リザードマン田中

雨野水月

リザードマン田中

 田中はリザードマンとして、都内某所にオフィスを構えるIT企業で働いていた。

 田中が参加する数十人のプロジェクトは人間が大半を占めていて、リザードマンは田中を含めて2人だけだった。とはいえ、リザードマンならではの悩みを相談し合うことができる同僚がいるのは、田中にとってありがたかった。

 リザードマンは、種族としての特性からどうしても身体的に人間より劣っている部分が多く、多くのリザードマンが安心して働ける環境を探し求めて苦労していた。特に気温に関わる部分の能力差は深刻で、人間が一年中変わらないパフォーマンスを出せるのに対して、変温動物であるリザードマンは冬になるとどうしても実働時間が短くなってしまう。また、企業としては、オフィスにリザードマンの鱗用ゴミ箱や脱皮用スペースなどを設置することが必要になってくる。企業が積極的にリザードマンを採用するには、あらゆる面で大きなコストがかかるのだった。

 しかし、田中は今のプロジェクトで、とても充実した働き方ができていた。

 特に田中がお世話になっていたのが、プロジェクトリーダーの三上さんだ。

 三上さんは、新卒でこの会社に入社して10年になる叩き上げの中堅社員だ。陽気な振る舞いでオフィスの雰囲気を明るくさせながら、締めるべきところはきっちりと締めて、決して成果物のクオリティを妥協することは許さない。ミスをしてしまったメンバーを理不尽に詰めたり、人によって対応に差をつけたりしてチームの士気を下げるようなことは絶対にしない。人間の年齢に換算すると田中の年下になるにも関わらず、まさに理想のリーダーといった人材で、多くのメンバーたちから上司として慕われていた。

 田中も、三上さん本人はもちろん、三上さんを中心としたこのプロジェクトが大好きだった。このプロジェクトでは、皆がリザードマンのメンバーに対して適切な配慮を行ってくれているおかげで、田中は自分自身がリザードマンであることに対してほとんど負い目を感じることなく働くことができていた。特に三上さんは田中のことを相当に気にかけてくれており、田中からも個人的な相談を何度もしていた。

 先日も、仕事終わりに三上さんを飲みに誘って、キャリアについて語り合った。契約社員である田中は、通常なら5年目となる今年で期間満了となり会社を辞めることになる。田中としては、様々な職場を転々としてきてやっと見つけたこの会社に残りたいという思いが強く、なんとしても正社員として登用されることを望んでいた。田中が正社員になるにはどんな努力と成果が必要なのか、全幅の信頼を寄せている三上さんに助言を仰いだのだった。

「いやあ、田中はこのまま頑張っていけば絶対正社員なれるよ! ていうかなってほしい! 田中くらい真面目に働いて成果も出してくれる社員ってホントに少ないからさあ」

 田中は三上さんの熱い言葉に感激した。絶対正社員になりたい。三上さんのような頼れる人材になって、この会社に貢献したいという気持ちを新たにした。


 しかしながら、ある日を境に田中の仕事は激変した。

 季節が秋から冬に少しずつ移り変わっていく11月の某日。その日は朝からかなり冷え込んでいて、急激な気温の変化に弱いリザードマンには少々辛い出勤だった。田中は、特に繊細な部分である頬の鱗を守るため、厚いリザードマン用マスクを着用していった。

 デスクに着くなりPCを点け、その日のスケジュールを確認した田中は、午後にマネージャーとの面談が入っていることに気が付いた。田中はこの面談があることを知らなかったため、おそらく今朝方に急遽入れられたものだと思われた。ついに正社員登用の話が来たか?とわずかな期待を持って会議室に向かった田中だったが、期待は失望に変わることとなった。

