第5話:第二皇子は皇太子と微妙な関係のようでした
「はは、驚かせてしまったかな」
フィナシェが言葉を発しないのを見てか、アサラはそんなことを言う。
「そうですね。子爵家のわたしからしたら、雲の上の存在ですから」
「君の家は……悪いとは思ったけど、さっきの会話は聞いていたんだ。だから、君がランカート子爵家の人間だってこともわかっているよ」
アサラはフィナシェを安心させるように、笑みを浮かべていた。
確かに、顔つきはコンテルとどことなく似ているようにも見える。
だが、傲慢なところがあるコンテルとは異なり、皇子とは思えないほど謙虚で控えめな雰囲気すらあった。
「そうでしたか。ですが、名乗らないのは失礼ですので。ランカート子爵家のフィナシェと申します。どうか、お見知りおきを」
フィナシェは恭しく一礼する。
「僕は皇太子じゃないから、そこまでかしこまらなくても良いけどね」
アサラはすっとフィナシェに近寄った。
「な、何か」
急に距離を詰められて、さすがにフィナシェも焦ってしまう。この短いやり取りの中で、何か機嫌を損ねるようなことをしたのだろうか。
「君のペンダント、良く見せてもらっていいかな」
「これ、ですか」
フィナシェは宝石の類など見慣れているであろうアサラが、これに興味を示すとは思わなかった。
特に拒否する理由もなかったので、フィナシェははペンダントを外そうと首元に手をかける。
「ああ、そのままでいいよ」
だが、アサラはそれを軽く制すると、フィナシェの胸元に手を伸ばした。
「えっ?」
驚くフィナシェをよそに、アサラは慣れた手つきでペンダントの宝石部分を手に取っていた。しかも素手ではなく、ハンカチを用いて直接触れないようにしていた。
「やっぱり、そうか。この宝石は珍しいものだね。光の当たり方次第で、色合いが変わって見えるなんて。少なくとも、僕は初めて見たよ」
アサラはペンダントからそっと手を離した。
「気付いて、いたのですか」
フィナシェはアサラがドレスだけではなく、ペンダントの宝石にも気付いていたことに少し寒気を覚えていた。
「まあ、ね。それにしても、その宝石といいドレスといい、ただの子爵家が簡単に用意できるものじゃないかな」
アサラは意味ありげな笑みを浮かべていた。
「……わたしの家が、不正を行っているとでも」
「まさか。ランカート子爵の話は、僕もある程度は聞いているからね。それに、子爵夫人はソフィア様だ。お二人が不正をするなんて、有り得ない話だよ」
「なら、どういうつもりで……」
「君は、色々な人にとても愛されていると感じたんだ。そして、それをとても羨ましいともね」
フィナシェがそう言いかけると、アサラは本当に羨ましいというように言った。
「そう、ですか」
アサラが本心で言っているのがわかったので、フィナシェは上手く言葉が出てこなかった。
何となく微妙な雰囲気になりかけた時、会場内に軽快な音楽が流れ始める。
「良かったら、一曲お願いできるかな」
アサラがフィナシェにすっと手を差し出した。
「わたしは不作法ですから、きっとあなたの足を踏みますわ」
フィナシェは失礼にならないように、やんわりと断った。
全く踊れないというわけでもないし、アサラと踊るのが嫌というわけではなかった。とはいえ、第二皇子と踊るのはさすがに目立ちすぎる。
「ソフィア様から作法の教育を受けている君が、かい」
だが、アサラは簡単に引き下がらなかった。
ソフィアは公爵家の出身で、子爵のユヴァハに嫁いだ時は相当な騒ぎになったらしい。
そういうこともあって、貴族の作法に関してはソフィアからしっかりと叩き込まれていた。少なくとも、足を踏むような醜態を晒すようなことはないと言っていい。
「そこまでおっしゃるのでしたら」
フィナシェは諦めて、アサラの手を取った。
「君は謙遜が過ぎるね」
踊り始めて少ししてから、アサラはそう囁いた。
「一通りのことは、お母様に叩き込まれていますから」
「そのようだね」
フィナシェが答えると、アサラはふっと笑みを浮かべる。
「さすがに、か」
フィナシェは何気なくコンテルの方に目をやった。
遠目で表情は見えないが、コンテルはエリシアと踊っている。
まさかとは思ったが、さすがに公の場で最初に婚約者以外と踊るほど愚かではないようだ。
「兄さんも困ったものだね。婚約者がいるのだから、自重してもらいたいけど」
フィナシェの視線の先を追ったのか、アサラは困ったように呟いた。
「と、君に言っても仕方ない話だったかな」
フィナシェが何ともいえないような表情をしているのを見て、アサラは小さく首を振った。
「ちょっと、視線を感じますね」
周囲からの視線を感じて、フィナシェは思わず口にしていた。
第二皇子とどこの誰かもわからない女が踊っていれば、さすがに好奇の目で見られるのは仕方ない。
「ああ、僕が踊っているのが珍しいのかもしれないね。流れで思わず誘ってしまったけど、君に迷惑をかけてしまったかな」
「あなたなら、踊る相手には困らないのではありませんか」
