第2話 弟子入り②



どさっと数十冊のエロ本を自分の机の上に置く。

朝、少し早く登校した俺はそのエロ本をじっくり味わうように読んでいた。

本の中では、大人のお姉さんが水着姿でセクシーなポーズを取っている。

「なるほど。エロいな」

と俺は呟いた。



「……おい、ついにとち狂ったか」

前の席に座っている中原が珍しく鏡を見るのをやめて俺に話しかけてくる。

「へ?なんで?」

エロ本をぱらぱらめくりながら聞くと、

中原が呆れた様子で、こちらを見る。

「なんで急にそんなもん読み始めたんだよ」

「なんというか、このままじゃまずい気がしてさ」

「まずいって何が?」

「性欲がないと、これからまた彼女作っても愛してもらえないんじゃないかと思って。エロ本読んでれば、性欲が目覚めるかもしれないだろ?」

「……なるほどね。それでこんなことしてるんだ」

中原は謎が解けて少しすっきりしたような表情をする。

彼は試し読みするように俺のエロ本を1冊ぺらっと開いて眺めたあと、

顔を赤くしながらまたエロ本を閉じた。

「……でもやっぱり、こういうのを人前で見るのはやめた方が良いんじゃないか?傍から見たらお前ただの変態だぞ」

変態だぞ。へんたいだぞ。ヘンタイダゾ……。

中原の言葉が頭の中で反響する。

思わず俺は身を乗り出して、中原に顔を近づけた。

「中原。今、俺のこと変態って言った?」

俺が近づいた分、中原が不快そうに顔を引いて。

「ああ。言ったけど」

と言う。

すっと心の中が満たされていくのを感じる。

俺はこらえきれず、へへへと笑ってしまった。

「マジかー。俺、変態かあ」

嬉しそうにする俺を中原はごみを見るような目で見つめて、

「やっぱお前、頭おかしくなってるよ」

と言った。



その後、ホームルーム前にトイレに行った俺と中原は、教室に戻る途中で永瀬さんと鉢合わせた。

「おはよう。宮澤君」

と永瀬さんが言う。

「おはようござ……」

まで言って、昨日のことを思い出す。

そうだ。敬語はやめることになったんだった。

「……おはよう。永瀬さん」

タメ口で挨拶をすると永瀬さんは目を線にして微笑んだ。

「手に持ってるのは何の本?」

と永瀬さんに質問される。

俺は持っていた本のグラビアアイドルの表紙を永瀬さんの方に向けて

「エロ本だよ」

と答えた。

隣にいる中原がお前マジか、という顔でこっちを見る。

「ふふ。宮澤君ってエロ本読むんだね」

と永瀬さんが含んだような笑いをする。

え?何その反応、みたいな顔で中原が永瀬さんを見る。

「でも、あまり人前で読むのはやめといた方が良いよ。特に学校で読んでると先生に没収されちゃうよ」

優しく諭すように永瀬さんが言う。

薄々俺も、人前で読むもんではないような気はしていたのだが、中原と永瀬さんに全く同じ指摘をされてしまうと、相当非常識なことをしているんだな、という自覚が湧いてくる。

「わかった。人前で読むのはやめておく」

と言うと、

「うん。それじゃあね」

と手をヒラヒラさせながら永瀬さんは自分の教室の方へと去っていった。



「……」

永瀬さんがいなくなったところで、

随分周りが静かなことに俺は気がついた。

教室に入ると、他の生徒たちが訝しげな目でこっちを見つめていた。

不気味に思った俺は中原に

「中原、なんでみんな俺たちのこと見てるんだろう?」

と聞いた。

「俺たちっていうか、みんな宮澤のことを見てるんだよ」

と中原が答える。

「なんで俺ってわかるの?」

「そりゃわかるよ。だってお前、さっきまでママと親しげに話していただろ?」

中原が平然とした顔で俺にそう告げる。

「?」

意味がよくわからなかった俺は頭の中で状況を整理した。

ママっていうのは確か、この学校で一番人気の女子のあだ名で、

そして、俺がさっきまで話していた人というのは永瀬さんのことだろう。

つまり……、

「永瀬さんが、ママってこと?」

俺が少し驚いた調子で聞くと

「知らずに話してたのか?」

と中原は俺と同じように驚いた調子で言った。



(さっき、サッカー部の部長がママに告白したらしいよ)

(ママ、今回も振ったんだって。さすがだよね)

(うん。さすが私たちのママだね。誰にも靡かないところ、本当にかっこいい!)