 それは、突然のプロジェクト異動を告げる面談だった。

 会社が大きな予算を投じるプロジェクトで大量の離職者が出たため、穴埋め要員がどうしても必要だという理由が淡々と説明された。異動は既に決定していて、1週間後には異動先のプロジェクトで業務を開始してほしいとのことだった。当然、引継ぎもそれまでに終わらせていないといけない。田中はあまりにも急すぎるのではないかという婉曲な文句を必死に述べたが、マネージャーは取り付く島もなかった。そもそも異動を拒否するほど強く会社に反発することは、正社員登用を狙う田中としてはリスクが高すぎて現実的に取れる選択肢ではなかった。

 さらに悪いことに、異動先となる大規模なプロジェクトは、会社内でもすごぶる評判が悪かった。噂では、組織の風通しが悪くリーダーに意見ができない雰囲気が蔓延しているうえに、リザードマン差別も会社内ではかなり厳しいと言われていた。

 数か月後には契約更新を控えているにも関わらず、この処遇はあまりにも酷ではないか。田中は、リザードマンである自分が今のプロジェクトを離れてうまくやっていけるのか、不安で仕方がなかった。

 田中は三上さんにも相談した。今回会社が取った対応について、三上さんからも何か進言してくれないかと、必死に懇願した。

「いやあ、俺もホントに今回の件は寝耳に水でさ……上の決定はさすがの俺でも覆せそうにないんだ、すまん……」

 田中はショックを受けたが、三上さんでもどうしようもないと言うなら、もうなるようになるしかない。もとより、現在リザードマンとしては良好すぎるくらいの環境で働けているのも、かつての田中が努力して掴み取った結果だ。田中は、敏感な鱗がびっしりと詰まった顔を叩いて、新天地でも地道に努力していく覚悟を決めた。


 異動先のプロジェクトは、噂通り非常に劣悪な環境だった。

 まず、人間関係が最悪だった。リーダーが三上さんと違い無愛想な人物だからか、プロジェクト全体に暗い雰囲気が漂っていた。そればかりか、ミスをしたメンバーや能力的に劣っているとみなされているメンバーの陰口を叩くことが、プロジェクト内で常態化していた。仲の良いメンバー同士で派閥を作り、お互いがお互いを攻撃し合っている、チームとしてはほぼ成り立っていないと言っていい状態だった。

 加えて、田中が最も苦しんだのは、やはりリザードマンとしての働き方の部分であった。プロジェクト全体に占めるリザードマンの割合自体は以前よりも多く、100人程度のチームに20名近くのリザードマンが在籍していた。ただ、とにかく人間からの風当たりが強かった。冬の時期で体調を崩し、定時前に早退するリザードマンに対して容赦ない陰口を言われることは当たり前だった。中には陰口にとどまらず、体から鱗を落としてしまったリザードマンに対して、露骨に嫌がる素振りを見せる者までいた。田中は長年の経験から、冬でも人間と同等程度のパフォーマンスになるよう暮らしを調整する術を心得ていたが、どうしても全く同じというわけにはいかず、定時前にタイムカードを切るたびに同僚から白い目で見られているのを悟っていた。

 このプロジェクトには、個人個人のリザードマンに対する配慮が全くと言っていいほどなかった。

 田中はストレスから、体に異常をきたすようになっていた。鱗が十全にターンオーバーしなくなり、あちこちの鱗が剥がれ落ちたままになってしまっていた。特に、頭部に近い場所ほどストレスに弱い性質があるため、マスクで大事に守っていた頬の鱗は、無惨にも円形にはげ落ちていた。また、脱皮周期も次第に狂っていっており、古くなった体皮のきつい匂いを抑えるため、田中は香水をより強いものに変えた。

 とはいえ、田中は攻撃的な言動をする人間に憤りを覚えることはあっても、その怒りの矛先はこのような状況を作った責任のあるリーダー、ひいてはこのプロジェクトの内情を把握しながら積極的な改善を行おうとしない会社組織全体に向いていた。

 そもそも、三上さんがリーダーだったあのプロジェクトが奇跡のようなものだ。リザードマンが人間に劣らない環境で働けること自体が珍しく、さらにその上で組織において活躍するというのは、それほどまでに難しいことなのだ。

