5. 奴隷から解放しないと言ったな。あれは嘘だ

 突然だが、この世界は前世の日本と比べて非常に治安が悪い。

 街の外に出れば盗賊やモンスターに襲われるのは当たり前で、護衛もなしに長距離の移動などまずできない。それができるのは腕に覚えのある人間か、命知らずだけだ。


 ちなみに動物とモンスターの差は、交配によって生まれるか否かだそうだ。例外はあるものの、モンスターはダンジョンや深い森の奥など魔力のよどんだ場所に自然発生することが多いとか。うーん、謎生態。

 

 まぁ何が言いたいかと言うと、この世界において武力は必要不可欠だということだ。さすがは恋愛ゲームのくせにRPG要素満載な世界、所詮この世は弱肉強食である。ツライ。

 なので領地にダンジョンがあったり、モンスターの出現率が高い貴族はゴリゴリの武闘派が多い。

 その逆がモンスターが少なかったり、潤沢な兵力を雇う余裕のある家……つまりヴェルトハイム公爵家うちのことですね。


 だが俺はゲームのクラウトのように、強い部下を集めて自分は威張り散らすような『かませ豚』ムーブをするつもりはない。

 理想の兄になると誓ったからには、この身一つで妹を魔王から守れるくらいに強くならねば!

 そのためにも、戦いの専門家に鍛えてもらおうと思ったのだが……。


          ◇


「お願いします! 俺に剣の稽古けいこをつけてください!」

「…………本気で仰ってるんですか?」


 頭上からは呆れたような声。多分、いつもの冷たい目を向けられているのだろう。

 だが、はい(直角のお辞儀)の体勢を取っている俺にその表情を見ることはできない。


 俺は今、専属メイドであり美人奴隷戦闘メイドでもあるヘリオトロープに剣の指南をお願いしていた。

 最初は騎士団の誰かに頼もうと思ったんだけど、あんまり強くなさそうなんだよな。完全におまいうだけど。

 だが仕方ないのかもしれない。ヴェルトハイム領は王都に近く、モンスターの出現率は非常に低い。


 そのうえ、ここ公爵邸がある領都は商業都市。商隊の出入りが多く、護衛のために腕利きの傭兵や冒険者も出入りしている。だから、たまに盗賊が出てもすぐに討伐されてしまうのだ。

 危険が少ない場所では、兵の質が下がるのは自然なことなのだろう。

 だからこそ、俺が知る中で一番強いヘリオトロープに頼むのが最適だと判断したのだ。ゲームではレイピアによる高速の剣技に苦戦させられたからなぁ。


「…………」

「…………」


 驚いているのか、それとも何か考え込んでいるのか、ヘリオトロープは無言のままだ。俺も黙って頭を下げたままなので、静寂が何とも心臓に悪い。

 主人と奴隷の関係とはいえ、嫌っている相手からこんなことを頼まれるのは複雑な気分だろう。


 主人の命令には逆らえないのだから、本当は命令をした方が楽だ。だが俺は命令をするつもりはない。もし断られたとしても、何度でも頭を下げる所存だ。

 今までのクラウトの言動を省みれば断られて当然、せめて誠意が伝われば良い。そう思っていたのだが……、


「…………一つ、条件があります」

「えっ?」


 てっきり断られると思っていた中での意外な言葉、反射的に顔を上げる。うつむき加減なヘリオトロープの顔は何かを葛藤しているように見えた。


「何でも言ってくれ、俺にできることなら何でもする」


 迷わずそう口にする。彼女の信頼を勝ち取るためにも、ここで退くという選択肢はない。

 何より、理想の兄になるためならどんなことでもやってみせる!

 そう決意して、心の中で拳を握っていると、


「奴隷契約を解除してください」


 こちらを睨みつけながら、ハッキリとその条件を口にした。


「え…………」


 唖然として二の句が継げない俺をよそに、ヘリオトロープは淡々と話し続ける。


「奴隷はあるじに危害を加えることができません。剣を教えるのであれば、技を受けたり摸擬戦をすることもあるでしょう。本気で剣を学ぶ気があるというのなら、奴隷契約はかせにしかなりません」

「それは…………」


 彼女の言っていることは一理ある、どころか全面的に正しい。だから奴隷契約を解除するのが正しい。

 それがクラウト彼女ヘリオトロープの関係でなければ。


 確かに、いずれはヘリオトロープとの奴隷契約を解除するつもりでいた。ただ、それは俺との信頼関係を築いてからだ。

 彼女から嫌われてるのはよく知ってる……恨まれてると言っても良いかもしれない。


 故郷を奪われ、奴隷に堕とされ、主人となったのは家柄を誇るだけのバカボンボン。奴隷である彼女を見下し、あざけり、さいなませてきた。

 主に害なす行動の禁止という縛りがなければ、とうの昔に地獄行き特急列車に強制乗車させられていたかもしれない。


 信頼関係が全く築けていないのに彼女を解放するなど、手の込んだ自殺のようなものだ。他の人間が俺の立場なら、まずそんな馬鹿げたことはしないだろう。

 だから、


 チョーカーのように見える――主人だけが外せる――奴隷の首輪を外してやる。

 その瞬間。どこから取り出されたのか、大振りのナイフが俺の首に振るわれた。

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