第4話 夜のポエム・絢美の朗読会
I街。東京のはずれのその街。海沿いの街。 住宅街のはずれ、海に向かうさびれた土地にある公園の前で、警官が自転車を止めた。
午後8時。 警官は公園の街灯の下を見た。
(またやってる)
黒ずくめの長い髪の女が立って、何かを朗読している。20人ほどの聴衆が座り込んで、朗読を聞いている。男も女も、若者も老人もいた。
(それにしても魅力的な女だ。俺も非番ならあの女の朗読を聞きに行ってみたいものだが)
そう思いながら、警官は自転車を止めて、遠くから集会の様子をうかがった。
朗読をしているのは、絢美だった。絢美は、自分のノートを手にして、詩を読んでいるのだった。
『その日、あたしは、宝石を海に投げ捨てた…… 宝石は、深い海の底で、眠りについた…… あたしの愛する人…… 魔物の餌食になるがいい…… あたしは、呪いの言葉をいつまでも、暗い海に投げ続けた……』
なんとも、不思議な詩だった。怖くて、妖しくて、心の内側を揺さぶる詩。
絢美は、一つの詩が終わると、また次の詩を読んだ。聴衆たちは詩の世界に引き込まれて行く。
聴衆の中に、片桐と由紀の姿があった。二人とも、息を飲みながら、絢美の詩を聞いていた。
詩の朗読は20分ほども続いただろうか。
「ありがとう。今夜はこれで終わりです」
絢美が言うと、拍手が起きた。遠くで絢美を見ていた警官も、『いいもんだなあ』という顔をして自転車で走り去った。
「あたしの詩を買ってくださる方がいたらお分けします」
絢美が言うと、人々は絢美の前に集まった。
「お金は、いくらでもいいんです。無理をしないでいいので余っているお金があったら帽子の中に入れてください」
絢美が人々に手渡しているのは、手書きの絢美のノート。コピーしたものでなく、すべて絢美の綺麗な文字で書かれているノートだった。表紙には絢美のペン画も描かれていた。
ノートを求める人一人一人に、絢美は、
「ありがとう」
心からの礼を言い、その手を両手で握りしめた。詩集のノートを受け取った人々は、次々と、地面に置かれた絢美の帽子にお金を入れていく。つばの広い黒い帽子。小銭から一万円札まで、お金で絢美の帽子はあふれた。
片桐と由紀も一冊ずつ受け取った。由紀が詩集を受け取ると、
「ありがとう。来てくださったんですね」
と、絢美は言った。
「片桐さんから話を聞いて、ぜひ一度お会いしたくて」
由紀は言った。
人々が公園からいなくなると、絢美は帽子を拾った。
「これでしばらくまた生きていける」
絢美はお金を手提げのバッグに入れた。
片桐と由紀は、絢美と一緒に運河に向かって歩いた。
「私ね」
と、由紀は言った。
「都会に住む人の心の癒しになるような場所を作りたいと思ってブックカフェを始めたんです。でも、うまくいかなかった。いろいろな人にお金の無心をして始めた店だったんだけど、赤字が続いてしまった。店の場所を変えても、造りを変えてもダメ。もうヤケになってしまってあたしは麻雀を打った。麻雀を打っている間だけは、ブックカフェの苦しい経営状況を忘れられたから。そして雀荘で片桐さんと知り合った」
「今、お店はどうしてるんですか?」
絢美は訊いた。
「店は閉めてしまった。もう終わり。借りたお金は返す見込みはない。でも、もう一度、心の癒しになるような場所が作れないものかなあって思っていた。そんな時、片桐さんからあなたのことを聞いて……」
と、由紀は言った。
「でもよかった。あなたの詩、本当に素敵。都会の暮らしで傷ついた人たちの心の癒し。私が求めていたのは、お金をいただいて場所を提供するおしゃれなブックカフェじゃなくて、あなたの詩の朗読のような、そんな場所なんじゃないかってわかった」
三人が、絢美のブルーシートハウスのある場所に近づくと、路上に一人の若者が立っていた。人の良さそうな、丸っこい感じの男だった。男はとてもうれしそうな顔で言った。
「絢美さん、今日もサプライズがありましたよ」
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます