第24話 二人の障害物 『一郎の泥酔と疑惑の写真』
その日の夕食は、義父と一郎さんのおばも一緒に食堂でとることになった。
いつもは夕食も離れで二人、膳を前に済ませるのだけれど、今夜は何かお話があるのかもしれない。
食前酒を二口ほど飲んだ後、義父が赤い顔をして言った。お酒はあまり強くないらしい。
「先代が両替商を辞めて中野商店を始めてから今年で三十年になるんだ」
「……はい」
なら、一郎さんがあとをつげば、三代目になるということなのね。
「創業祝賀会のお手伝いを琴子さんにもお願いしたいと思うんだが、どうだろ?」
「ええ、勿論。私にできることでしたら、何なりといたします」
ようやく、お家のお役に立てる。
快諾すると、義父が満足気に頷いた。
「婚儀の披露宴もしなかったことだし、桜小路家の人脈を通して、様々な御家に参加して欲しいと思ってるんだ」
それを聞いた一郎さんが、表情を険しくした。
この政略結婚の最大の目的は、華族の人脈を引き換えに、困窮した桜小路伯爵家に資金援助すること。
実際、出戻りだというのに結納金は破格の金額だった。
こんな時に役に立たずに、いつ恩を返せるというのか。
「では、詳細がわかり次第、父に話してみます」
「頼むよ。まだ寒い時期だが、財界や政界の重鎮からも先に出席の意を聞いているから大々的にやるつもりなんでね」
「はい」「父さん」
そこで、ようやく一郎さんが口を出した。
「そんなもの、大々的に行う必要ないでしょう。記念日を休みにして、身内や従業員たちとで、ささやかにお祝いすれば十分だと思う」
ずっとにこやかだった義父の顔が不機嫌になった。
「何を言うか。三十周年だぞ? 中野貴金属の大きな節目だろうが」
「そうよ。披露宴だって本当は豪華に出来たのに、一郎が嫌がるから身内だけで済ませたんでしょう。せっかく伯爵家と繋がったのだから、一度はちゃんと御披露目しないと」
おばさんも強い口調で口添えをする。
それでも一郎さんは冷ややかな目を二人に向けてウン、とは言わない。
「四井物産の長男が伯爵令嬢と婚姻した数年後に叙爵したのを受けて、父さんも中野家も、と目論んでいるのが見え見えだ」
それどころか、この結婚の目的さえも否定する発言をした。
和やかだった食卓が冷え冷えとした空気に包まれる。
そこへ、タエがおずおずと料理を運んできた。静まり返った食堂でテーブルに置かれる皿の音が僅かに響く。
そんな中、義父が軽く咳払いをした。
「……四井物産の場合、授爵理由は父の勲功であって華族長子との婚儀が理由ではないはずだ、誤解を招くような発言はよせ」
義父の仰っていることは、半分事実だと思う。
公卿華族や大名家華族の叙爵の条件はハッキリとしているけれど、財界人や軍人、政治家などの勲功華族の場合は授叙課程が不透明だと言われている。
一郎さんが空になったグラスに手酌で酒を注いで言った。
「四井だけじゃない、二菱家だって家督相続の前に華族の子女と結婚してから襲爵しているのを見れば、婚儀が影響があるのは明確だ。だけど。中野貴金属がそこを狙うのはお門違いだよ。まだまだ発展途上、爵位の前にやることが沢山あるは……」
「偉そうに言うな!」
まだ何か言いかけていた一郎さんの言葉を遮って義父が立ち上がる。憤りからか、普段は見えない青筋が額に浮き上がっていた。
「部屋で食べるから運び直してくれ」
「は、はい」
タエに声を掛け、立ち去る義父に視線を向けることなく、一郎さんは料理に手を付けずにお酒ばかりを飲んでいた。
親子で強くないのだろう。一郎さんの顔もすでに真っ赤で、目がトロンとしていた。
「大丈夫ですか?」
小僧(男性使用人)の手を借りて一郎さんを部屋に連れて行く。
顔から足先まで真っ赤で千鳥足。
「……だいじょぉぶ、だいじょぉ……」
いつもの物腰の落ち着いた一郎さんからは想像もできなかったが、これほどお酒が弱いとは。
もしかして、披露宴や祝賀会を避けているのは、飲まされて醜態(私からみたら色っぽいのだけど)を晒すことを心配なさっているのかしらとさえ思う。
「では、失礼します」
「ありがとう、おやすみなさい」
襖を閉めて小僧が頭を下げ出てていく。
ふらついたまま奥に敷いた布団へ向かう途中、一郎さんがよろめいた。
「一郎さん!」
咄嗟に傍の卓袱台に手を突き、転倒はしなかったものの、台の上にあった湯呑一式や手帳が畳に落ちてしまった。
「あーあ……」
虚ろな目をして片付けようとするから、「私がやりますので」と言って一郎さんを布団へ寝かせた。
……あっという間に眠られた……。
二人でお話する時間もなかった。
本当は、昼間、どちらへ行かれていたのか、それとなくお尋ねしたかったのに。
こんなになるほど、華族を招いての祝賀会がお嫌だったのかしら。
それとも、やはり出戻りの嫁が恥ずかしくて……?
そう思うと複雑だったが、軽い鼾まで立てる普段とは違う夫の姿には、落胆するどころか、可愛しささえ感じてしまう。
「あ、そうだ」湯呑みを片付けようと、部屋を移動し、割れずにいたそれらと一緒に手帳も拾いあげる。
すると、中からヒラリ、と一枚の写真が落ちてきた。
思わず手に取る。
さほど古さを感じない写真に写っていたものは、一人の男性だった。
いや、男性というより、まだあどけなさが残る少年で、歳は18にもならないくらい。愛らしいはにかんだ笑みを浮かべている。
役者のプロマイドかと思うほど、綺麗な容姿をした少年だ。
普通なら、特に何も思わないものだが、一郎さんはもしかしたら、男色家かもしれないのだ。
女性ほどでなくとも、嫉妬心に近いものを抱いてしまう。
——もしや、この方が一郎さんの愛人なのではないか、と。
「ん——……」
と、一郎さんの寝言の聞こえ、ハッとして写真を手帳に挟む。
どこに挟んであったのかもわからないから適当だ。
勝手に見てしまった罪悪感もあったが、これは事故だと思うようにする。
——気にしない、気にしない……。
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