第7話 暗い狂った海
午前二時。
強風で海が荒れている。雨が急激に降り出した。
こんな夜中に、一隻の小型漁船が港を出て、沖合に向かって走っている。
陸地の方を見ても、雨に叩かれて街の灯りははっきりとは見えない。
漁船は上下に激しく揺れながら沖合に向かって進んでいく。
甲板に両手両足を縛られ、猿轡を嚙まされた二人の男が転がっていた。
作業着を着た中年の男と若い男。
二人の男は、雨にずぶぬれになって、恐怖に顔をゆがめていた。
漁船を運転しているのは、50歳くらいの船長だった。
「こんな夜中に海に出たいなんて言い出して、まったく絢美らしいぜ」
と、船長は言った。
「魚群が探知機に映ったら止めておくれよ」
船長の隣で絢美が言った。
船長の背後の室内に、片桐、由紀、ナオト、そして、暴走族のリーダー、真嶋がいた。
ナオトが、小声で片桐と由紀に言った。
「気の毒だが、あの二人には海の底で眠ってもらうことになる。あいつらは市役所の職員で、絢美のブルーシートハウスを撤去し、猫たちを保護という名目で殺すためにやってきた。そんな連中を生かして返すわけにはいかない」
ナオトは続けた。
「俺は、絢美さんの生き方が羨ましいんだ。自由に好きなように生きている。人の目も、明日も、どうだっていいんだ。社会的な型や常識を守るとか、そういう生き方とはまったくはずれている。どこか、俺たちの魂の暗部を揺るがすような生き方。そういう生き方をしている絢美さんが俺は好きなんだ。俺は、そんな絢美さんを守って生き続けたいんだ」
「俺もだよ」
と、真嶋が言った。
「俺みたいな人間でも、結局は世の中のしがらみにがんじがらめに縛られて生きていかなくちゃならねえ。仕事をして、勤め先では上司や顧客の機嫌を損ねないようにお行儀良くして、健康に気を使った生活を送る。絢美にはそんなものはねえ。絢美は本当に自由なんだ。なぜ絢美の詩が人気があるかわかるかい。自由だからだ。自由でいて、それで底知れない恐怖をはらんでいる。そこが、退屈な社会生活を送っているクズたちの心にズーンと響くんだ」
「俺はしょうがねえ人間だった」
ナオトはひとり言のように言った。
「俺は手癖が悪いんだ。店へ行きゃあ、なんでもポケットに入れちまう。だから学校も続かなかったし、何か仕事をしても首になっちまった。盗むのがやめられねえんだ。だけど、俺は絢美さんにあって少し変わった。まともな人間になろう、社会に合わせて生きていこう、世の中の役立つような人間になろう、そんな気持ちが抜けたんだ。自由に、好きなように、生きていけばいい。誰かの迷惑になったってかまやしねえ。生きる時は生きる。死ぬ時は死ぬ。好きな人とつきあえばいいし、気に食わないやつはあの世に送っちまったっていい。カネがなくなって、暮らしていけなくなったら、死んじまったっていい。そんな絢美さんの生き方に触れているうちに、俺の中にふっと掻き消えるものがあったんだ。急に楽になってね。そうしたらおかしなもんだったよ。盗み癖がなくなったんだ。きっと俺は今まで無意識に自分を無理に押さえ込んでいたんだ。その抑圧がなくなったら、かえってまともな人間になった。そんな気がするんだよ。片桐さん、由紀さん、あんたらにわかるかい」
小型漁船は波と豪雨にもみくちゃにされながら沖合へと進んでいく。暗い狂気の海にいるのはこの一隻の船だけだった。
続く
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