昼休み、机に突っ伏しているとそんなヒソヒソ話が聞こえてきた。

今まで気づいてなかったけど、どうやらうちのクラスにも永瀬さんのファンが結構いるらしい。

本当に永瀬さんは人気者だったようだ。



『寂しくは、ないんですよね……』

俺は昨日の永瀬さんの言葉を思い出す。

友達がいなくても寂しくないのは、学校中の人気者だったからなのかな。

好きな人一人に愛されるより、そっちの方が幸せだったりするのかな。

とか、ぼーっとした頭で考えていると、

「宮澤君、ちょっといいかしら」

と声をかけられた。

顔を上げると夏目先生が目の前に立っていた。



「何でしょうか?今日は俺、授業中に寝てないですよ」

「このクラスに人前で堂々とエロ本を読んでいる変態さんがいるって女子から苦情があったのよ」

夏目先生の発言にギクッとする。

そんな俺を見て、夏目先生が詰め寄ってきた。

「で、そのエロ本を没収しに来たの。宮澤君が犯人だっていうのは分かっているわ。放課後まで預かっておくから、そのいかがわしい本を出してくれるかしら」

先生にジト目で手を差しだされる。

素直に観念して、

「あーはい。わかりました」

と言った。



永瀬さんの忠告通りになったな。

この失敗を生かしてこれからは一人の時に読むようにしよう、と心に決めて、

俺は通学カバンいっぱいに入れていたエロ本を抱え込むようにして出す。

「これが今日持ってきたエロ本です」

と言って数十冊のエロ本をドンと机の上に置いた。

「こ、こんなにたくさん持ってきたの?」

夏目先生が顔を赤くして少し体を引く。

そしてエロ本の表紙から目をそらした。

中原も夏目先生もどうしてそんな反応になるんだろうか、と思った俺は

「先生、どうして顔を赤くしてるんですか?」

と聞いてみた。

その言葉に夏目先生はさらに顔を赤くしてうつむく。

「……誰だって普通こうなるでしょ」

「……」

俺はエロ本を読んでもそんな風にならないです。と言おうとしてやめた。

なんとなくだけど、そう言ったら夏目先生に変な目で見られるような気がしたから。

先生は

「これ、職員室まで持っていくの恥ずかしいわぁ」

と言いながら、俺のエロ本を抱えて教室を出ていった。



「ねえ、あの野良猫の後を追ってみようよ」

付き合ってた頃の唯が無邪気に言う。

「いいね。追ってみよう」

俺はそう言って、ニヤッと笑う。

猫に夢中になっている唯から隠れて、驚かしてやろうと思ったのだ。

追いかけていた猫が石垣を超えてどこかに行ってしまうと、唯は

「行っちゃった」

と言って後ろを向いた。

そこに俺がいなくて、きょろきょろとあたりを見回す。

「わあ!」

と俺は唯の背後から大声を出した。

「わあ!」

と唯も同じような声を出して驚く。

その反応に満足した俺は、ははは、と笑った。

「びっくりした?」

と得意気に俺は聞く。

けれど。唯は答えてくれなかった。

代わりに彼女は、泣きそうな顔をして

「良かった。本当にいなくなっちゃったかと思った」

と言った。

俺はその言葉で胸がぎゅっとなる。

「俺は絶対にいなくならないよ。だから安心して」

そう言って、俺は唯の手を握ろうとする。



10

信号が青になってはっと顔を上げた。

学校の帰り道の途中で俺は、唯と付き合っていた時のことを思い出していた。

(あの時の唯、本当に可愛かったな)

