錆びきった鐘は

桜田実里

錆びきった鐘は

「あれっ、山原やまはら?」


 聞き覚えのある声が、冷たい風に乗って耳に入ってきた。

 身体を後ろへ動かし、声のした方を見る。


 青や赤、黄色や緑といったカラフルなイルミネーションをバックに、久しぶりに見る姿があった。



「えっ、皆城かいじょうくん……?」



 数メートル離れている距離は、私が一歩踏み出したことにより少し縮まる。

 だって、皆城くんとこんなところでたまたま会うなんて思わないんだもの。


 皆城くん―――もとい皆城勝基かいじょうしょうきくんは、小学生の頃の元クラスメイト。


 そして、私の……初恋。



「ああ。なんか、すげー久しぶりだな。学校が違うとさ、こう会う機会もないし」



 視線を少しそらしながら話す姿に、人付き合いの得意な皆城くんでもやっぱり久しぶりに会う人とは緊張したりするのかな、とかいらないことを考えてしまう。



 小学生の頃から人気者で、皆に好かれてて……。私とは天と地くらいにクラスの立ち位置的には違かったけれど、小学校最後の夏休み前の席替えでたまたま隣の席になって。


 昔から人付き合いが苦手で、まともに友達と呼べる友達すらいなかった。


 そんな緊張していた私に、「よろしくな!」って笑いかけてくれた笑顔がとっても眩しくて———あっけなく恋に落ちてしまった。



 こんな単純な理由で好きになってしまったけれど、中学では学校が違うことにかなりショックを受けてしまった。


 高校が運良く同じなんてことないかな、なんて淡い期待を抱いてたけど、そんなにうまくはいかないよね。


 だからもう会うことはないと勝手に思い込んで、4年近くの月日が経とうとしていた。


 ……なのに今日偶然、こんなところで会うなんて思いもしなかった。


「こんなとこでどうしたんだ山原? 随分薄着だからイルミネーション見に来たとかでもなさそうだけど」



 当然の疑問を口にする皆城くんにはっとする。今再会した衝撃ですっかり頭から抜け落ちていたけど、私には用事があったのだ。


「えっと、おつかいなの。駅前のスーパーに……」


 そうしてここから見えるスーパーを指差すと、ああと納得したようにうなずいた。



 クリスマスケーキに乗せるいちごをお母さんがうっかり買い忘れちゃって、それのおつかい。



 でも今はクリスマスイブの夜だしもう売ってないかもしれないから、そのときはみかんかパイナップルの缶詰で代用しようと考えていたところだった。



「皆城くんこそ、今日は友達と……」


「まあ、そんなとこだよな。駅近くの公園でイルミネーションやってるって聞いたからさ。暇だったし」



 頭の後ろに右手を回してあたりを見渡す皆城くん。そんな姿さえ様になっていて、かっこよくて、昔の気持ちがぶり返してしまいそうだった。


「でもさ、流石にその格好は寒いだろ。上着とか持ってるの?」



 その言葉に私は確かに、言わざるをえない。トレーナー一枚にタイツとロングスカート。この格好は誰が見ても寒さを考えればありえない。



「持ってないよ。大丈夫かなって思ったから……」



 私はそう言いながら、ふるりと思わず身体を震わせる。まさか、芯から冷えるくらいに寒いとは思わなかった。

 肩にかけた小さめのトートバックの持ち手を両手で握りしめる。これは、早く買って帰ったほうがいい。



「じ、じゃあ、またね。久しぶりに会えて、よかったよ」


 何故か名残惜しく感じる気持ちを抑えながら、手を振ってスーパーの方へ向きを変える。


 不思議と泣きたくなるような、何かが胸の奥からせり上がってきてどうしようもない。


 区切りをつけるように一歩踏み出そうとしたとき、「待って!」という声とともに私の右手首が優しく掴まれた。


 もう好きじゃないって、叶うわけなかったんだって、忘れてしまおうって決めたのに。


「そのままじゃ、行かせられないだろ。風邪でも引いたらどうすんだよ」

「……え」



 びっくりして、言葉が出てこない。好きな人に突然呼び止められてしまったら、誰だってこうなるよ。


 怒られているわけでも、泣かされているわけでもないのに、どんな顔で振り向けばいいかわからない。


 皆城くんにとって今の言葉は、元クラスメイトを放っておけないっていう優しさからくるものだってわかっているから。


 誰にだって彼は、明るくて優しい。皆を笑顔にできる力があって。


 だから私は、皆城くんを好きになったの。

 きっと寒さのせいだけじゃない理由で真っ赤になった顔なんて、見せられない。




 その瞬間離された手は、ゆっくりと定位置にもどる。なあ、と私にかける声があたりに広がる柔らかな光に吸い込まれるみたいだった。


「……これ、俺ので良かったらさ」


 ふわりとなにか暖かいぬくもりが肩にかけられるのを感じた。さっきの今まであんなにいろいろ考えて振り向けなかったのに、いとも簡単にそれが何かを確かめるように頭を右に向ける。



