ポータル
「……はあ」
自分の部屋へ逃げ込んだ恭夜は、鍵を掛けて毛布にくるまると小さくため息を溢した。
「本当に、僕って奴は」
家族にグイグイ迫られた事でキャパオーバーして、思わず逃げ出してしまう。そんな自分の行動に彼は酷く悔やんでいた。
(もういっそ社長の話を受けるべき? ……いやいやいや、僕に配信なんて無理だよ。むしろやっても逆効果。ギルドの評判を悪くしちゃってみんなに迷惑が───)
……徹底した自己否定。謙遜と呼ぶにはあまりに淀んだ暗い思想。奥深くに根付いたそれは、彼を徐々に底無しの闇へと引き摺り込む。
「───だ、だめだ。これ以上考え込むといよいよ鬱になる」
いつにも増して気分が沈んでいる事を自覚した恭夜は、慌てて思考を中断する。
(僕が鬱になるのは──常時鬱みたいな物だし──別にいいけど、本当になったら家族を心配させちゃう)
自分の身なんてどうなろうと構わないが、それで悲しむ人は確かに居るのだ。
自分の安否如きで誰かを悲しませちゃいけないから、自分を大事にする。……結局は自分を卑下している事に変わりないが、その事に気付く以前は相当に酷い有り様だったから、そこは成長したと言えるのだろう。
(こういう時は、何か他の事をして気を紛らわせるんだ。ゲームでもして……いや、確かあの人って今日入れないんだっけ)
気分転換にゲームでもしようとパソコンを立ち上げ、いつもプレイしているMMOをやろうと考えるものの、唯一と言っても良いネッ友が今日はログインしていない事に気付いて手を止める。
(そ、それじゃあ本でも……そういえば、溜め込んでた分は少し前に読み切ったんだった)
昨今の著しい紙媒体のデジタル化によって電子本が主流な今の時代には珍しく、彼の背丈ほどある本棚には紙の本がいっぱいに詰められていた。その事からも分かる通り、彼は電子本よりも紙の本で読む事を強く好んでいた。
調べ物をする際ならともかく、娯楽として読書をするなら多少入手が難しかろうと紙の本で読む方が断然良い。そんなこだわりが今回はアダとなった。
「……どどど、どうしよう!」(な、何をして気分転換をしたら!?)
ちなみに本を買いに行くなり暇つぶしに散歩するなりで外出するという選択肢は彼に無い。人に会うのが怖いとか以前に、そもそもの気質がインドア派であった。
(……ご、ご飯に呼ばれるまで、まだ結構時間はある)
今後の行動に悩んで部屋をウロウロとする恭夜だったが、ふとある事を思い付き、立ち止まって壁に掛けられた時計を確認する。
時刻は五時ちょうど。窓から見える夕焼けに染まりつつある青い空は、もうすぐ夕暮れ時になる事を教えてくれた。
「…………よしっ」
目を瞑ってしばし熟考した彼は、意を決したように呟き、開眼する。
そこからの彼の行動は早かった。一旦扉の鍵を開けると、外に『入室厳禁』と手書きで──中々の達筆──書かれた掛け札を置いて再び鍵を閉める。その後、紙の本でいっぱいな少し大きい本棚の前へと立った。
「これを使うのも久しぶりだな」
彼は本棚の真横に立つと、力いっぱいに押した。
「ふぐぐぐ……! ちょ、ちょっと、いやかなり重いな!?」
中学一年の誕生日で買ってもらった本棚。最初はすっからかんだった棚には今や多くの本が並べられ、その本棚を押し退けようとする彼の腰には多大なダメージが入った。
「はあ! はあ! はあ!」
それから本棚を退かすのに四、五分ほど掛かった恭夜は、事を始める前から疲労困憊となった。
なんかもう疲れたし寝ようかなと考え始めた彼だが、いやじゃあなんの為に重い本棚を退かしたんだと思い直して起き上がる。
本棚を退かした先にあるのは、押し入れである。恭夜は、その押し入れの戸を開く。
「……うん、ちょっと埃かぶってるけど、ちゃんと使えそうだね」
中段で上下に物を収納できるようになっている押し入れ。……その下段には、真っ白な長方形の柱が下から突き出ていた。
出現当初はモノリスと呼称されていた長方形の無機質な物体。
この世界とダンジョンを行き来できる唯一の手段であるポータルは、当然ながらその価値も高い。ダンジョンに眠る計り知れない価値を知り、ポータルの独占を狙う人や企業、国家が多く現れたのは必然と言えよう。……しかし、実際にそれを成し遂げたという例は少ない。
ポータルの出現場所というのは、無秩序が過ぎている。前人未到の未開の地であったり、人間には過酷すぎる環境であったり、私有地のど真ん中であったりと、手を出しにくいポータルというのも数多く存在した。
