第2話 弟子入り①

「おはよう。宮澤君」

眠りから覚めて顔を上げると、

担任の女教師、夏目先生がニコニコと不気味な笑みを浮かべていた。

周りを見ると、他の生徒はぞろぞろと通学カバンを引っ提げて教室を出ていくところだった。

「あれ?6時間目の授業は?」

「もうとっくに終わったわよ。今はもう放課後」

「え……。え!うそ!」

立ち上がって壁時計を見る。

たしかに時刻は15時30分で帰りのホームルームの時間を過ぎていた。

「宮澤君、最近ぼーっとし過ぎじゃないかしら?何か悩みごとでもあるの?」

「う……」

俺は唯と別れたときのことがフラッシュバックしてうめき声をあげた。

あれから1か月が経ったが、未だに俺は気持をリセットできずにいる。

けれど、失恋しました、なんて先生に言う勇気はない。

「何でもないです。居眠りしてすいませんでした……」

先生はじーっとこちらを見つめた後、納得いってなさそうな顔でため息をついた。

「まあ、それはいいわ。授業で寝てるのは宮澤君だけじゃないし」

それでいいのか?と思ったが見逃してもらえるのはありがたかったので、口にはしないでおいた。



「そんなことより君、昨日委員会に出席しなかったんだって?」

委員会、という自分には全く馴染みのない言葉が聞こえてきて首を傾げる。

「何の話ですか?」

「君、2学期から図書委員になったの忘れたの?」

「……そういえばそうでしたね」

俺は楽そうだからと言う理由だけで図書委員に立候補したのを思い出した。

そっか。昨日委員会だったんだ。

「宮澤君、受付係に決まったそうよ。それで今日は君が受付の日なんだって。さっき図書委員の先生に言われたわ」

「今から行かなきゃいけないってことですか?」

「そういうことでしょうね」

「えー、早く帰りたかったのに」

「無断で委員会を欠席しなければこんなことにならなかったかもね。ま、そういうことだから早く図書室に行ってきなさい」

夏目先生はそれだけ言って教室を出ていった。



あくびをしながら階段を降りる。

図書室は1階の1番西側の部屋にあって、今まで1度も行ったことがなかったので、

軽く迷いそうになった。


「失礼します……」

図書室のドアをそろそろと引く。

放課後の図書室なんて誰もいないだろうと思っていたが、

予想以上に人は多かった。

受付カウンターには誰も座っていない。

もしかして、今日は俺1人で本の貸し借りをやらなきゃいけないんだろうか?

