第1話 失恋②

帰りのホームルームが終わり、みんなが教室を出ていく。

昼休みが終わってから、俺はこの時間をずっと待っていた。

もし、今日唯と話ができるとしたら、あとはこの放課後の時間しかないからだ。


日直だった唯は学級日誌を職員室に返しにいってるところだった。

俺は唯が教室に戻ってくるのを待って、自分の机に座った。

一人、また一人とクラスメイトが去っていって、

気づいたら教室は俺だけになっていた。

それでも唯はまだ戻ってこない。

窓を見ると、厚い雲が空全体を覆っていてぽつぽつと雨が降り始めていた。


1,2分そわそわしながら待っていると、

ようやく唯が教室に戻ってきた。

俺を見て、唯の表情が険しくなる。

「唯、ちょっとだけでいいから話をしよう」

俺は机から降りて、そう声をかけた。

「……」

唯は俺を避けて、自分の机の方へと歩いていく。

「な、なあ。なんで無視するんだよ」

唯の方へと近づいていく。

彼女がカバンを持って逃げようとするので、

俺は腕を掴もうと手を伸ばした。すると、

「さわんないで!!」

唯が今まで聞いたことないような声を出して、手をはじいた。

その迫力に俺はたじろいでしまう。

「な、なんで?俺、そんなにひどいことした?」

「……」

「昨日の俺の受け答えがそんなにいけなかったの?たったあれだけのことで、なんでこんなに傷つけられなきゃいけないの?」

「……昨日だけじゃない」

唯が今日初めて、まともに受け答えをする。

「え?」

「私、本当はずっと前から待ってたの。玲央がその気になるのを。私、本当にいっぱい頑張ってたんだよ?でも玲央は気付いてくれなかった」

「……そっか。気付けなくてごめんね。でも、これからは気付けるように頑張る。唯のしたいことも何でもするよ」

「やめて玲央。無理しなくていいから」

「ううん。本当はね、俺もそういうことしたかったんだ。無理なんかしてないよ」

俺はにこっと唯に笑いかける。

唯は俺を見て、とても冷めたため息を吐いた。

「ねえ、玲央。そんな嘘を吐かれて、私がどんな気持ちになるか想像つかないの?」

もういいよ。と言って

唯は俺に背を向けた。

そしてそのまま教室を出ようとする。

「ま、待って!」

咄嗟にそう言ったが、唯は構わずに俺から遠ざかっていく。

色んなものが胸に込み上げてきて、俺は言った。

「なんだよ!結局唯の好きってエロいことをしたいと思うかどうかじゃんか!俺は……、俺はただ、唯がそばにいてくれるだけでいいんだよ?それだけで俺は幸せなのに。なんでそれじゃだめなの?」

俺の言葉が届いたのか唯は足を止めた。

「ごめん。私は玲央みたいには考えられない。……多分、私、痴女で変態なんだと思う」

「……」

俺が何も答えずにいると、唯がこっちを向いた。

「でも、しょうがないでしょ。私バカだから、気づいたら期待しちゃってるし、その度裏切られて惨めな気持ちになっちゃうの。私、もう疲れたよ。お願いだからもう勘弁して。もう終わりにさせてよ」


静かな教室に鼻をすする音が響く。

少しの間を置いて、それは唯が出した音だと気づいた。

唯は下唇を噛んで拳をぎゅっと握っている。

あと一言でも傷つけることを言ったら、

この気丈な態度は崩れて、唯は泣いてしまうだろうな、と俺は思った。


深く息を吸って、吐く。

「……わかった。ずっとごめんね」

と俺は言った。



うわー、傘持ってくるの忘れちゃったよ。

俺、ちょっと親に迎え来てもらうわー。

昇降口では同じ学年と思われる知らない生徒たちが、そんな会話をしていた。

どうやら外はかなりの本降りらしい。

俺は内履きから靴に履き替えた後、

カバンから折りたたみ傘を出して外に出た。


歩きながら、さっきの会話を思い出す。

どうしたら良かったんだろう?と俺は自問した。

しばらく考えたけれど、俺には答えがわからなかった。

それもそうか、と思う。

だって、性欲は俺の意志でどうにかできるものじゃないから。

もしかしたら、付き合った瞬間からこうなることは決まっていたのかもしれない。

「あーあ。こんなことなら、最初から付き合わなければ良かった」

独り言をつぶやいた。


急に風が吹いてきて、街路樹がざわざわと揺れる。

「……あ」

持っていた傘が俺の手から離れて飛んでいく。

「……」

早く走って取りに行かなきゃいけないのに、

俺は茫然と遠のいていく傘を見つめていた。

雨で俺の体が濡れていく。

目に雨粒が入って、視界がぼやけた。

ゴシゴシと制服の裾で目をこする。

何度も何度も目をこすったけれど、

視界はぼやけたまま治らなかった。



「傘、追いかけないんですか?」

不意に背後から声がして、反射的に俺は振り返る。

振り返った先に1人の女子高生が傘をさして立っていた。

肩まである髪が綿菓子のようにふわふわしていて、

顔は芸能人かと思うほど整っている。

制服を見た限り、同じ高校の人のようだ。先輩だろうか。

「……ちょっと疲れてまして」

作った笑顔をその美少女に向ける。

彼女は大きな瞳をぱちくりさせて小首を傾げた。

「もしかして今、泣いてましたか?」

「え?あ、いや……」

俺は誤魔化すように目をふせた。

すると、彼女はぐっと顔を近づけて心配そうに俺を見つめてくる。

「どこか、痛いんですか?」

まるで子供をあやすような声色で言われて、頭がくらっとする。

気を抜いたら本当に甘えてしまいそうな不思議な魅力を感じる声だった。


「いえ、そういうわけではないです」

「……そうですか」

彼女は顎に手を添えて少し考える素振りをする。

「この傘、貸しましょうか?私二つ持ってるので貸せますよ」

「大丈夫です。俺、体丈夫なので気にしないでください」

俺は少し突き放すようにそう言った。

雨ざらしの俺を同情してくれているのはわかったけれど、

初対面の人から何か受け取るのはなんとなく気が引けた。

それよりも早く1人にしてほしかった。


「……わかりました」

そんな俺の気持ちを察したようで、彼女は潔く引き下がってくれた。

「あ、そうだ」

何かひらめいたように彼女が言う。

鞄をガサゴソ漁ったかと思うと俺に何か差し出した。

「チョコ、あげます」

「チョコ?」

「はい。食べると元気が出ますよ」

彼女がニコッと屈託なく笑う。

彼女の手の中には小さな市販のチョコが乗っかっていた。

これぐらいなら受け取っても大丈夫か、と思い

俺はそれを受け取った。

「ありがとうございます」

「はい。それじゃ」

彼女が背を向けてそのまま去っていく。


俺は包みを開けてチョコを食べた。

すぐに溶け始めて、口の中は甘さでいっぱいになった。

問題は何も解決していないけれど、確かに少しだけ元気が出た。


不思議な人だったな、と思った。

なんとなく見覚えがあるような気がして、

俺は歩きながら記憶を探った。

(なんだかママみたいだな)

なぜか、今日、中原に言われた言葉を俺は思い出していた。

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