ただ、そういった理由も確かにあるが、一番の理由は他にもある。それはポータルが出現した場所から
ダンジョンと同様、ポータルの謎はほとんど明らかになっていない。どこから現れて、どうやって
だからこそポータルの研究は日々行われている。そしてそんなポータルが私有地に出現した一般人が取れる行動は、ポータルを使って一攫千金を狙うか、国や企業の手で土地を奪われるか、失う代わりに多額の金を支払われるか、このどれかだろう。
……だがもし、その人物がポータルを使ってダンジョンに行く事が出来る
▼▼▼
薄暗い洞窟の中、本来なら陽の光が届かないほど入り組み、巨大なそこを淡く照らすのは、壁や天井、地面にへばり付いているエメラルドグリーンの苔だった。
そこら中に広がっている光る苔は、ある方向を進むと徐々にその量を増やしていく。それを辿るように進んで行ったその先に、それはある。
狭い道から開けた場所へ、そこは他と比べて苔の量が尋常ではなく、それに比例して周囲を照らす光も強かった。
洞窟全体を埋め尽くす苔は大自然を想像させ、周囲に満ちる光は太陽の下と遜色ないほど。そんな空間の中心に佇む祭壇と、その上で祀られるように鎮座している真っ白な柱は、実に幻想的な光景だった。
真っ白な柱……ポータルが不意に光り出す。その後、光は粒子として外に放たれ、無数の粒子はポータルの側で人の形を模るように集合する。
「───うぅ、眩しい」
ポータルが光り出して僅か数秒、光の粒子が集まっていた場所には一人の人物が立っていた。
「いつも思うけど、洞窟の中なのに此処だけ明るすぎでしょ」
他の所はもっといい感じに暗くてジメジメしてるのに……と、幻想的な光景を前にナメクジみたいな感想を述べるこの者の正体は、先ほど本棚と格闘して疲労困憊になっていた
「ご飯に遅れたらいけないから、遠出しないよう注意しても……探索は二時間が限界かな?」
自分の気分転換の為に家族の夕飯を遅らせるなんてあってはならない。そんな考えの下、彼は万が一でも帰りが遅くならないよう頭の中で計画を立てる。
「……にしても」
ある程度考えを纏め、いざ行かんとした恭夜は、ふと滑らかなポータルの表面に写る自分を見て思う。
「この状態の僕って、本当に別人みたいだよね」
もはや原型を留めていないと語る彼の姿は、彼自身が言ったように元の姿から大きく変貌していた。
ただ切り揃えただけのショートカットの黒髪は、少し伸びて艶やかな光を放つミディアムボブの銀髪に。飾り気の無かった頭には星の髪飾りが。野暮ったく伸びていた前髪も消えて、蒼く煌めく二つの
凄まじい変化の仕方。だが最も目を惹くのは、その背に生えた大きな羽と、頭に浮かぶ半透明のリングである。絶世とも言える容姿も相まって、仮に天使と言われても納得してしまうだろう。
オシャレ好きが見たら卒倒するようなダサ男から、洗練された身なりの天使にメタモルフォーゼ。これにはオシャレ好きも満足げに頷くどころか神々しさのあまり卒倒する事だろう。
(確かに、この姿なら配信映えするっていう社長の言う事も分かる)
彼はダンジョンに潜ると、強制的にこの姿へ変身する。最初の頃は随分と困惑したが、今じゃもうこの姿も慣れた物だ。
「……け、けど、もし世間に僕の本当の姿がバレたりしたら」
ビジュアル面で皆に絶賛→途中で正体がバレる→騙したと言われる→炎上→詐欺罪で訴えられる→裁判を起こされる→慰謝料を取られる→刑務所にぶち込まれる→天神ギルド解体
「ヒェ……」
瞬間、脳裏によぎった未来に彼は顔を青ざめる。
「こ、これ以上は考えないようにしよう。今は気分転換の最中なんだ」
気分が一気に急降下する恭夜だったが、此処に来た目的を思い出して慌てて思考を中断させる。
「よ、よし、今日はエンジョイしていくぞー」
震えた声で無理やり活を入れると、恭夜は祭壇から降りてダンジョン探索を開始するのだった。
……華奢な体付きに制服のスカート、中性的な顔立ちから女に見えるが実は違う。膨らみが皆無な絶壁の胸がその証だ。しかし、だからと言って男という訳でもない。その証拠に彼の下半身には男の象徴が存在しない。
(あ、そういえば明日って月曜か。……嫌だなぁ、学校)
男性でも女性でも両性でもない、すなわち無性。それが彼、陽月恭弥の今の姿である。
▽───
レベル:???
ジョブ:天使
加 護:成長の加護
魔 法:無
スキル:鑑定
△──────────△
コミュ症にインフルエンサーは難しい ブナハブ @bunahabu
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