第2話


 彼女と友人関係を結んだ矢先、中間考査が近いということもあり、図書館で一緒に勉強をすることになった。


「横に詰めなさい」


 やはり、と言うべきか。この学校の生徒諸君は真面目な人が多いのか、すでに席がほとんど埋まるほど生徒さん方が座っていらっしゃる。

 必然的に横に詰めねばならず、彼女は肩が触れ合うほど私の体に接してきた。

 いやこれ、シナプス間隙さんも驚くほど接近しているのですが?

 そう思って横に目をやると、彼女もこの距離感は流石におかしいと思ったのだろう。

 だが、彼女は少し顔を赤らめただけで、私の視線に合わせようともせずにそっぽを向いた。そのかわり、彼女は可愛らしいネコの筆箱から筆記具を取り出し、ノートの端に文字を書き始めた。



 /ごめんなさい、


 /人生で初めての友人だから、


 /接し方がわからなくて



 随分と可愛らしい筆跡と内容だった。



 \それなら私の



 今度は私が彼女のノートにペンを走らせていく。その様子を覗き込む彼女の肩から伝わる体温を感じながら、達筆な文字の羅列をつくる。仮名文字を作った私のご先祖様はとても優秀で、私の意図を形として快く現世に反映させてくれるのだ。


 彼女は私の手元を見て、


 ガタッ

 椅子の音が図書館の静寂に溶け込んだ。


 筍のタイムラプスを撮った時のスピードよりかは格段に速いといえるほどの起立を彼女は見せた。



 \それなら私の太ももの上に座ってもいいよ?



 我ながら名案だと思う。

 思うに、女子高生の距離感とはシマエナガのおしくらまんじゅうと同意である。近ければ近いほど絆も深まり、今後彼女の私に対する友情も磨きがかかるのだ。

 私もこの時は、初めての友人ができた現実に浮き足立っていたのだろう。自分でもよくわからないことを考えていた。


 彼女は、頬を一層赤らめた、目の端に涙を浮かべた顔を私に向けた。私は彼女がどうして目を腫らしているのかがわからなかった。いや、私はただとぼけたふりをしていただけだった。。

 それどころか、この場面とは不相応に、彼女の泣き顔にいわゆる芸術の美とほんの少しの嗜虐心を見出していた。


「あなたという人は、っ!」


 私は彼女の頬に両手を添えて、親指の腹で彼女の涙を拭った。


「あなた、じゃなくて私の名前を読んでほしいな〜。」


 私は自分勝手な行動をしている。


「っ、よくもからかってくれたわね、」


「そんなつもりないし、ほら、早く私の名前呼んでよ」

「いやよ、というかもう手を離しなさいっ、

 頬を揉まないでっ」


 スベスベのサラサラのモチモチ。

 いつまでも触っていられる感触に興をそそられて、彼女という存在に触れ続ける。


「あ〜もうっ、私が恥ずかしいからあなたの名前を言えないのよっ。そして行動がうるさい!あともう少し静かにしなさい!」


「そういう君も声がうるさいけどね〜。」


 そう、私たちは結構騒いでいたのだ。静寂を好むものたちが集まり、中間考査のために励むべきである神聖な図書館の中で。


 しかし、周りを見渡しても、私たちを責めるどころか優しい目線で見守る彼、彼女たちの姿しか見えない。これは一体どういうことなのだろう。まあ、いいや。

 じゃあ代わりに私が彼女の名を言ってやろう。


「ほら、勉強再開するよ、...、凛?」


「っえ、ええ、そうね」


 もっと驚くかと思ったら、そこまでだった。せっかく名前で呼んだのだからもっと喜んで欲しかったな。けれどやっぱり彼女からも、いや凛からも私の名前を言ってほしい。

 これは友人として大変重要なことだ。


 、彼女の名前は何処か不思議な魅力を醸し出し、なぜか私を惹きつける。


 そう、まるで運命のように。




 ◻︎



 


