第20話 二人の夜 『二人の傷』

「あ、……あられるのですか?」



 想定外の返答で、私は何度か瞬きをして一郎さんを見た。

 しかも “筆おろし” (主に風俗や玄人女性と初体験をする)と仰った?


「そんなに意外?」


 逆に訊かれ、私は、「だって……」とその先の言葉を呑み込んだ。てっきり男性としか経験されたことないとばかり思っていたし、そうであることを確認したくて遠回しな言葉を選んだのだから。


「では、望まぬ形、とは……?」


 自分の意志関係なく関係を持ったという事だろうか?

 女性のように美しいお顔と、きめ細かな肌、男性にしては細い首筋を見ながら訊ねた。


「今から二年前、僕は添田と一緒に吉原に行ったことがあるんだ」

  

 ″筆下ろし″ と言うのだから、お相手はそういう方だとは察しがつくけれど……。


「添田さんに誘われたのですか?」


 彼は、一郎さんより年上なのでそういう所にも先に足を運んでいたのだろうし、世の男性が女に貞淑を求める分、遊び相手には玄人さんを選ぶことはごく普通のことだ。

 それを仲の良い一郎さんに勧めるのも自然な流れだろう。


「そう。でも、僕の目的は、ある女性を探すことだった」


「……え?」


 一郎さんは、少しだけ言いづらそうに続けた。


「僕の生みの母親は、吉原の芸者だったんだ」


「そうだったんですか……」


 まさか、私と同じで一郎さんも妾の子だったなんて。


「育ての母は早くに亡くなっていたから、そんなこと知らずにいた。でも、店に元芸者だという一人の女性が現れて、僕を見かけるなり『おたつさんにそっくりだ』と言ったんだ」

 

 おたつというのが母親で、16で一郎さんを産んで、中野貴金属社長の妾として引退することなく、芸者として人気がなくなったあとも、遊郭で芸者が舞を舞う時の三味線弾きとして活動していたらしい。


「それで、吉原に会いに行かれたのですか?」


「そう。添田が、”探しがてら、行ってみよう” と。でも母親には会えなかった」


 そのとき、添田さんと共に妓楼にあがり、酒宴を経て大部屋に送り込まれた、と。


 遊郭の遊女は一流から三流までおり、花魁おいらんと呼ばれる上級遊女には自室があるが、下級遊女にはない。


 なので、紙や屏風などで仕切りをした廻し部屋(大部屋)で遊女と情交したり、話をしたりする。


「僕はする気はなかった。でも、添田が金を払っていたし、彼を待つつもりで話だけでいいと相手にも伝えていたんだ」


 けれど、その遊女がいたく自分を気に入り、何故か若衆(男の従業員)も加勢し、半ば襲われるように情交してしまった、と。


「恐ろしかった。玄人なのに、無我夢中になって自分の上で腰を振る女郎も。屏風の隙間から覗く他の客の目も……それから女が苦手になった。今でも、白粉の匂いは無理だし、濃い化粧をした女を見るだけで気分が悪くなる」



  一郎さんが本当に吐きそうな顔をしている。

思わず、私は背中を擦った。


「男なのに、情けないだろ?  こんなこと、貴女が経験したことに比べたら小さいことなのに」


 一郎さんの背中が、少しだけ震えていた。


 私は、首を横に振った。


「いいえ」


 襲われて恐怖を感じるのに男も女もない。


「傷の大きさは他人が推し測れるものではありませんから。私の過去も、一郎さんの経験も……」


 小動物のように震えていた一郎さんが、そっと手を伸ばし、私の濡れた髪と頬に触れ、そして唇を合わせてきた。

 さきほどよりも長く、熱いくちづけだった。


 そのままゆっくりと布団に倒れ込むと、一郎さんの石鹸と草原のような匂いが再び私を包む。

 腰紐を外され、うわまえと一緒に肌襦袢も捲られると、橙色の灯りの下、私の痩せた身体が露になった。

 

 貧相で恥ずかしくて、一郎さんがどんな顔をしているのか見るのが怖くて、思わず目を閉じた。

 静かな吐息が降りてきて、それが耳元にかかる。

 前夫のような初っ端から荒い息ではない。

 きっと私の身体に興奮する要素がないからだ。

 そう思ったら余計恥ずかしかったが、一郎さんは優しい声で言った。



「今夜はここで止めておこう」


 そっと瞼を上げると、切なげな瞳が私の身体の一部を見ていた。


「やはり、貴女の傷は大きいようだ」


 それは、前夫につけられた脇腹の傷痕だった。






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