離れた兄弟だったのね。母親は精神科などに受診した履歴は無しと・・・。それにしても動機についての調査がやけに少ないな」
画面をスクロールしていくと、現場写真の中から先日、樹が話していた人形を見つける。所々細かい損傷がある人形には
「確かに余程大切な物だったとしても、八歳の子供が火の手が回る中で持ち出すにはちょっと大きい。それに父親である啓一氏は当時、人形殺人の捜査を指揮してた・・・。屋代さんが気にするのも分かる気がする」
少し考え込むと、真琴は画面を閉じ仕事へと戻った。
翌日、姉弟は頼まれた人形達を手に栗原の元を訪れていた。それらを手渡すと彼女は頬を緩ませ二人に感謝する。続けて二人の作った作品も見せるため、舞果が大き目の鞄から二体の人形を取り出す。それを見た栗原は感激し、片方の人形をお迎えしたいと申し出たのだった。
そして二人は栗原に、他に母の人形の所有者を知らないか尋ねた。すると、久しく連絡を取っていない人形愛好家仲間の一人がこの近くにいると言う。栗原がその人物にメールを送ると数分後返信が来るが、それに目を通す彼女は少しショックを受けた表情を見せた。
その場を後にした姉弟は、栗原から教わった場所へと向かう。そこは介護施設だった。
受付で記名してから二人は奥へ進むと、部屋がいくつも並ぶその中の一室に
開いていた扉から、初老の痩せた女性がベッドの上で手芸作業をしているのが見える。その横にある小棚には、母が作ったであろう人形が座らされていた。入り口で樹が挨拶をすると、それに気づいた女性は二人を招き入れる。
「どうぞ掛けてください。栗原さんから話は聞いていますよ。ちょうど人形の服を作っていたの。ここでは出来る事は限られちゃうけどね。樹さんに舞果さんで良かったかしら?」
二人は返事をし、面会を許可してくれた事を感謝する。人形の服作りと聞いて、普段は初対面の人とは話すのが苦手な舞果が珍しく樹より先に口を利いた。
「手縫いなのに随分正確な作り。この刺繍も綺麗」
「ありがとう。星与さんのお子さんに褒められるなんて、良い冥途の土産が出来たわ」
「そんな・・・・」
「実際そんな長くないらしいのよ、私」
姉弟が返す言葉を見つけていると、池橋は気を利かせて人形を棚から取って見せた。
「そんなことより、この子を見に来たんでしょう?服は元から着ていたものじゃないのだけれど」
そう言いながら彼女は人形を樹に手渡す。樹は人形の作りを良く観察しながら、宿された記憶を読み取ると舞果に渡すのを少し躊躇する。
手渡された人形を持ちながら舞果も何やら考え込む様子を見せた。だがその場では何事も無かったかのように振る舞い、見せてくれたお礼を言い棚へと戻した。二人の様子を見ていた池橋は再び話しかける。
「本当に熱心に観察するのね。お二人の作品も素晴らしいのでしょうね」
そう言われ舞果が工房から持ってきた人形を鞄から取り出すと、それを中心に暫し会話に華が咲いていた。すると池橋は樹を見て、少し寂し気な表情を浮かべる。
「私にもあなたくらいの一人息子が居たのだけれど、生きてたらこんな感じで話せていたのかしら・・・。でも恨んでいたのでしょうね、あの子は・・・・」
何があったのか気を配りながら樹は聞いてみると、彼女はゆっくりと語りだした。
四年程前、二十代前半の彼女の息子が、ある日、自ら命を絶ったらしい。高齢出産で授かった一人息子だったそうだ。息子が亡くなる前の年から彼女は足を悪くし、自力での歩行が出来なくなっていた。夫にも先立たれていた彼女は、その介護を息子に頼る日々が続いていた最中だった。
息子には婚約者が居たらしいが、介護の影響で軌道に乗り始めたばかりの仕事と私生活の両立が難しくなったせいで、婚約者との仲は次第に悪化、ついには破談になった。そのやりようのない怒りは、やはり母に向いてしまうのだった。「母さんのせいで。」それが彼の口癖の様になっていた。
早い時期に彼女は介護施設に入ることも話していたそうだが、息子としては精神的にも金銭的にも複雑だったのだろう。独りになってしまった彼女は、結果的に行政の助けでこの介護施設へ入ることになったが、今年に入り末期の病巣が見つかり、静かにその時を待っているという。
姉弟の作った人形を持つ池橋の痩せた手に、そっと舞果は手を添えながら言う。
「辛いときにするおまじないがあるの。この子が半分辛い気持ちを持ってくれるわ」
池橋はそんな事を言う舞果の目を見て少し微笑む。
「まぁ、素敵ね。星与さんがあなた達にもしていた事?」
「ええ、たまに。おば様、目を閉じて胸を苦しめる記憶を思っていただけるかしら?」
親身に他人に寄り添う姉の姿を、樹は少し物珍しそうに静かに見守っている。
「いいわ、目を開けて」
「あら、なんだか少し気持ちが楽になったみたい。おまじないのせいかしら、それともあなたの手の温もりのお陰かしら」
その言葉に舞果は優しく微笑み返していると、介護職員が部屋に入ってきた。
「こんにちは、面会の最中すみませんね。池橋さん、具合の方どうですか?午後から美容師さん来るみたいなんだけど、カットの予約されます?」
「そうね、今日は少し気分がいいから頼もうかしら」
「それじゃあ、言っておきますねー」
職員はこちらへ一礼すると、ニコニコとしながら部屋を後にした。樹は池橋に尋ねる。
「介護施設って散髪もしてもらえるんですね」
「ええ、定期的に街の美容師さんが来て、希望者のカットをしてくれるのよ。今日はお二人と話せて何だか気分が楽になったから、久々に頼んでみたの」
「そうですか、それは良かった」
ふと時計を見ると正午を指そうとしていた。
「では僕らはそろそろ」
「またいつでもいらして。ああ、このお人形・・・・」
舞果は差し出された人形を、一度受け取り彼女の方へ向き直させる。
「お邪魔でなければこの子、おば様のお傍に置いていただいても?」
「まぁ、こんなに良く出来たお人形、私が頂いていいのかしら・・・。素敵な日をありがとう、お二人とも」
手をゆっくり振る池橋に二人は一礼すると、その場を後にした。
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