やり方とか全く知らないのだが。

カウンターの隅に目を通すと

「図書委員 宮澤玲央」と書かれた名札が置いてあった。

とりあえず俺はその名札を付けて受付の席に座った。



「すいません。本の予約をしてた栗林ですけど」

座っているとすぐに先輩とおぼしき女子に声をかけられた。

「え、あ、はい。少しお待ちください」

と言って俺は慌てて傍にあったパソコンをいじる。

案の定、本の貸し借りシステムは上手く操作ができず

時間だけがどんどん過ぎていった。


しばらくパソコンを触り続け、これは自分にはできないと思った俺は、

ちょっと待ってもらえますか。先生呼んでくるので。と言おうとした。

けれど、俺が口を開くよりも先に、

「あの、すごく急いでるんです。早くしてもらえるとありがたいんですけど」

と栗林さんに言われてしまう。

「え、えーと、その……」

俺は何も言えなくなってしまった。

そんな俺を見て栗林さんが眉をひそめる。

じわりと嫌な汗が出てきた。

どうしよう、と立ち尽くしていたその時だった。

「予約してたのはこちらの本ですよね?どうぞ」

横から聞き覚えのある優しい声が聞こえてきた。

ほんのりと柔軟剤の甘い香りがする。

横を見ると、いつの間にか俺の隣に背の高い女の子が立っていた。

「ああ。はい、そうです。ありがとうございます」

栗林さんはその本を受け取ると満足そうに去っていった。

俺はほっとして息を吐く。



「すいません。助かりました」

お礼を言って、隣にいる女子の顔を見上げた。

わたあめのようなふわふわの髪と、見覚えのある綺麗な顔が視界に入る。

そこにいたのは1か月前、雨に打たれていた俺にチョコをくれた女の子だった。

「あ、この前のチョコの人だ……」

とっさに言葉が口を出る。

「……」

彼女は目をぱちくりさせながらじっと俺のことを見つめた後、

ぷいと背を向けて、受付カウンターの下で何かをガサゴソ漁りはじめた。

俺の発言に対しては完全にスルーである。

その反応に若干傷ついた俺は

何だろう。何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。

と不安になった。


実際、思い当たる節はあった。

多分だけど、俺はこの図書委員の仕事に遅刻しているし、

昨日の委員会だって無断欠席している。

もしかしたら、彼女はそんな俺に嫌な感情を抱いていて、

わざと無視したのかもしれない。

謝らないとまずいのではないかと思った俺は、

「あ、あの」

と声をかけた。

「……」

依然として彼女は俺に背を向けたままで反応を示さない。

ここで黙るのは一番だめだと思い、俺は口を動かす。

「あの、遅刻して、ごめんなさ……」

「あった!」

俺の言葉を遮って彼女が言う。

彼女はカウンターの下に置いていた通学カバンから、

市販の大袋チョコを取り出し、こちらに見せてきた。

そして、ぱっと花が咲いたような満面の笑みを浮かべる。

「今日もチョコありますので、一緒に食べながら受付業務やりましょうね」

……どうやら彼女は怒っていたわけではなく、

俺にいち早くチョコを見せたかっただけのようだ。

その言葉に心からほっとした俺は、

「はい。よろしくお願いします」

と頭を下げた。



「あ、自己紹介が遅れてました。永瀬蛍、一年生です」

思い出したように彼女が言った。

「俺は宮澤玲央、同じく一年生です」

と俺も同じように自己紹介をする。

「……永瀬さん、俺のこと覚えてるんですね」

会ったのは1か月も前で、覚えているのは少し意外な気もしたので、俺は聞いてみた。

「覚えてますよ。雨に打たれているところ、すごく印象的でしたから。それに……」

と言葉を区切って彼女は俺の顔をまっすぐ見つめる。

そして、ふふ、と機嫌良さそうに笑った。

「あの日から、ずっと話してみたいなって思っていましたし」

その発言に俺は首を傾げた。

確かに俺と永瀬さんは印象に残るちょっと変な出会い方をしたけれど

それだけで1か月間ずっと話してみたいだなんて思い続けるものだろうか?

いわゆる社交辞令というやつかな、とも思ったが、

「どうして話してみたかったんですか?」

と俺は聞いた。

「あ、えーと、その、」

と明らかに回答に困った様子を見せた後、彼女は唇の前に人差し指を持っていき、

「それは秘密です」

と言った。



それから、俺は永瀬さんから受付のパソコンの使い方について教わり、

説明がひとしきり終わって暇になると、たくさんのことを質問された。


宮澤君って趣味は何かありますか?

好きな食べ物は何ですか?

好きな音楽は?

血液型は何ですか?

身長は何センチですか?

