第25話 二人の障害物 『恋敵?』
……つもりが、やはり気になり、あえなく寝不足。
「奥様、おはようございます」
タエは突っ込まなかったが、やはり目の下にクマが出来ていて、
「朝なのに、顔色パッとしないね」
一郎さんの一言で思わず鏡を見た。
「……そういうお年頃なんです」
「どんな年頃なんだ」
写真だからイマイチわからないけれど、昨夜見た美少年の肌は、きっとツルツル艶々なんだろう。
まさに吸い付きたくなるような皮膚をしているに違いない。
はぁ、と短い息をついていると、一郎さんが少し怪訝な顔で卓袱台の手帳を見ていた。
「あ、それ……」
酔っ払ってぶつかって床に落とされたんですよ、と説明したが、やはり納得していないご様子。
そんなに見られたくないなら、もっと違う所に仕舞っておけばいいのに。
それから数日後の朝、開店前に添田さんが一郎さんのもとに報告で訪れた。
「創立記念祝賀会の開催場所が決まりました」
彼がこの離れを訪れるのは、結婚してからは初めてだった。
「そのような大袈裟なホテルで……」
どうやら見合いをした場所と同じらしい。
祝賀会はやはり決行されるらしく、一郎さんはつまらなそうな顔をして添田さんの話を聞いていた。
「何も奥様がご出席なさるからといって、婚儀披露宴の代理だとお考えにならなくて結構かと……」
一郎さんの隣にいる私をチラリと見る。
「父はそうは思ってはいない」
「社長には華族やその関係者の相手をして頂き、一郎くんは取引先との親交を深めていけばいいのでは?」
そんなにうまくいくかしら、と聞いていて思ったが、その私に添田さんはこう言った。
「奥様にぜひお会いしたいという客人も多いようです。何せ二回も財界人から多額の結納金を巻き上げた元ご令嬢ですから」
「……ま」
――巻き上げだなんて……
「添田」
絶句する私の代わりに一郎さんが彼をたしなめ、それでも祝賀会の話は続いた。
「それと、各華族のご令嬢も参加なさるなら、ぜひダンスパーティを開いてくれ、と仰るお客様もいましてね。堅苦しくない会にするために、取引先だけでなく、茶道や歌人もご招待する手回しも済んでおります」
もはや何の会か分からない。
それまでに私がすべきこと、一郎さんがこなす役割を添田さんが手短に話し終えた時、一郎さんが、ポツリ、と言った。
「仕事だけをしていたいよ」
面倒臭いのだろう。
気持ちは分かる。
私も日陰の女は避けたくとも、中野家のためでなかったら、その会の時間を装飾品や語学を学ぶことにあてたいもの。
「本日の午後に商工会議所の寄り合いがありますが、社長がご都合つかないそうなので、一郎くん、お願いできますか」
添田さんが今日の予定を確認すると、
「わかった。そのあとは浅草に出掛けるから、彼女への語学指導の傍ら客人の対応頼む」
一郎さんは疲れた顔をして、一足先に店に出向いて行った。
浅草……。
そこには何があるのだろう?
そして、また添田さんと二人きりの語学の時間。
普通の夫婦なら、秘書と言えど異性とそのような時間を持つことを制するものだけど。
何だか昨夜からモヤモヤする。
部屋に残された私と添田さんは顔を見合わせた。
「祝賀会には外国人も来るので、僕がいなくても挨拶くらいは出来るようになっていてくださいね」
「……はぃ」
苦手な時間も、中野家のためだと己に言い聞かせる。
「浅草には、取引先があるのですか?」
勉強の合間、つい添田さんに尋ねてしまった。彼は、ゆっくりとロシア語の参考書から顔を上げた。
「浅草は、芸と文化の街ですからね。取引先というか、顧客はいるでしょう」
「顧客……」
「asakusa, if you say geisha.」
添田さんが試すように英語で答える。(といってもほぼ日本語とおなじ単語だけど)
ふと、一郎さんの言葉を思い出した。
『日本の宝飾は洋装だけに留まらない、帯留めや櫛、羽織紐の鎖、と和装独特の品物があるからね。そしてその価値を広めてくれているのが成金や華族だけでなく、教養のある人気芸者であるのも大きい』
芸者であった実母を探すために遊郭に行った一郎さん。
今もその捜索は続いているのだろうか。
芸者という人脈を通して宝飾品の営業を広げている傍ら、今も母を想っているのかもしれない。
私の産みの母も芸者らしいが、結婚するまでその事も知らず桜小路家の正妻を母だと思っていたから、会いたいなどとは思ったこともない。
それとも男性だからこそ、母親を必要としている?
あ。……もしかして。
一郎さんの希望の年上って、私の年齢どころじゃなくてもっと上が良かった……?
「どうしたんですか? 急に間違いに気が付いた子供みたいな顔をされて」
「えっ、そのような顔をしてました?」
「ええ」
添田さんの頬が緩み、笑ったように見えた。
苦手な相手だけれど、嫌われるよりは、少しでも好感を持ってもらう関係を築きたい。その想いから、ついまた質問を重ねた。
「一郎さんは、今でもお母様を探されているのでしょうか?」
しかし、それは私の独りよがりな想いだったようで、
「一郎さんくんのお母様の話、僕、しましたか?」
途端に彼を不機嫌にさせてしまった。
「あ、いえ、一郎さんにお聞きしたのです。昔、(遊郭に)添田さんとお母様を探しに行かれた、と」
「一郎くんと仲良くなった自慢ですか?」
「……はい?」
なぜ、そう捉えるの?
この方、卑屈?
私が嫌い?
というよりも、一郎さんを……――好き?
この時、私の頭の中でこんな関係図が浮かんだ。
私→→→→♡ 一郎 →→♡←←謎の美少年
――夫婦― ↑ | ――愛人――
♡ |
↑ 上司部下
添 田
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