4. ヤツの戦闘力は53万です

「グヘエェ……グヘエエェェ~……」


 モンスターがうめくような声が不気味に響く。いつもなら公爵家の騎士団が訓練をしている広い修練場、しかし今日は異様な雰囲気を漂わせていた。


「グフ……グヘェ……ウグ」


 とても人間の声とは思えない。そして、この声が俺の口から出ているとは思えない。思いたくない!

 

 先日、俺は悪役令息クラウト改造計画を決意した。その決意に導かれるまま部屋から走り出して……なんと屋敷から出る手前で疲れ果ててしまったのだ。

 絶望した! 想像を超える体力のなさに絶望した!

 そんなわけで、まずはジョギングで体力作りをしようと思ったのだが……まさかというか予想通りというか、数分走っただけですでに虫の息。


 さすがは甘やかされて肥えまくった不健康優良児、ゴブリン並みどころか以下である。小中高大で帰宅部のエース(自称)だった前世の俺なんぞ足元にも及ばないぜ。

 そんなことを考えていると、何やら目の前がチカチカしてきて……気付いた時には、足がもつれて地面にダイブしていた。


「グハァッ……!」

「坊ちゃまぁ!?」


 セバスチャンから心配そうな声が聞こえたが、そちらを気にする余裕はない。

 頭はフラフラ、脚はガクガク。orzの体勢を保つので限界ギリだ。


 胃の奥からこみ上げるものをどうにか飲み込んで、マーライオンへの変身願望を阻止する。耳鳴りがして聞こえづらいが、どうやらこちらを遠巻きに見ていた騎士たちが失笑しているようだ。ツライ。


 これは想像していたよりも遥かに困難な道になりそうだが、最推しへの愛にかけて負けるわけにはいかん!


          ◇

 

 翌日。


「今日からお茶請けはらないから」

「…………」


 朝、紅茶を淹れてくれたヘリオトロープにそう言うと、信じられないというような目で見られた。え、そんな目する?

 仲の良い親友に崖から突き落とされたとしても、ここまで疑心に満ち満ちた目はしないのではないだろうか。


「……本当にお召し上がりにならないのですか?」

「ああ。残った分は捨て……るのはもったいないから、みんなで分けてくれ」


 いかにも中世ファンタジー世界らしく、砂糖は高級品だ。それなのに、普段から砂糖をたっぷりと使った高級菓子がお茶請けとして出てくるのは、さすが公爵家と言えるだろう。

 しかし、絶賛ダイエット中の俺にとって砂糖たっぷりのお菓子は不倶戴天ふぐたいてんの敵。因縁のライバル。ヤツの戦闘力は53万です。


 かと言って、捨ててしまうのは元日本人のMOTTAINAI精神が許さないので、お世話になっている使用人たちに食べてもらうのがベストだろう。使用人には女性が多いし、甘いものは喜ばれるに違いない。

 使用人からも絶賛不人気なクラウトくんは、こういう所で地道に好感度を稼いでいかねばならんのだ。


「甘いものが苦手じゃないなら、ヘリオトロープもぜひ食べてくれ」

「ありがとう、ございます」


 なんか夢現ゆめうつつというか心ここにあらずといった感じだけど、初めてヘリオトロープからお礼を言われた気がするな。

 いや、クラウトが奴隷商から彼女を購入した時に、


「俺がお前を買ってやったんだぞ。感謝したらどうだ?」


 とニヤニヤしながらあおったら、


「……アリガトウ、ゴザイマス」


 ってめっちゃ睨みながら言われたことはあるけど。

 いくらなんでもアレをお礼と言ってしまうのは問題がありすぎるだろう。名誉棄損ものである。

 …………うん、やっぱりヘリオトロープの好感度を稼がないと奴隷契約を解除できないわ。首ちょんぱされちゃう。


          ◇

 

 さらに翌日。

 毎日、朝から晩までダイエットのみに時間を費やすというわけにはいかない。今日からは家庭教師をつけて勉強にトライである。

 で、その家庭教師が……、


「坊ちゃま自ら勉学に励みたいとは……! このセバスチャン、感激しましたぞ!」

「あー……うん、よろしく」


 始める前から感涙にむせぶ、暑苦しいロマンスグレー。ヴェルトハイム家の頼れる執事ことセバスチャンである。でも「坊ちゃま」はやめて。

 公爵家のことを差配しているだけあって、実はめっちゃ有能なんだよ。算術や領地経営に加え、ダンスやマナーなど武術以外は一通り教えられるらしい。もう全部セバスチャン一人でいいんじゃないかな。


 セバスチャンが泣き止んだところで、授業を始めてもらう。

 クラウトは今まで、貴族の子息として学んでおくべき教育をサボってきた。それを今から取り戻そうというのだから、授業速度はかなり早い。

 しかし卒業こそできなかったとはいえ、一応は大学(経済学部)まで行った身。歴史以外の学問に関しては、すでに実務レベルに達しているらしく……またセバスチャンが泣き始めた。


「さすが坊ちゃま、公爵家の跡取りに相応しき麒麟児きりんじです! 旦那様を超える名主めいしゅにもなり得ましょう!」

「あー……うん、そうね」


 セバスチャンには悪いが、それはハードルが低すぎないか。何せ我が両親は領地運営と俺の面倒を部下に任せきりで、夫婦揃って王都でパーティー三昧ざんまいなのだ。公爵領うちに帰ってくるのは多くても月に数回程度、帰らない月もざらにある。


 つまり両親は王都で、息子は領地で好き勝手やってるってことですね。さすがは悪役令息一家、周りの苦労がしのばれるわ。

 まぁ後々のことを考えると今の状態は好都合なので、申し訳ないけどしばらくは放置しておくけどね。

 よし次の授業は……え、マナー?

 ま、まぁ前世は仮にも礼儀正しき日本人だし、何とかなるやろ!


 ダンスとマナーは落第点だった。

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