第28話 二人の距離 『愛人と逢瀬?』

「同伴者に何も言わないで退場するなんて、よっぽどなことがあったんでしょうかね」


  話す鴨井氏の声に憐みが伴っている。


「お仕事で何かあったのかもしれません」


「でも従業員も主要な顧客も取引先も殆ど会場にいますよ」


「……」


 確かにそうだ。


「仕事以外の親しい人とのことで問題でも起きたのではないですか。噂によれば、ご主人は良く浅草に足を運ばれていると聞く」


「……え」


 噂になるほど?  

 浅草――ならば、お母さまの捜索?


 それとも……。


 私が口をつぐんでしまったからか、鴨井氏は、と取ってつけたように言った。


「ご結婚なさってからは頻度は減られたでしょうけどね」


 二曲めの音楽が始まり、鴨井氏が、再び私に手を差し出した。

 同じ人とばかり踊ったらマナー違反なのでは? それに、もう私は踊る気などなかったのに、


「貴女は呑み込みが早い。私のレッスンを受けに通ったら、きっともっとうまくなる。なんなら、ダンスだけじゃなく夫婦間の悩みのご相談も請け負いますよ。女性の心と体の隙間を埋めるのも仕事だと思っていますので」


 “東京一の好色男子” と言われるにふさわしい色香を漂わせ、鴨井氏は耳元で囁いた。

 恋など知らずに結婚をしたご婦人や、初心うぶなご令嬢なら心を奪われてしまうかもしれない。

 けれど。


 おそらく、私は今、夫に恋している。

 しかも、片思い。

 近くにいながら二人の距離は太平洋の端と端くらい遠い。

 だけど、結婚した直ぐよりもその距離は確実に縮まっているはず。(自負でしかないけれど)

 そんな私が、一郎さん以外の男性に心を弾ませることなんてあり得ないのだ。


「申し訳ありませんが、私の心と体の隙間を埋められるのは、ダンスでも貴方でもありません」


 私は深いお辞儀をして、一郎さんを探しに会場を出た。


 受付で番をしていた従業員に、一郎さんがどちらへ行ったか尋ねると、慌てた様子でホテルの庭に出て行ったという。

 何でも、急用だと言って客人が呼び出したのだそう。


「お若い男性でしたよ。学生という雰囲気ではなかったですね、可愛いらしいお顔の方でした」


 それを聞いて、手帳の写真の男性ではないかと思った。

 途端に足がすくむ。

 誰にも見せたくないが、いつも肌身離さず持っていたい写真なんて恋人や好いてる方の物でなくて他に何があるだろう。

 その方がこんなところにまで押しかけてきたのだから、本当に急用なのだ。

 そこへ私がしゃしゃり出るのは、図的に滑稽だし惨めではないか。


 ——でも……。

 

 お見合いの日に二人で話した池の前に行くと、噴水を挟んだ向こう側に一郎さんらしき人を見つけた。

 遠目だが、スラリとした全貌は間違いない。そして、一緒にいる人物は……。

 

 一郎さんの体が遮り、ここからは良く見えないが、若い男性だった。かなり細身のようだ。 

 着物に羽織り、しかし、男性にしては少し着物の柄が派手な気がする。

 

「一郎さ……」


 声をかけようとして、途中で呑み込んだのは、その少年が泣いていたからだ。

 一郎さんがその方の背中を抱き、胸に寄せている。

 お顔が良く見えた。


 あぁ、と思った。

 やはり、あの美しい少年だった。

 嫉妬より、なんて絵になる二人なのだと感心してしまった私は、その光景に暫く見とれていた。

 

一郎さんが少年の頭を撫でている。

 甘えるように全身を委ねた少年はまるで少女のようだ。


 薄化粧をしているようだが、化粧は政治家や海軍上官なども凛々しく見せるために施していたので、そう珍しい行為ではないのだが、いかんせん、その少年は美しかった。


 女の私など足元に及ばない。

 江戸時代までは、陰間と呼ばれる男娼が人気だったそうだ。

 それは、女性と男性の中間のような魅惑的な美少年で、両刀の者も、後家などの女性も夢中になった、と。


 時代が時代なら、あの少年は高級陰間になっていたかもしれない。


 私の視線に気が付いた一郎さんが、こちらを振り返る。

 特に罪悪も抱いてない様子で、「なに?」と口元が動いていた。


「もうすぐお開きになりますので、呼びに参りました!」


  私の張り上げた声に、少年がピクリと動く。


 会の終了時に、四谷さんがデザインした会社の商標マークを発表し、客人への土産にそれが入った小さなブローチを配るまでが私達の役目だった。


 一郎さんが、少年に一言二言語りかけ、此方に向かって歩き出す。

 少年の潤んだ目。

 二人の時間を割いた私。


 他人の恋路を邪魔した者は馬に蹴られて死んでしまえ――とは良く言ったものだ。


「黙って抜けて済まない」


 そばに来た一郎さんが私に謝った。


「いいえ。私もダンスから抜ける口実が出来て良かったです」


 そう言うと、一郎さんと目が合い、何となく二人で笑い合う。


「あの方、大丈夫なのですか? 泣かれておいででしたが……」


 噴水の向こう側で佇む少年を見て尋ねる。


「身内に不幸があってね。僕を頼ってきたんだ」


 館内に戻る足を止めて、一郎さんが少年の方を振り返る。とてもご心配な様子。


「ご身内とは……?」


「彼の母親……」


「そうなんですか」


 それはお気の毒だ。


「というか、僕の母親でもある」


「え!」


 素っ頓狂な声を上げて、私は一郎さんの顔を覗きこんだ。とても冗談を言っている顔ではない。


「という事は、彼の母親というのは……」


 そしてあの美少年は——


「元芸者のおたつ。三年前に結核を患ってから𠮷原を引退して、闘病生活を送っていたらしい。それで彼……宗一そういちが浅草で男芸者となって生計を立てていたんだ」


 一郎さんの弟だった。

 あの美貌ならなるほど納得だ。








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