「あ〜疲れた。今日も頑張った私、偉い!」


「あなた、途中からずっと寝ていたでしょう?それで勉強できたの?」


「大丈夫、私テストで満点しかとったことないから。」


 私は眠り疲れて凝り固まった身体を伸ばしながら、凛に対して大きく胸を張る。


「何点満点のテストよ、それは」


「え〜疑うの?普通のテストだよ。コタコンとか、あ、高校入試の時は数学のプリントに名前書き忘れた、みたいなことはあったけどね。」


 私は生まれつき脳の回転が速いので、勉強に困ったことは一度もない。だが、いざって時にやらかしてしまうのも天性の素質だと思う。


 ちなみにコタコンとは、古文単語コンテストの略語だ。お堅いうちの先生方も、流行に飲まれて何でもかんでも略してしまうようになった。

 数学の先生なんかも、「最近ヌン活にハマってな、オキニのカフェによく通うようになったんだよ。」とか言うし。

 おじいちゃん先生で授業はわかりやすいのに、いきなりこういうことを言っちゃうものだから、クラスの活きのいい女の子たちに囲まれて若者トークによく巻き込まれている。

 あの先生ってなんかウーパールーパーに似てるんだよね。だから、ついつい構いたくなってしまう気持ちも分かる。


「そういう凛は頭いいの?」


「っ、もちろんよ、…これでも首席だから」


「凄いじゃん、尊敬するよ本当に」


 夕方6時半。私たちはバスの中で静かに会話をしている。


「あ、ありがとう」


 ぎこちなくお礼を言う彼女はどこか疲れているようにも見えた。


「今日凛は勉強頑張ったから、労わってあげる」


 そう言って私は、首席様の頭を優しく撫でた。時折光の反射で金に輝くそれを、慈しみの念を持って丁寧に梳く。


「眠い?」


「…ええ」


「私の肩貸すよ」


 すると彼女はスイッチが切れたようにもたれかかってきて寝息をたて始めた。


 数分後、私は徐にウォークマンと有線イヤホンを取り出し、ブルートレインという曲を聴き始めた。

 バスの中であるからこそ、電車の揺れや情景を想起させてくれるドラムの音やメロディーが身に沁みる。


 このウォークマンは父から譲ってもらったもので、一つのアルバムのように父の選曲によって完成された価値あるものだった。

 父はこれを私に譲る時、有線イヤホンを忘れずにね、と言った。それに従って白単色のものを買ったが、彼の意図をわかりかねていた。


 そんな他愛のないことを考えながら隣の彼女のあどけない寝顔を見る。


 この凛という女の子に私は友人として何をしてあげられるだろうか。


 そして、叶うなら、彼女も私と同じように孤独を感じていてほしいと思った。





「次は2丁目〜2丁目〜」


 いつの間にか私も眠っていたようだ。肩に伝わる温もりが消えたかと思えば、彼女は荷物を持ちはじめ席を立とうとしていた。


「帰るの?」


「ええ、またね」


 凛が離れていく。


「うん、また明日」


 また、という言葉が心に与える刺激とはこんなにも大きく、ときめくものだと気づいた。

 彼女がバスの昇降口に向かって歩いて行くのを見守るこの一時一時が、なぜか大事なものでならない。


 そうか、私は単に淋しいと思っているのだ。


 彼女の背中から彼女の気持ちを読み取ることはできないが、彼女も私と同じ感情を持って帰路についてほしい。

 …なんて考えることは傲慢なのか、あるいはただ我儘なだけなのだろうか。


「凛!」


 いつの間にか声を発していた。


 いくつもの伝えたい感情によって形成されていく想いが、胸中を満たして喉から飛び出そうとしている。

 嗚呼、嗚呼、それでも台詞が思い浮かばない。かけるべき言葉が見つからない。

 ただ、バス停へと降りた彼女を眺めることだけしかできない。


 窓から射し込む金色こんじきの光に、私の左半身が照らされる。まるで私に何がしたいのか、問いかけるように。思い違いでも、私に何かを言いかけている。


 その時、彼女は私に向けて大きく振り返ったと思えば、蕩けるような笑顔で何かを呟いた。






「次は公民館前〜公民館前〜」


 運転手さんの嗄れた声が遠くに聞こえる。


 私は一人バスの中、交感神経の働きによって心拍数が異常に上昇している。


 聞き間違いでなければ彼女はこう言った。


「またね、しずく、」と。


 耳につけていたイヤホンから流れる音が恨めしかった。


「やべ、惚れたわ」


凛が私の名前を呼んでくれた。









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君は私よりかわいい 一日一善 @claudius64ro

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