アサラの言葉が意外に思えて、フィナシェはそう聞いてしまう。婚約者がいるコンテルならともかく、そういった話がないアサラなら引く手あまたのはずだった。
断るのは目立ちたくないという理由があるフィナシェくらいだろう。
「僕は踊りたいと思った相手は、今までに一人だけだったからね。でも、その人と踊ることは絶対に叶わないことだから」
アサラはやりきれないような表情を浮かべていた。
「なら、どうしてわたしとは?」
「どうしてかな。でも、踊りたくない相手を誘うほど僕は節操無しじゃないつもりだけどね」
「……」
「さすがに、気分を悪くしたかな」
「い、いえ。そういうわけではないのですけど。ただ……」
フィナシェがそう言いかけた時、流れていた曲が終わった。
「少し、休もうか」
「はい」
アサラに促されて、フィナシェは頷いた。
少しアップテンポの曲だったこともあって、二人共軽く息を切らしていた。二人だけではなく、踊った全員がそうだろうが。
「お前が誰かと踊るなんて珍しいな。まさか、そんな地味な女が好みなのか」
コンテルが物珍しそうに近付いてきた。気のせいでなければ、幾らか嫌味のようなものが含まれているようにも感じられた。
「兄さんこそ、エリシアさんを放っておいていいのかい」
コンテルがユリーティアを連れているのを見て、アサラは非難するように言う。
「別にどうしようと俺の勝手だろう。お前に指図されたくはないな」
「兄さんは、いずれ国王になるんだよ。それには、相応の責任が伴うってことは理解できているのかな」
「そうだな、おかげで俺はあちこちで小言を言われっぱなしだ。本当に嫌になる」
「だからって、好き勝手やっていいわけじゃ……」
「二度は言わないぞ」
アサラの言葉を遮るように、コンテルは強い口調で言い切った。
「兄さん」
アサラは思わず溜息をついていた。
「二人共、そのくらいにしましょう」
二人の間に緊迫した空気が流れたのを察してか、ユリーティアが緩い口調で言った。
「コンテル様、あなたが他の方に色々と言われるのは、皆あなたに期待をしているからですわ。それに……」
ユリーティアはコンテルの耳元で何かを囁いた。
フィナシェに気付いていないのか、それともあえて無視しているのかはわからなかった。
「そうか、それもそうだな」
何を言われたのかはわからないが、コンテルは満足したように頷いた。
「随分兄さんと親しいようだけど」
その様子を見て、アサラは訝しい目でユリーティアを見る。
「トース男爵家のユリーティアですわ、お見知りおきを」
「僕の事は知っていると思うけど、一応名乗っておくよ。第二皇子のアサラだ」
「アサラ様、今後ともよろしくお願いしますね」
ユリーティアは恭しく一礼する。
「全く、国王になるのも楽じゃないな」
半ば愚痴のように、コンテルがそう言った。
「なら、僕に王位を譲ってくれるかい」
傍から見たら、冗談のようなアサラの言葉だった。
だが、フィナシェはその言葉を聞いて驚きのあまり声を上げそうになっていた。
アサラは本気で『王位を譲ってくれ』と言っている。
どういうつもりかはわからないが、アサラは機会があれば国王になりたいと考えているのは間違いなかった。
「アサラ様。冗談とは思いますが、そのようなことを口にすると叛意を疑われますわ。言動には気を付けるべきかと」
ユリーティアがやんわりとした口調で言う。表向きは諫めているような言葉だが、フィナシェにはそれが本心でないことが容易に察せられた。
「……君は、僕が叛意を持っていると本気で思っているのかな」
アサラが穏やかな笑顔を浮かべて言うと、ユリーティアは一瞬だけたじろいだようにも見えた。
「まさか、そのようなことはありませんわ。そんなことになったら、国が割れてしまいますもの」
ユリーティアは大袈裟にそれを否定して見せる。
「おいおい、アサラ。そんなにユリーティアをいじめてくれるなよ」
「兄さんがそう言うのなら」
コンテルが口を挟んだこともあって、アサラは身を引いた。
「行くぞ、ユリーティア」
「はい、コンテル様。それでは、これで失礼しますね」
コンテルとユリーティアは連れ添って二人の前から去った。
「全く、兄さんは何を考えているんだろうね。それとも、あの女にたぶらかされたのかな」
アサラは疲れたというように息を吐いた。
「兄さんとのごたごたに巻き込んでしまったね」
そして、呆然としているフィナシェに気付いてそう言った。
「い、いえ」
フィナシェは小さく首を振る。フィナシェが呆然としていたのはアサラが本気で王位を狙っていることに気付いたからだが、もちろんそんなことは口にできない。
「君とは、これからも仲良くしたいと思っているよ」
アサラは片膝を付くと、フィナシェの手の甲にそっと口付けた。
「あ、アサラ様?」
思いもしなかったことをされて、フィナシェは上ずった声を上げてしまう。
「じゃあ、僕はこれで」
アサラは笑みを浮かべると、フィナシェの元を去っていった。
フィナシェはその姿を呆然と見送ることしかできなかった。
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