第27話 二人の距離 『美中年とダンスそして波乱の幕開け』

 この日。

 いつもは洋装の装飾部門の従業員達も、受付などをする者は着物で役割をこなしていた。外国人の方もいたが、日本語を話せる方ばかりだったので、こちらの拙い英会話など不要だった。


「この度は三十周年おめでとうございます」


  御祝儀と引き換えに、席の番号カードを渡す。

 取引先や上顧客に、華族、財界と政界の著名人なども200名近くが招かれ、私も中野家の嫁として受付でひっきりなしに挨拶をしていた。


 当然ながら一郎さんも、はじめのうちはにこやかに挨拶をし、握手を求めるご婦人方には嫌な顔をせずに対応していた。


「……これ、全員としなきゃいけないのか」


 ポツリと漏らした本音は、恐らく隣の私にしか聞こえてはいないだろう。


「もう少しの辛抱ですよ。会が始まったら着席して美味しいものも食べられます」


「貴女はそうかもしれないが、僕には皆の前に出て挨拶をするという大役が待っているんだ」


「頑張ってくださいね」


「他人事だなぁ……あぁ、いてて」


 と、緊張からか、胃痛まで起こしている様子。 気の毒に思いながらも、紋付き袴姿もやはり素敵だな、と隣の旦那様に見とれていた。



「お忙しい中、我が中野貴金属の創業三十周年記念祝賀会に足をお運び頂き、誠にありがとうございます。本日、お招きした皆様は、弊社にとって、とても大切な――」


 まず、社長である義父の挨拶から始まり、次に一郎さんが皆の前に現れる。


 妻である私は、けして客人と同じように着席しているわけではなく、前の方の端っこでその晴れ姿を見守っていた。


 初見の女性たちは、そのあまりの美しさに、周囲の者と囁き合いながら、熱い眼差しを向けている。


 元々色白の肌が青く見えるほど緊張していた一郎さんも何とか挨拶を終え、客人による祝辞が続く中で、ホッとしたように椅子に座っていた。


「挨拶、立派で素敵でしたよ」


 心からそう言ったのに。


「文は添田が考えたんだ。僕はただのスピーカーだよ」


と、謙遜なのか卑屈なのか分からない事を仰っていた。


 いよいよ、樽酒を舞台中央に運んでの鏡割り。

 これはおおいに盛り上がったが、お酒が弱い一郎さんは、一口嗜む程度に飲んでいただけだった。


 そこからは立食も兼ねて自由な親交会。


 添田さんが客人に頼まれて開く社交ダンス・パーティーは、隣の間で始まっていた。この時、私もドレスを着用。一郎さんもタキシードに着替える。


「馬子にも衣装というのは褒め言葉ではありませんかね?」


 そんな皮肉を言うのは、やはり添田さんで、私のドレス姿をとりあえず「お似合いですよ」と褒めた。


「上流社会では、社交ダンスというものが流行っているの?」


 一郎さんが舞踏の間で踊る客人たちを見て言った。

 踊っているのは、海軍士官、上官だとか華族だとかばかりで着物姿の客人は遠巻きに見てるだけ。


「私は、一度だけ習ったことがあります」


 一回目の結婚をする前の事だ。

 炭鉱王の家へ嫁げば派手な生活を送ることになると言われ、安くない講習料を払って行ってみたが、まずこの締め上げるドレスが無理だったし、男性と手を取って踊ることに抵抗を覚えた。

 勿論、結婚後に引き籠った私がそのような社交的な場所へ赴く事はなかったのだけど……。


「しかし社交ダンスはこれからもっと流行りますよ。【真珠婦人】の作者である菊池寛も常連であると噂です。今は高級志向のダンスホールばかりですが、次第に低俗化して庶民にも浸透してくるでしょう」


 添田さんが自信たっぷりに話す。


「そもそもこのダンスパーティーを所望した客人というのは誰なんだ?」


 今更ながら一郎さんが問うたその時、


「私です」


 と現れたのは、高級ダンスホールの主任講師の鴨井氏だった。


 妻を同伴に、私達に会釈するその御姿は、” 東京一の好色男子 ”と言われるだけあって一郎さんに引けを取らないほどの美男子(美中年)だった。

 奥様は中野貴金属店の上客らしく、本日もイブニングドレスに会うネックレスを今日の為にご購入なさっていた。


「若旦那様、ダンスはできますか?」


 鴨井氏が一郎さんに訊ねる。


「いいえ」


 嫌な予感がしたのか、一郎さんが大きく首を横に振った。


「これを機会に一度習われては? 私の教室の生徒ですが、貴方と踊りたくて仕方ないご婦人やご令嬢があちらでお待ちですよ」


 鴨井氏が視線を送った先には、確かに踊らずこちらを見つめる女性たちが数人居た。

 

「習う時間も余力もありませんよ」


「では、今夜だけうちの家内が御相手しながら若旦那様にお教えしますよ。奥様は私がお相手することにして」


「え」


 と、声を出してしまったのは私だ。


「奥様、宜しいでしょう? このダンス・パーティーには男性の華も必要です。話題になれば日本でももっと社交ダンスは広まっていく」


 それは貴方がたのご都合でしょう、と思ったが、あくまでお客様である彼を拒否することもできずに、一郎さんも渋々承諾していた。


 ダンス・パーティには一応ルールがあって、パートナーがいる場合は最初と最後はパートナーと踊ることになっている。

 パートナーとばかり踊っても他が白けるし、かといってパートナーを放置してはいけないのだ。

 私の場合、それは一郎さんになるはずなのだけど、どういうわけか、(いや、わけはわかっているのだけど)私達夫婦は、今、初っ端から他の方と踊っている。


「奥様、お上手ですね、ステップも覚えが早い」


 美中年の鴨井氏に手ほどきを受けながら、一曲目から何となく形になっていた。


「昔、一度だけ講習を受けたことが……」


 と言っても不慣れなドレスにピンヒール。緊張しているうえに、鴨井夫人と踊る一郎さんが気になって何度か転びそうになった。

 

 

「そんなにご主人が気になりますか?」

 

 不意に耳元で囁かれ、思わず私は踊る足を止めそうになった。


「あたりまえです」


 言われたら余計気になる。

 一郎さんはくるくると回りながら、他の男女とぶつかり、「すみません」と赤い顔をして謝っていた。


「でも、ご主人、たいそうモテられるし、年下だし、色々事足りてないんじゃあられませんか?」


「はいっ?」


 鴨井氏の無礼に声を上げたその時、ワルツの曲が終わる。

 これで一郎さんのところに戻れると思っていたら、あろうことか一郎さんは他の女性から誘いを受けていた。

 社交ダンスって、基本男性から女性を誘うものじゃなかったかしら……?


「これも時代ですね。積極的な女性が増えたものです」


 そんな呑気な気持ちで見ていられるわけない。

 ハラハラモヤモヤした気持ちで一郎さんのことを目で追っていたら、添田さんが彼に何か耳打ちをしていた。


 すると、まだパーティーも会も終焉を迎えてないというのに、一郎さんは舞踏の間から足早に出て行ってしまった。


 いったい、何が起こったの?









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