第二話 “無(ヌル)”の名を持つ者


 暗がりから松明の光の下に、ぬっと現れたのは、常人より頭一つ高い全身鎧の姿だった。肌の露出一つないフルプレートで、さらにその上からローブのような布を羽織っている。何の冗談か、手には剣や槍ではなく、魔法使いの持つような杖が握られていた。杖の先端は、複雑にねじくれた金属製の紋章らしきものが飾られ、その中央に触媒の宝石が怪しい光を放っている。


 およそ冒険者の装備の定石から外れた格好の、それは怪しい鎧姿だった。普通であれば、警戒されてしかるべき。


 その表情の伺えない鉄仮面が、ぺこりと一同に頭を下げた。


「おかげ様でメンバーに怪我はありません。お久しぶりです」


 突然現れた怪しげな鎧姿にも、パーティー一行は動揺する事無く、むしろ朗らかに会話に応じる。それも当然、鎧の男は知らぬ顔ではなく、そして彼が一行を助けたのも一度や二度ではない。


 彼の名はヌルス。ソロで迷宮を探索する冒険者の一人であり、そして道すがら、窮地に陥った冒険者を助けて回るお人よしでもあった。人は見た目によらず、とも言うが、彼はその典型ともいえる。


 特に、若い剣士の率いる一行は冒険者の中でも最前線組だ。その分窮地に立たされる事も多く、結果的にヌルスの助けがある事も多い。恩人ともいえる。


 ……まあ。ソロでその最前線をうろつき、他人を助ける余裕があるヌルスは一体何者か、という疑惑はあるが、それを訪ねる者は誰も居ない。冒険者なんていう商売をやっている以上、誰しも触れられたくはない傷があるものだ。


 青年は挨拶をかわすと改めて戦利品を手に取った。デスマントの残した緑色の結晶、それをヌルスに向かって差し出す。


「戦利品です。どうぞ」


 差し出された結晶を、ヌルスは腕を振って断る。だが金髪の剣士は、その手をとって強引に手のひらにそれを握らせた。


「パーティーメンバーの窮地を救ってもらっておいて、ドロップまでもっていったら私達はコソ泥と一緒です。お受け取りください」


 しばし迷ったようなしぐさの後、受け取った結晶を、ごそごそとローブの中にしまうヌルス。


 そんな彼を、シーフはジト目でマジマジと観察している。


「……もしかして、帰り? 私達より先に7層踏み込んだ後?」


 どことなく挑戦的な視線に、さぁ とヌルスは肩をすくめて見せる。まともに答えるつもりはないらしい。


「むぅ……」


「ヌルスさん。我々はこのあたりで一度帰還しようと思うのですが、よろしければ一緒にどうでしょうか? いくら貴方が実力者といっても、今から六層を遡るのは骨でしょう? 先ほどのお礼も兼ねて、という事で」


 大抵の冒険者では喜んで頷くであろう青年の申し出に、しかしヌルスはフードの下で鉄仮面を横に振った。


 金髪の剣士は残念と思いつつも、話をそれ以上引きずらなかった。あまり深入りするものでもない。


「そうですか……残念です。では、またの機会に」


 ぺこりと頭を下げて、来た道を引き返す青年。彼に従って、赤髪の剣士やシーフ、クレリックもその場を後にする。その様子を、ヌルスと名乗った男は一人見送った。


「今回も駄目だったか」


 十分に距離を置き、ここなら彼に会話が聞こえない、というあたりで青年が残念そうにつぶやいた。


「一度でいいから、彼と祝宴を共にしたかったんだが」


「いうてもよ、あんだけ目立つ鎧姿が、ギルドの職員は知らねーっていうんだぜ。どんな事情かは知らないけど、徹底して身元を隠してるタイプだぜあれ。応じるはずねーって」


「うん。まあでも、気になるよね、あの中身。実は女性だったりして。無口なのもそれを隠してるから、とか」


「ははは、吟遊詩人の好きそうな話ですね。まあでも、私は中身も真実男だと思いますがね。それはともかく、ご本人が隠したがっているのなら、そう追及しないのが吉でしょう。そう悪い人ではないとは私も思いますがね」


「そうかー? あんな全身鎧の上からさらにローブまで羽織ってる奴、全身全霊で怪しいやつじゃねーか?」


「本当に悪い人だったらあんな悪目立ちする格好するはずがないでしょう? 一目見たら一生忘れられませんよ、あんなの」


「ははは、それは違いない」


 クレリックの身も蓋もない意見に、青年も同意して思わず笑ってしまう。


 初めて彼に出会ったときは、それこそリビングメイルの類かと思ったものだ。あれから1年以上の付き合いになるが、彼が何か人に害を成したという話は聞いていない。


 怪しい人物ではあるが、悪い人物ではないだろう。少なくともパーティーの意見は一致していた。


「それより、6層に踏み込んだ結果の反省会を帰ったらしよう。思ったよりも長丁場になりそうだぞ、これは」




《やれやれ》


 そんな青年とその一向のお喋りは、しかしきっちりとヌルスには聞こえていた。


 彼は松明の明かりもないまま、真っ暗な洞窟の中を見えているかのように歩く。周辺に誰も居ない事を確認し、物陰に腰かけた彼は、ローブを捲り、兜に手をかけた。


 ずるり、と兜を脱ぎ、その素顔が明らかになる。


《私とて、それが許されるならご同行したいというものだ》


 兜の中から現れたのは、勿論女の顔、ではない。だが男でもない。そもそも人間ですらなかった。


 粘液をおびて身をくねらせるピンク色の触手。植物の芽のようなそれが、全身鎧の首から数本伸びて、ウネウネと蠢いている。


 覗き込めば、鎧の中に無数の触手が蠢いているのが分かるだろう。それらが人間の動きを真似て、鎧を動かしているのだ。


 そう。ヌルスは人間ではない。


 迷宮に住まう、モンスターの一匹……触手型モンスターが彼の正体だ。


『ギルドに登録しているしていない以前に、モンスターは迷宮の外では生きていけないからな……』


 本来ならば、冒険者と敵対する立場の彼。しかし、彼の言動に、彼らに対する敵意は存在しない。


 目の代わりに、触手を去っていった冒険者達に向けて伸ばす彼。人でいえば、目を凝らすかのような仕草には、確かに親愛と憧憬の色があった。


 憧憬。


 そう、憧憬である。


 ヌルスは、モンスターでありながら冒険者達の事が好きだった。憧れているといっても過言ではない。


 そんな彼の目的は、ダンジョンの外に出ても生きていける体を手に入れる事。その為に彼は、モンスターでありながら単身、ダンジョン攻略に励んでいる。


 一体、何故、彼がそのように考え、望むようになったのか……?


 それは勿論、それなりの物語がある。



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