第18話 私の決意 『今夜、試してみない?』

 この方の、仕事の話をする時の熱い目が好きだと思った。


こんなに家業のことを一心に思う跡取りがいるのは、中野貴金属店にとっては強味だ。

さらに孫が出来れば、義父も安心安泰だろう。


……こればかりは、なかなか難しそうだけれど。


「また一方的に話して済まない」


 黙ってしまった私を見て、一郎さんが気遣った。


「……いいえ」


「そろそろ出て、あの店員が言っていたコテとやらを見に行こうか」


「どんなものか想像もつかないのですが、あまりにも高価なら、美容室にでも行った方がいいかもしれませんね」


「髪を切るのもなかなか勇気がいるんじゃないかな。とりあえず見てみるだけ……」


 席を立ち、食堂の入口に向かった所で和服に袴、もしくは学ランを着た集団とすれ違う。

そのうちの一人が、


「……中野?」


と、一郎さんに声を掛けてきた。


「俺だよ、機械科の谷口。……、あれ?  忘れたか?」


 話しかけてきた男性は、一郎さんを懐かしそうに呼んでいたが、一郎さんは愛想の一つもなく返事をする。


「あいにく、こっちは電気化学科だったんで覚えてないね」



 その態度に、谷口という男性と連れ達がムッとしているのが見て取れ、こちらがハラハラとした。


「こいつ、確か中野貴金属店の息子だろ? 相変わらず女みてぇな顔してんな」


 谷口の隣の男が、一郎さんの顔を見てから吐き捨てるように言った。


「紡績科の俺も知ってるぜ。有名だったもんな、と」



 皆がニヤニヤと嫌な笑いを浮かべ、そのうちの一人が私を見て、小馬鹿にするように嘲笑う。


「まさか、お前が女と一緒に歩いているなんて。もしかして、偽装の嫁か? それとも女装した男か?」


ずっと表情のなかった一郎さんの顔が怒りで歪んだ。


「い、一郎さん、もう行きましょう」



 私は咄嗟に、何か言おうとした一郎さんの腕を取り、食堂の外へ促す。


「あ! 思い出した! 俺の親父が言ってた。中野んとこの息子が華族の出戻り令嬢を大金で買ったって」


 そこまで言われ、私の顔はみるみる紅くなった。

 下品な笑い声をあげる集団を、食堂の客たちが何事かと見ている。


 ……この人たち。

 挨拶もろくにしないで、なんでこんなに酷い事言うの?

 学生時代、一体、一郎さんの身に何が起こったって言うの?

 知りたいけれど、こんな人たちの口から聞きたくない。


「なぁ、奥さん、こんな男女おとこおんなと結婚して幸せなの? お金貰ったって一生、女の幸せなんて感じることないんだぜ? 知ってるんだろ? こいつはさぁ――」

「黙って」


 谷口の言葉を全部聞く前に、私は向き直った。


「今日は平日ですよ。こんな所をうろつくなんて学校の創立記念日か何かですか?」


「はぁ?」「なんだ、女の分際で!」


 男性を前に、こんなに強い言い方をしたのは生まれて初めてだった。


「創立記念日は五月十三日だ」


 と、隣でさらっと言った一郎さんの顔は見ない。ひたすら目の前のボンクラ息子たちを見据える。


「あなたたちのような、親から大金出して貰っている学生の身分で平日に遊び惚けてるうつけ者に、夫婦のことなんてわからないでしょう?」


「おい!」「うつけ者とはなんだ」


 憤慨する男をまるで怖いと思わなかった。

 なぜなら、一郎さんに比べたら、彼らは佇まいも言葉も、持ち合わせた常識も、子供じみてチャンチャラおかしかったからだ。


「さきほどのご質問にお答えしてさしあげますわ」


 私は、谷口の前にスッと一歩近寄った。


「私、今、とても幸せです。仕事熱心で、視野が広くて、おまけにこんなに美しい旦那様はそうそういませんから。なのでこの指輪のように、夫婦で気持ち揃えて愛を育んでますの」


 そう言って、一郎さんの左手を握り、自分の左手も絡めて掲げて見せた。


「あなたがた、左薬指に指輪をはめる意味をご存知?」


 谷口を含め、皆、一瞬口をポカンと開けたあと、


「そんなもの知るか!」

「男が指輪なんぞはめてたまるか」


 と、それぞれ吐きながら、私達の前から立ち去って行った。


 残され、手を握った(正確には私が一方的に掴んだ)ままの私達を見て、周りの客がヒソヒソと囁き合っている。


「あ、やだ、私ってば」


 急に恥ずかしくなり、慌てて一郎さんの手を離すと、彼が、「くく……」と、肩を震わせて笑い出した。


「何がおかしいんですか?」


「凄いな、と思って。いや、さすが伯爵令嬢だ」


「はい?」


「大人しいのかと思ってたら、男多勢にあんな……。怖くはなかったの?」


 目尻に涙まで浮かべて、まだ笑っている。


「えぇ、怖くはなかったです。一郎さんがいましたし。それより貴方はなにも感じられなかったのですか? なぜ言い返せなかったのですか?」


 私は悔しかった。

 こんなに素敵な人が、ただ男性の方がお好きだというだけで、あんな風に嘲笑われたのが——


「怒ったところで、僕一人では喧嘩も口も敵わないからね」


  一郎さんはケロリとして言った。


「それに、無駄な事や面倒臭い事は苦手なんだよ」


 それは、よぉく承知しておりますけど。


「だけど」



 笑っていた一郎さんの横顔が、フッと怒りを滲ませる。


「妻の貴女のことまで冷やかされたのは許せなかった」


『もしかして、偽装の嫁か? それとも女装した男か?』


 あの時、咄嗟に一郎さんの腕を取った。

  今よりずっと、お顔が怒っていらしたから。関心のないはずの私のために憤慨された……それだけで、私は、救われたのだ。


「まぁ、おかげで、少し貴女の事がわかって良かったよ」


「え?」


 歩いていた足を止め、一郎さんが私の手を見つめて言った。


「君は、僕に触れることができるんだね」



 再び血がのぼり、耳まで熱くなっていく。

 勝手に一郎さんの手を握り、気持ちを揃えて愛を育んでいるなどとのたまった事が恥ずかしくて堪らなかった。


「わ、忘れてください、咄嗟とはいえあんな思い上がりな言葉……」


 でも。

 幸せなのは、自覚ある。

 前の結婚生活よりずっと……。

 だけど、それは私だけであり、形だけの夫婦であることは永遠に変わらない。


「待って」


 逃げるように、早足で日用品売り場へ向かう私の腕を、一郎さんが掴んだ。


 とても温かい手だった。


「僕も、こうやってあなたに触れられる」


 あ……―–。


「ならば、その愛とやらを育むのも可能なんじゃないかな」


「……え……」


 顔を上げ、私の腕を掴んだ白い指先から、いつもの冷静沈着な一郎さんの顔に視線を移す。


「今夜、試してみない?」


 夜を誘われ、小さく頷き、ひそかに私は決心した。


 たとえ、行為が上手くいかなくても、妻として、この人の事をもっと知ろう、と――










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