第2話:夜逃げは本当に最後の手段です
「少し、周りに気を使わな過ぎたわね」
翌日、食堂で食事をしながらそんなことを考えていた。
とにかく目立たないように平穏に。他生徒との関わりは極力避けて影のように学園生活を送っていく。
フィナシェはここに来て間もなく、高位貴族が下位貴族に嫌がらせをしているのを目の当たりにして、そう生活しようとしてきていた。
サニアのような例外はあったとはいえ、概ね他人とは関わらずひっそりと学園生活を送れていたはずだった。
「お待たせ」
フィナシェの正面にサニアが座った。
「しかし、この食堂もこんなに豪勢な食事を提供して、採算が取れているのかしら。少なくとも、わたしの家の食事よりもずっと豪華なのだけど」
「前もそんなこと言っていたわね。なら、今のうちに豪華な食事を楽しんだらどう」
「それもいいけど、下手に慣れちゃうと後が怖いわ」
フィナシェは食事を口に運びながら、そんなことを口にする。
確かにフィナシェの家は子爵家なので、そこまで贅沢ができるような家でもなかった。だが、質素倹約なのは他に大きな理由があった。
「あ、皇太子殿下よ。隣にいるのは……ユリーティア、様? さすがにベタベタはしていないようだけど。他にも取り巻きの方々もいるし、さすがに自重はしているようね」
サニアが小声で囁くように言う。
「エリシア様は?」
「いらっしゃらないわ」
「本気でエリシア様との婚約を破棄するつもりかしら」
それを聞いて、フィナシェは小さく息を吐いた。色々言われるが嫌で遠ざけているのか、それとも呆れてエリシアの方から身を引いたのか。
いずれにしても、この国にとってあまりよろしくないのは間違いない。
「皇太子殿下、今日はエリシア様と一緒でないんですね」
何故か二人の近くの席に座ったコンテル一行の会話が、嫌でも聞こえてきた。
幸い、フィナシェは一行に背を向けている形なので、ユリーティアの顔を見ずにすんでいた。
「別に、婚約者だからといっていつも一緒にいるわけでもないだろう」
「そうですよね、コンテル様」
ユリーティアは相変わらずの甘ったるい声でコンテルの名前を呼んでいた。
いつから名前呼びになるほど親しくなったのかしらね。そもそも、どうやって取り入ったのかもわからないし、目的も……まあ、目的は大体察せられるけど。
「しかしユリーティア、お前の家は男爵家だったと聞いているが。よくこの学園に通うだけの金を融通できたものだな」
「両親がわたくしのために、それはたいそう骨を折ってくれましたから。両親には感謝してもしきれませんわ」
どうせ、これも本心ではないのでしょうね。
フィナシェは半ば冷めたような感じで、その会話に耳を傾けていた。
「そうか。それはお前の両親に感謝しないといけないな。おかげで、こうして出会うことができたのだから」
「はい。あくまで噂に過ぎませんが、領地は潤っているにも関わらず自分達は質素に生活することで、王家に納める税を誤魔化しているような家もあると聞きます。そんな家の人間より、わたくしの両親はずっと立派だと思います」
その言葉が聞こえた時、フィナシェは驚いて立ち上がりそうになっていた。それでも身動き一つしなかった自分を、心底から褒めたい気分だった。
「ほう、そんな不届きな貴族もいるのか」
さすがにコンテルも不機嫌な声を隠さなかった。王家を騙しているというのは、最悪叛意を疑われても仕方がないから当然ともいえた。
「いえ、あくまで噂ですけど、ね」
だが、ユリーティアはそれは噂だとして断言はしなかった。
「気のせいかしら、ユリーティア様ずっとこっちを見ているような」
サニアが不可解だ、という表情をして言った。
「昨日、あんなことがあったから気にしているのでしょうね。余計なことを言うな、と釘を刺しているのかもしれないわ」
フィナシェは動揺を押し殺しながら答える。
ユリーティアが言っていた『領地は潤っているのに、自身は質素な生活をして王家への税を誤魔化している家』に思いっきり心当たりがあった。
というよりも、ほぼ間違いなくランカート家のことを指している。
フィナシェの両親はそこまで計算高い人間ではない、むしろ逆と言っても良かった。
とにかく自分達よりも領民のことを優先し、税収も必要以外は領民に還元するような政策を行っていた。そのせいでますます領地が潤い税収も増えていくのだが、それすらもまた領民に還元してしまう。
ある時など、配下に向かって
「誰に断りもなく税率を上げたのだ」
と詰問していたこともあった。
「いえ、税は収入に応じて納める額が決まっております。税収が上がったということは、それだけ領民の収入が上がったということでしょう」
「ん? そうなのか……いや、済まなかったな。確かに税率は上がっておらんか。私の早とちりだったようだ」
配下に言われて資料を読み直して、税率が変わっていないことに気付いたというような有様だった。
これを計算などではなく、本心から言っているのでフィナシェは少しばかり心配になることもあったが、それでもこのお人好しな両親が大好きだった。