 次第に田中は、むしろこの状況は、自分が最悪なプロジェクトを建て直すことで会社への貢献を大いにアピールできる、正社員登用への最大のチャンスではないかと捉えるようになった。


 それからというもの、田中はとにかく頑張った。

 進行が滞っている根本的な原因を分析し、開発体制自体の見直しを積極的に提案した。余計なことをするなという目線を感じることもあったが、どんな時でも周りを気にせず意見を出すことを徹底した。時にはリーダーにも臆せず反論した。

 そして、チームとして暗い雰囲気を改善するため、田中自ら明るい改革者として振舞った。執務室に入った際の挨拶からMTGの進行まで、とにかくポジティブな言動を心掛けた。周囲のリザードマンのメンタルにも積極的に目を配り、落ち込んでいる者や悩んでいる者がいたら田中の方からケアできるよう動き回った。また、リザードマンに対して悪質な発言や態度をとるものがいたら、その場できつく咎めた。

 リーダーとして経験豊富な三上さんにアドバイスを求めることもした。毎週のように三上さんを飲みに誘っては、仕事の進め方やマインドセットについて相談した。時には田中が泣き言のような愚痴をこぼしてしまうこともあったが、三上さんは辛抱強く田中の話を聞いて、努力を労ってくれた。

 一つ驚いたことがあった。三上さんが、リーダーとしての働きを評価され、マネージャーへと昇進することが決まっていた。


 田中の大車輪の活躍で、プロジェクトは軌道に乗り始めた。メンバーそれぞれが、今自分たちの開発はうまくいっているという手ごたえを確かに感じていた。田中の影響で、開発手法に関する意見を出したり、ネガティブな発言を注意したりするメンバーも増えた。もちろん態度が変わらないメンバーもいたが、確実にその数は減っていた。田中は思った。光明が見えてきた。このままリリースまで漕ぎ着けることができれば、自分の仕事も評価されて正社員になり、そして更なる活躍の機会を与えられることで、リザードマンとしては異例のキャリアアップができる──

 しかし、現実は田中の思い通りにはならなかった。

 冬も厳しくなってきたある日、リーダーが突然休職することになったという旨が、プロジェクト全体に通知された。メンタルを崩してしまったことが原因らしい。田中たちはいったんの待機を命じられ、数日間業務がストップすることになった。

 そして、プロジェクトが凍結することが決まった。

 メンバーたちは猛反発した。なぜここまで来て凍結なのか。リーダーがいなくなったなら、代わりのリーダーを立てればいいだけではないのか。例えば、田中さんとか──

 近所の居酒屋で開催された「プロジェクト凍結を惜しむ会」で酔っ払った人間の誰かが言った。

 やっぱり、次のリーダーを選ぶなら絶対に田中さんじゃないですか。でも、会社はリザードマンの田中さんをリーダーにしたくないんだと思います。リザードマンをリーダーにする実績を作っちゃったら、ほかのリーダー候補だった人間の立つ瀬がないんですよ。面子を気にしたんです、絶対。俺、許せないです。田中さんはあんなに頑張ってたのに、会社の、組織の都合だけでこんなことになって──


 翌日、田中は契約満了で会社を退職することが決まった。


 田中は途方に暮れていた。

 退職日の前日、三上さんと飲みに行くことになった。マネージャーになった三上さんは、慣れない業務が増えて大変だと言っていた。おかげで今までのように頻繁に飲みに行けなくなってごめんな、とも。

 田中は聞いてみた。自分はなぜリーダーにも正社員にもなれなかったのだろうか。

「本当に許せないよ。田中みたいな優秀なやつを正社員登用しないでどうするんだ! リーダーにもなれずに……田中、これから色々大変だと思うけどなんかあった時は今までみたいにいつでも俺を頼ってくれていいからな」

 田中は、三上さんは組織の犬で、自分は組織のトカゲの尻尾でしかないのだと思った。


「ありがとうございます……三上さんは優しいですね」

 三上さんの肌は、すべての成分が健全にターンオーバーしているかのようで、とてもツルツルだった。

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