横断歩道を歩きながら俺は思う。

別れてもう1か月も経っているのに、

俺は未だに唯との思い出に浸るのをやめられていない。

はあ、と俺はため息を吐いた。

こんなことしてたって唯と復縁できるわけでもないし、苦しいだけなんだけどな、と思う。

……でも、もう1か月も経ってるし、もうそろそろ話しかけても大丈夫だったりしないかな。

もしそうなら、また前みたいにおしゃべりしたいな。

そんなことを考えながら歩いていると、

なぜか奇跡的に唯の姿を発見した。

唯は迷いのない足取りで、すぐ近くにあった公園へと入っていく。

どうやら俺には全く気付いてないようだった。

何をしてるのか気になった俺は、少し迷った末に唯のあとを追うことにした。



11

屈んで低木に身を隠しながら公園の中へと入っていく。

ある程度進んでから俺はあることに気がついた。

その公園は、半年前に唯に告白された場所だったのだ。

唯はどうして下校中にこの場所に来ようと思ったんだろう。

と思いながらそろりそろりと俺は歩いた。



12

唯がイチョウの木の下でベンチに腰掛ける。

そして、物思いにふけるようにぼーっと空を眺めはじめた。

俺はその様子をしばらく身を隠しながら見守った。

もしかして、と俺は思った。

唯は俺との思い出を思い出すためにここに来たのかな。

俺がいつも唯のことを思い出してるのと同じように、

唯も俺との思い出に浸ったりすることがあるのかな。

だとしたら、嬉しいな。



13

周りを見渡す。

今、この公園には俺と唯以外誰もいなかった。

話しかけてみようかな、とふいに俺は思った。

その考えが浮かんだ瞬間、急に心臓がドクドクと鼓動を速める。

それ落ち着かせるために深呼吸して、気持ちを整えたあと、

俺は思い切って立ち上がった。

唯の方へと歩き出す。

……その時だった。



14

「ごめん!待った?」

俺の知らない男子が唯の方へと駆け寄っていく。

その声の方へ唯が顔を向ける。

そして、俺には見せたことないような嬉しそうな笑顔をその男子に向けた。

「ううん。私も今来たところだよ」

と言ってベンチから立ち上がる。

「そっか、それなら良かった」

「うん、それじゃ行こっか」

差し出された唯の手を、その男子は慣れた手つきで握った。

そして、手をつないだまま公園を出て行こうとする。

「……」

俺はそれを最後まで見届けずにその場を去った。

どうやら、唯はこの1か月でまた新しい彼氏を作っていたらしい。

そんな簡単に気持ちを切り替えられるなんてすごいな、と俺は思った。

「……帰るか」

と独り言をつぶやいて、俺はおとなしく家の方へと歩き出した。



15

……やっぱり、俺には無理なのかもな。

道中で俺は思った。

人と付き合うのって元々俺には向いていないのかもしれない。

薄々感じてはいたけれど、

どんなに頑張っても、俺の性欲は目覚めない気がするし、

どんなに頑張っても、俺をずっと愛してくれる人なんて現れない気がする。

認めたくないけれど、どうにもならないことはある。



16

家に着いた俺はその晩、

通学カバンに入れていたエロ本をすべてごみ箱に捨てて眠りについた。




17

「永瀬さんは学校って楽しい?」

水曜日、図書委員の仕事で俺は永瀬さんと受付業務をやっていた。

隣にいる永瀬さんが

「何その質問。宮澤君は楽しくないの?」

と質問を返してくる。

「……俺は楽しくないよ」

ときっぱり答えると、永瀬さんがきょとんとした顔でこちらを見てくる。

「不思議。宮澤君は友達いるって言ってたから、楽しんでるんだと思ってたのに」

俺は特に興味もない本棚の本を眺めながら

「友達がいたって、その人がずっと俺のことを愛してくれるわけじゃないからね」

と言った。

ふーんと永瀬さんが言う。

「宮澤君はずっと愛してくれる人が欲しいの?」

「うん。そうだよ。でも俺にはそんな人現れない気がするんだよね」

そこまで言ってから、俺は永瀬さんの方を見た。

「永瀬さんは彼氏が欲しいって思ったことある?」

うーんと顎に手を当てて考えた後に

「思ったことないかな」

と永瀬さんは言った。

「……へー。永瀬さんはすごいね」

若干ふてくされ気味に俺はそう言う。

彼氏もいない。友達もいない。

それなのに寂しくないなんて、

本当に別世界の人間なんだな、と改めて思う。

羨ましいな。どうしたらそんな風になれるんだろう。

と考えていると、

ふと、1つの仮説が俺の頭に浮かんだ。



18

「永瀬さんってママなんだよね?」

俺の質問に、永瀬さんが苦笑する。

「なぜか知らないけど、いろんな人からママって呼ばれてるね」

俺は永瀬さんに顔を近づけた。

「永瀬さんが一人でも寂しくないのってさ、学校中の人から愛されているからなんじゃない?」

俺の言葉に永瀬さんは顔をしかめた。

「えー。そうかな?煩わしいことも結構あるよ?」

「……いや、絶対にそうだよ」

俺は少し強引に断定する。

それはきっと俺の願望もあったんだろうと思う。

大好きな人に深く愛してもらえなくても、

その他のたくさんの人に愛してもらえれば、

人は幸せになれるんだって信じたかったのだ。



19

「……どうしてそんな風に決めつけるの?」

永瀬さんは少し不快そうに言った。

どうやら俺が無理やり断定したことに、彼女は悪意を感じたらしい、

「……もしかして宮澤君も、私のことが気に食わなかったりする?」

と言って永瀬さんは俯いた。

「そうかも。考えてみたら俺、ずっと永瀬さんに嫉妬してたから」

と俺は言う。

傷ついたのか永瀬さんが眉を八の字にして目を潤ませた。

俺は構わずつづけた。

「でも、同じくらい永瀬さんに憧れていると思う。だって、永瀬さんは俺が手に入れたいものをたくさん持っているから」

永瀬さんの手をつかむ。

え?何?どうしたの?って言いたげな顔で永瀬さんは俺を見た。

俺も真剣な眼差しで永瀬さんを見つめる。

「俺も永瀬さんみたいにたくさんの人に愛されてみたい。それで、永瀬さんみたいに一人でも生きていける人間になりたい」

心なしか、そう言った瞬間、永瀬さんの大きな瞳がきらっと光ったような気がした。

何も言わずにじっと見つめてくる永瀬さんに、俺は思い切って言った。

「だから、俺のこと弟子にしてください!」

言ったあとで、俺は何を言っているんだろう、と自分にツッコミを入れたくなった。

閉館間近だった図書室は誰もいなくて、

俺の大きな声はすぐに吸い取られて静かになった。

とても長く感じられた沈黙のあと、

永瀬さんはふふっと微笑して言った。


「……いいよ」

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愛されたい俺は学校で一番人気の女子に弟子入りすることにした。 秋桜空間 @utyusaito

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