ランカート家はあまり他の貴族との交流はなかったし、何よりも質素倹約を旨としていた。だから、他の貴族がランカート領を訪れても屋敷を見ただけでさしたる家でないと思われていた。
何しろ、下手な大商人の方が余程豪勢な屋敷に住んでいるのだ。そんな貴族の領地が潤っているなどと誰が思うだろうか。
だが、ユリーティアはランカート領の現状を言い当てていた。他にそのような貴族がいるとは考えにくいが、適当なことを言っている可能性もある。
顔を見なくて済んで良かった、と思っていたけれど……さすがに、今回ばかりは顔を見ておきたかったわね。
フィナシェはユリーティアの顔を見れなかったこと、正しくはその言葉の真偽を判別できなかったことに内心で舌打ちする。
どういうわけなのか、フィナシェは人の言葉の真偽を見抜くことができた。
それに気付いたのは十歳前後の頃で、最初はただの偶然くらいに思っていた。
ある時、両親を騙そうと近付いてきた他国の商人があまりに偽物ばかりをさも本物のように売りつけようとするので、さりげなく問い詰めたところあっさりと嘘を認めた。
自分の能力をはっきりと自覚した時、フィナシェは絶対に他人に知られてはいけないと恐怖すら覚えた。
それ以降、能力を悟られないように過ごしてきた。学園で目立たないようにしていたのも、それが大きな理由だった。
ただ、この能力も万能ではない。喋っている人間の顔を見ていないと、その真偽を見抜くことができなかった。
「もしかしたら、その家の人間がこの学園に通っているかもしれませんわね」
「ほう、そんな不届き者の家が、か。それなら相応の処罰をしないといけないか」
フィナシェは思わず振り向きそうになるが、それをすれば自ら認めることになる。どうにか平常心を保ちつつ、二人の会話に耳を傾けた。
「コンテル様、何の根拠もなしに処罰するなどとは、とても王族のなさることではありませんが」
凛とした声が響き渡った。
「エリシアか。お前はいつもいつも……」
コンテルは苛立ったような声を出していた。
「そう思われるのでしたら、私に小言を言われないように努めて頂けますか」
さすがに婚約者ということもあって、エリシアは全く引くような様子はなかった。
「あらエリシア様、いくら婚約者といえどもあなたこそ言葉が過ぎるのではありませんか」
「あなたは……」
自分に反論する人間がいると思わなかったのか、エリシアはユリーティアを怪訝な目で見ていた。
「自己紹介がまだでしたわね。わたくしはトース男爵家のユリーティアと申します。どうぞお見知りおきを」
ユリーティアは立ち上がると、恭しく一礼する。
「これはご丁寧に。私は……」
「知っておりますわ。テルフ公爵家のエリシア様ですよね、コンテル様の婚約者でもあらせられる」
エリシアが名乗ろうとすると、ユリーティアはそれを遮るように言った。
「コンテル様、あなたは将来国を左右する責任を持つ方です。どうか、それをお忘れなきよう」
そんなユリーティアに構わずに、エリシアはコンテルに穏やかな声で諭すように言う。
「わかっているさ」
「その言葉が聞ければ十分です。では、私はこれで」
コンテルはあからさまに不満そうだったが、エリシアは責めるようなことをせずにその場から去っていった。
「いくら婚約者だからって、エリシア様は分をわきまえていらっしゃらないのではありませんか、コンテル様」
エリシアが去ってから、ユリーティアはそんなことを言い出した。
エリシアは侯爵家令嬢で、ユリーティアは男爵家令嬢。普通なら不敬と言われても当然のことだ。
「全くだ、俺を何だと思っているんだか」
だが、コンテルはユリーティアを責めるようなことはせずに、逆にエリシアに対しての苛立ちを隠そうともしない。
「コンテル様、わたくしはいつでもあなたをお慕いしておりますから」
「そうか、おかげで幾分だか気分も晴れた。そろそろ行くとしようか」
その言葉でコンテル一行は立ち上がると、食堂から出て行った。
「思っていたより、面倒なことになってるわね」
サニアはまるで他人事のような態度だった。
「そう、ね」
フィナシェは同意するように言うが、内心では全く別の事を考えていた。
ユリーティアは、こちらを見ながらあんなことを言っていた。つまり、ランカート領について詳しく知っているということに他ならない。
そして、それをわざわざコンテルに言ったということは、ランカート家に何かしら思うところがあるということになる。
このまま放置しておけば、ランカート家や領民にとって良くないことになるのは明白だった。
わたしも、お父様やお母様のことを言えないわね。
フィナシェは内心でそう呟いた。何だかんだで両親や弟、それにランカート領に住んでいる領民が大好きだった。
だから、彼らを見捨てて自分だけが夜逃げする、という選択は有り得なかった。
夜逃げは、本当に最後の手段になりそうね。
それをすることはないだろう、と思いつつこれからのことを考えていた。
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