第33話 英雄の再誕㉝

 ほどなく、街に奇妙な噂が流れた。

 曰く、甘味処兼古本屋『馬鈴堂』の古本屋の部分には発狂頭巾の物理草紙が置かれている箇所がある。その中の一冊は発狂頭巾が発狂頭巾に成る際に読んだ本であるという。

 流れた噂はそれだけだ。無論、噂が人口に膾炙するうちに様々な尾ひれがついていった。その本を読むと発狂頭巾に近い力を得られる、だとか、最近発狂頭巾の模倣者が増えているのはその本を読んだ者がいるからだ、だとか、あるいはふさわしい者にはその本は輝いて見える、だとか。

 その噂の内どこまでが鳥沼の指示で流されていて、どこからが自然に発生したものなのか、貝介は知らない。ただ、発狂頭巾の人気を示すように噂は急速に広がっていった。

 そして、その人気は『馬鈴堂』の盛況という形に現れている。

 貝介は甘味処の人目につかぬ片隅から、客でにぎわう『馬鈴堂』の古本屋部分を眺め、ため息をついた。

「馬鈴のやつ、よくこんな策を了承しましたね」

「ですな。結構硬派な奴と思っていましたが」

「まあ、あの子もこれでずいぶん儲けが出てるだろうからいいんじゃないの? こんないいもの入れてるくらいだもの。」

 ネコ型給仕人形から『やわらか矛盾あられ』を受け取りながら、空夜は笑った。穏やかに笑いながら、ネコ型給仕人形の頭を撫でている。ネコ型給仕人形は平賀アトミックギャル美の発明の一つで全自動で注文取り、給仕をしてくれる機械だ。とてもかわいらしい半猫の姿をしている。

 古本屋部分の盛況はそのまま甘味処の盛況をもたらし、ほとんど満席の甘味処の座席の間を数台のネコ型給仕人形が忙しそうに駆け回っている。

 購入にも維持にもそれなりに資金がかかるはずだけれども、それをこれだけ導入できるというのはなるほど、ずいぶんと儲かっているようだ。

「来たわ」

 古本屋の方を見ていた空夜の柔らかな眼差しが形を変えぬまま不意に鋭いものになる。視線の先に目線をやると熱心に発狂頭巾の書籍を調べている青年がいた。明らかになにか特定のものを探しているような探し方だった。

 青年が一冊の本を見つけて、目を輝かせる。貝介にはその目が比喩ではなく本当に輝いたように見えた。

 空夜の機械仕掛けの目が瞬きするように開閉する。即座に机の上に置かれた記録端末に情報が転送される。

「もう何人目でしたかな」

「これでちょうど七人目。注意すべき人間がわかるだけでも、ずいぶん楽になるはずよ」

「まあ、そうではありますが」

 八は肩をすくめて続けた。

「でも、偶然手に取っただけという可能性もあるようにも思えますがね」

「それはそれでそういう素質があるかもしれないってことよ」

 ね、と意味ありげに空夜は貝介に目線を向けてくる。その意味を理解できず貝介は戸惑いながら頷いた。

「違ったとしても、それで何か困るというわけでもないですからね」

「まあ、そりゃあそうかもしれませんが」

 八は何か納得のいかない様子で首を傾げた。

「そもそも、あんな危険なものをわざわざ流通させて大丈夫なんですかい?」


【つづく】



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