第21話 二人の夜 『二人の傷2』

『――噂でね、関東一の炭鉱王に華族の令嬢が殺されかけて離縁したと聞いたんだ』


八針ほどの傷痕。

この傷を負った時、私は、出血多量で、確かに危ない状態に陥った。


 けれど、何も前夫に刺されたわけではなく、癇癪かんしゃくを起こして暴れた夫が洋室の窓ガラスや飾り棚を次々と割り、それを止めようとした私が突き飛ばされて、その破片で腹を切っただけのことだった。


「……気持ち悪いですよね……」



 せっかく、一郎さんが(お試しとはいえ)その気になられたのに、このような醜い傷痕で萎えられたのは、遺憾だが致し方ないことだと思う。


  起き上がり、背を向けて浴衣を直していると、


「そうじゃない」


 と、一郎さんが背後から私を抱き締めた。


「話した通り僕は女性に不慣れだから、やり方次第で貴女をまた傷つけてしまうかもしれない」


 それが怖いんだ、とポツリと囁かれた。


 一郎さんが私を傷つけるなんてあり得ないのに。


 それでも私はコクンと頷いて、一郎さんの白い手を取り、「もう寝ましょう」と微笑んだ。

 男の人の本心なんてわからないけれど、少しずつ理解していければいい。そう思うようにする。


「こっちで寝たら?」


 開けられた上掛けの中にしずしずと潜り込んだ。布団の中で二人の匂いと体温が混ざり合う。それだけで十分だ。


「初めてです、男性と一つの布団で眠るなんて」


「……そう」


 寝床に入ってすぐ、一郎さんは眠そうな声を出した。

 暫くすると、一郎さんは長い睫毛をおろし、小さな寝息を立て始めた。


 穏やかな、本当に綺麗なお顔立ちだ。

 女郎が一目で気に入り、話だけでは足らないと強引に情交する気持ちも分からなくもない。

 不意に、昼間の学生たちの言葉を思い出し、学生時代に何があったのか、聞きそびれてしまったな、と思った。

 それはおいおい一郎さんから話してくれるだろう。


 二人の夜は、これからいくらでもあるのだから――。


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