第31話 英雄の再誕㉛

「貝介さん」

 不意に店内に声が響いた。貝介の手が止まる。振り返る。店の入り口に立っていたのは、八だった。

「やあ、八さん。お久しぶりです」

 父親が振り返り呼びかける。八は父親の顔を見てにっこりと笑った。柔らかな笑顔。貝介は伸ばしかけていた手をひっこめた。

「大変でしたね。模倣者に絡まれたんですって?」

「ええ、そうなんですよ。危ないところでした」

「いや、すみませんね。あっしらがもっとうまいこと抑え込まねえといけないのに」

 和やかに父親と会話をしながら、八は貝介たちの座るテーブルに近づき、椅子に腰を下ろした。

「それで、貝介さんとは何の話をしてたんですかい? えらく盛り上がってましたけど」

「ちょっと事情を聴いていたのだ」

 わけもなく目をそらしながら、貝介は答えた。横目に父親の表情を窺う。相変わらず微笑んでいるけれども、あの目のギラつきは消えているように思えた。なんだったのだろう。その目からうつってきたあの熱の残滓はまだ貝介の頭の中にあるような気がした。

「何か聞けましたか?」

「いや、なにも」

「まあ、あの現場には貝介さんもいたわけですしね」

「事実の確認くらいしかできなかった。折角ここまで来たのだから、再帰餅でも馳走しようとしていたところだ」

 貝介はそう言って厨房で様子を窺っていた馬鈴に合図を送った。馬鈴が頷き、皿を手にして歩み寄ってくる。

「お待たせしました。八さんはどうします」

「そうですな。それじゃあ、あっしにも同じものを」

「ああ、じゃあ、私はいいですよ。八さん食べてください」

 父親は立ち上がりながら言った。

「もうそろそろ帰らないと、うちのが心配してしまいますから」

「ああ、それなら包んじゃいましょうか?」

 機械の腕の隙間から、桃色の包み紙を抜き取りながら馬鈴が言った。包み紙には大そうかわいらしい馬鈴堂の店名が書かれている。

「それがいい。折角だ。二つとも包んでやってくれ」

「いいんですか?」

「ああ、ヤスケへの土産にしてくれ」

「ありがとうございます」

 父親はぺこりと頭を下げた。そのやりとりの間に馬鈴が精密かつ素早い手つきで再帰餅を包み紙でくるんでいく。

「それにしてもいいお店ですね」

「そりゃあどうも」

「あっちは古本屋さんですか?」

「ええ、親父から受け継いじゃいましてね。まあ、そのおかげで店持ててるんですが」

「へえ、元はむこうの方なんですか?」

「ええ、こっちは私の趣味で始めたもんでして。どうぞ」

 馬鈴は指のうちの一本から糊を染み出させて、包みを閉じると丁寧にお辞儀をしながら父親に渡した。

「やあ、貝介さんと八さんもありがとうございました」

 包みを受け取り、お辞儀をしながら父親は笑う。

「すまないな。引き留めてしまって」

「いえいえ、なにもご協力できずに」

「貝介さん」

 名を呼ばれ、貝介はピクリと眉を上げて父親の顔を見た。貝介を見つめているその顔は変わらぬ柔らかな笑みだった。だが――

 じわり、と貝介の胸の中に熱の塊が生じる。

「良ければまた一緒にこの店に来ましょう。あっちの古本屋さんも面白そうです」

 細められた父親の目の奥で、輝きがぎろりと動くのを貝介は見た。

 さりげなく輝きの向いた先に目をやる。

 その輝きが向いているのは古本屋の本の山、さらにその奥だった。

 きらりと、店の奥で何かが光ったような気がした。なにが?

「それじゃあ、おいとましますね。またどこかで」

 貝介が確かめようと目を凝らしたちょうどその時、父親はにこりと笑って立ち上がり、別れの挨拶を告げた。


【つづく】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る