等など。

彼女がしてくる質問はすべて俺にまつわることで、

それに俺が答えると、彼女は満足そうにうなづくのだった。

その頃には彼女の「ずっと話してみたかった」という言葉は

嘘ではなかったんだと思うようになっていた。


俺と永瀬さんがした会話はどれも他愛のないものだったので

ほとんどの会話の内容は忘れてしまったのだが、

1つだけ妙に頭に残っている会話がある。

その会話は永瀬さんの唐突な質問から始まった。



「宮澤君は、友達っていますか?」

「いますよ。そんなに多くはないですけど……」

俺の返答に永瀬さんは、ふーんと相槌を打つ。

「友達とはどんなことして遊ぶんですか?」

「えーと、休日にどこか出かけたりですかね。あとは普通に休み時間に雑談したりとか」

唯と付き合い始めたあたりから、あまり遊ばなくなっちゃったけど、と俺は心の中で付け足した。

「……楽しいですか?友達と遊ぶのって」

永瀬さんにそう質問されたところで、ん?と俺は思った。

「そりゃ、楽しいですけど……。永瀬さんは楽しくないんですか?」

と聞くと、永瀬さんは少し考えた後に、

「私、友達がいないからわからないんです」

と答えた。

俺は困惑して、何も答えられなくなった。

こんなに顔が綺麗で、気さくに会話ができて、しっかり仕事もこなす人に友達がいない、というのが信じられなかったのだ。

「休日とか放課後に誰かと遊んだりは?」

「したことないです」

「休み時間はどうやって過ごしているんですか?」

「本を読んだり、ぼーっとしたりしています」

その返答を聞いて、本当にいないんだなとわかった俺は、

「……寂しくなったりしないんですか?」

と率直な疑問を口にした。

彼女はなぜかしょんぼりと両手を膝の上に置いて、下を向きながら

「寂しくは、ないんですよね……」

と言った。

俺に引かれると思ったのか、

「私、ちょっとおかしいですよね」

と付け足して永瀬さんが苦笑する。

……ああ、そういうタイプの人なんだ、と俺は思った。

小学生の時も、中学生の時も、こういう人って本当に少数だけど確かにいた。

誰ともかかわろうとしなくて、それでいて強がりとかではなく、本当に寂しさを感じてなさそうな人。

俺にはそういう人たちの心の中が全く想像できなかった。

どうしてそんなにずっと一人でいられるんだろうと、本当に心から疑問に思っていた。

なぜかわからないけど、永瀬さんもそのタイプの人なんだ、と思うと少しだけ胸がもやもやした。


少しの間を置いて俺は

「……いいですね。うらやましいです」

と言った。

それはその場を和ませるための嘘ではなく、紛れもない本心だった。

「俺は、いつも寂しくてしょうがないです。自分でもどうしたらいいかわからないんですよね。……だから、永瀬さんのこと本当に尊敬しますよ」

唯と別れてから特に寂しさを持て余していた俺は、思ったことをそのまま口にした。

俺の発言に永瀬さんはきょとんとした顔をする。そして、

「そんなこと言われたの初めてです」

と言った。



閉館時間になって後片付けを終えると、

永瀬さんが図書室の鍵を閉めて、今日の業務は終了となった。

「これから水曜日は毎週こんな感じで一緒に受付業務があるので、よろしくお願いします」

と永瀬さんが頭を下げるので、

「わかりました。委員会、出席してなくて本当にすいませんでした。これからよろしくお願いします」

と言って俺も頭を下げた。


「それじゃ、おつかれさまです」

と俺が手を振ると、

「……はい。おつかれさまです」

と永瀬さんもあいまいに手を振った。

俺は彼女に背を向けて昇降口へと歩こうとする。

けれど、3歩くらい進んだところで、

「……宮澤君」

と永瀬さんに後ろから通学カバンを引っ張られた。

「は、はい。何ですか?」

少し驚きつつ、俺は振り向いて永瀬さんの顔を見上げる。

「……よかったら敬語やめませんか?」

と髪を触りながら少し緊張した様子で永瀬さんが聞いてくる。

「……え、あ、はい。そうですね。敬語やめましょうか」

と言うと、永瀬さんは安心したように微笑んだ。

「うん。それじゃ、またね」

と元気よく手を振って、永瀬さんは昇降口の方へと走っていく。

「う、うん。それじゃ」

と言って、俺も手を振ってしばらくそこに棒立ちのまま彼女の後姿を眺めていた。

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