第17話 私の決意 『一郎さんの野望』
ひさしや日本髪ほどではないものの、洋装に不似合いな髪型のまま、大食堂に赴く。
——一郎さんが気にならないなら、いいとしよう。
洋装が浸透し始めたとはいえ、それは主に男性ばかりで女性は殆どが着物だ。
食堂にいる他の客も男性を始め和装が主だった。
なので、一郎さんは目立つ。
さっきから、ご婦人方や女学生が、彼の方を振り返り見つめているのを何度も見た。
「あの方、財閥のご子息かしら」
「隣にいるのはお姉さま?」
特に女学生は、集団であるがゆえの太さと無遠慮さで、話が丸聞こえだ。
パフェなるものをつつきながら、ずっと一郎さんの噂をしている。
「女学生というのは、ある意味珍種だよな」
その視線に気が付いていたのか、ぼやいた一郎さんの言葉に笑ってしまった。
「貴女もああいう時代があったのかな?」
くすくす笑っていた私は、「……ありましたよ」と答えて、数年前のことを思い出した。
十五で縁談を持ちかけられ、十六で前夫の元へ嫁いだ。
年齢的にとても早いというわけではなかったものの、貴重な十代後半の時間を、無駄にしたような気がしてならない。
結婚している間、桜小路家は援助を得られたが、子供も、夫の愛情すら得られなかった私は、輝きと瑞々しさを失い、あっという間に人より老け込んだように思う。
周りにいる女学生たちを見て、とても羨ましくなった。
「……もっと、いろんなことを学びたかった。外国語を習っていれば、きっと今は役に立っていたでしょうに」
食後の珈琲を啜っていた一郎さんが、顔を上げて私を見た。
「今からでも遅くないんじゃないかな?」
「え?」
それはどういう意味?
「その歳で学校に行くのは、よほどの勇気と根性がないと難しいだろうけど、貴女が望むなら通えばいい」
淡々とした口調からは、一郎さんの真意は読み取れない。
本気で仰ってるの?
「でも……」
今更感は拭えないし、今の私が、あの少女たちに混じって勉学する姿を想像できない。
言葉が続かず、私は、安易に “学びたかった” 等と口にしたことを後悔した。
「まぁ、外国語を習いたいだけなら、添田に頼んでもいい。彼は英語もフランス語も話せる」
「添田さん……」
『貴女にいったい何ができると言うんです?』
『屋敷でおとなしく茶でも飲んでいたらいい』
あの方。
本当に苦手だ。
あの人に教わる位なら無学でいた方がいい。
……とも言えないので、
「でもお忙しいでしょうから」
と、笑って誤魔化した。
「……貴女は、『でも』ばかりだな」
一郎さんに冷ややかに言われ、その笑顔も凍てつく。
まだデザートが残っているのに、そこで会話は途絶え、気詰まりになった私は、午前中の事を思い出して尋ねてみた。
「フランスの宝石商、ルグラン様とはどのような商談をされたのですか?」
すると、無表情ながらも穏やかだった一郎さんの顔が少し険しくなり、
「高価な装飾品を買うのは、裕福な日本人以外は外国人だ」
私ではない、どこか遠い所を見ながら話し始めた。
「中野貴金属は早くから海外での展開を考えていて、創業して間もなく、世界博覧会にも出品してたんだ」
「そうだったんですか……」
知らなかった。
縁談がくるまで、ただ国内で成功した元両替商だという認識しかなかった。
それほど、この業界には興味がなかったのだ。前夫の家業である炭鉱業はもっとなかったけれど……。
「博覧会から現地での代理店形成を準備していたところに、ルグランが話を持ち掛けてきた。パリを始めとした海外市場に参入しないか、と」
「それで……?」
相槌を打ちながら、何となく話は予測できた。
「中野の名前は出さずに、【ルグラン】のブランド名で売り出すこと、そして、パリでの出店は永久に見送るのが条件だった」
「それだと、中野貴金属の儲けが減るってことですね?」
単純な言い方しかできなかったが、一郎さんは大きく頷いた。
「出店して失敗した時の危難と天秤にかければ、考える余地はないはずだ、とあいつは言ったんだ」
「でも。中野貴金属店の商品の品質性は高いのでしょう? とくには白金の作成と加工は日本で随一だと聞いた事あります」
「あぁ。けど “真珠のイキモト” や “時計の伊賀野” に比べたらその知名度は雲泥の差だと言われた」
両社の名前は確かに、疎い自分でも知っている。
「悔しかったよ。当たっているだけに」
一郎さんは、今まで見せたことのない、本当に悔しそうな顔をした。
「だから、絶対にルグランの傘下には入らないと決めた。いつか必ず ”プラチナの中野” と国際的に名を知らしめるブランドになってやる」
一郎さんが見ているのは、ここではない、とても大きな世界だった。
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