「こんな、恋人がやるようなこと、俺なんかで申し訳ないんだけどさ。でも、寒すぎて見てらんなかったから」



 もう少し頭を、ついでに身体も動かせば、皆城くんとバッチリ目があってしまった。


「……ありがとう」


 絞り出した声に、お礼の気持ちを乗せる。

 そのときスカートのポケットから、電話の着信を知らせる振動を感じた。


 とっさに頭を下げてから通話ボタンを押すと、お母さんのいつにもましてテンションの高い声が響いた。



『ごめーん美葉みう!なんか、お母さんいちご買ってたみたい!今冷蔵庫開けるまで気づかなかったわー』

「……え、え!?」


 衝撃でスマホを落とさないように慌てて両手でしっかりと握りしめる。


『もう買っててもまだ買ってなくてもいいからさー、とりあえず家戻っておいでー』


 一方的に要件だけ伝えられて一方的に切られる。……とはならなかった。


 私は力いっぱい握っていたはずなのに、後ろからひょいと取り上げられてしまったのだ。



 握った指は僅かな空を切り、その衝動で落ちそうになった上着を胸の方へ引き寄せる。


「あの、山原美葉さんの同級生なんですけど」

『なに、どういうこと?』


「えっ、か、皆城くんっ」

「今夜は俺が娘さんを預かるんで」


 ピ、こちらから初めて切ってしまったお母さんの電話。いつも切られる側だったから、切ったのは初めてだった。


 私のスマホは、今着ている皆城くんの上着のポケットにするりと滑り込む。


 皆城くんの意図がわからない。だけど、確実に私の頬は真っ赤で全身がやけどするくらい熱い。


 スマホの重みを感じた瞬間、さっきの右手が握られた。

 今度は、手首じゃなくて手の平だった。


 どくり、と心臓が脈打つ。それが痛くて、久しぶりに感じる甘さがあった。


「今日はー、クリスマスイブということで。空が、暗くて明るいね」



 手を繋いだことなんてなんてことなかったかのように空を見上げて変なことを言い出す皆城くんの顔が、イルミネーションの光に照らされる。


 こんな、手を引っ張ってどこかへ連れてかれることに懐かしさを覚える。



 ―――――――――――――――――――――――




 6年生の夏、初めて皆城くんと話したとき。

 私は彼に、夏祭りに誘われたことがあった。


 夏休みのど真ん中。こんな日に誰かと会うなんて今までなくて、ものすごく緊張したのを覚えている。


 もちろん二人っきりというわけではなく、クラスの皆でということだったのだけれど。




 待ち合わせの場所には、クラスの半分以上がいた。


 迷惑になるからと全員で回るのではなく、その場の立ち位置でざっくりと半分に分かれたメンバーで行動することになった。



 私がいたのは、クラスのムードメーカーの男の子3人に、よく一緒にいるのを見かける4人の女の子グループだった。


 ちなみに向こうは何度か話したことのある女の子たちがいるメンバーで、こちらの女の子4人グループとは全く話したことはない。



 だから、少し不安になってしまったのは言うまでもなかった。



「えー、勝基くんと一緒じゃないのーっ?」

「なんだよ、俺らじゃ不満かよ」

「いや別にそーいうわけじゃないけどさー」



 ……私は昔から誰かの会話に入るのが苦手だった。高校生になった今はそんなことも少しずつ減ってきたけれど。



 —――――――――――—————



 1時間くらい屋台を回った後、複数の親の管理の元、学校の近くの公園で花火をすることになった。


 夏祭りメンバーの皆と合流して、花火の袋を開ける。


 今日のために気合を入れて結いた髪も、少しほつれていた。浴衣の袖が、ふんわりと夏の風になびく。



 皆城くんがいなかったら、きっと私は今頃家で本でも読んでいたんじゃないかな。後で、お礼を言いたい。……言えたらいいな。



 少し遠くの方で楽しそうな笑い声が聞こえる。暗くてよく見えないけれど、きっと皆城くんも楽しく花火をしているんだろう。



 その距離が、どうしても私には遠く感じてしまう。


 だって皆城くんは人気者で、クラスのムードメーカー的存在。

 私が、そんな真夏の太陽みたいな彼と話しているのが未だに信じられなかったから。



 引っ込み思案な性格で、さっきだって、グループの皆とはうまく会話ができた自信もない。


 こんな、なんにも取り柄のない私が、なんでここにいるんだろうか。とさえ思えてくる。


 そのとき、ぶわっと風が吹いた。

 手に持っていた線香花火の火が、そのせいで地面へ吸い込まれるように落ちる。


 風でさらにぐしゃりとなった髪を軽く手で押さえたとき。



 ぎゅっと誰かに、髪を押さえてない方の手を掴まれた。


「山原!」

「えっ、皆城くん?」


 いつのまに……てっきり向こうにいるものだと思ってたからビックリだ。


「俺たち二人でさ、抜けだそーよ!」

「え、わっ」


 引っ張られた手が、力強い。


 家族以外とこんな風に手を繋いだのは、生まれて初めてだった。



 鈍足の私と瞬足の皆城くんとじゃかなりの差があるけれど、それでも走ることが楽しくて、このままどこへでも行けそうだった。





 ―――――その時と比べれば、この手は思ったより大きくて優しい。


 それがどうしようもなく心臓をドキドキさせてしまう。



 錆びた鐘が、また動き出すように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

錆びきった鐘は 桜田実里 @sakuradaminori0223

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説