第16話 私の決意 『一郎さんと買い物』
「……そうなのですか?」
仕事熱心な一郎さんがそんな事仰るなんて。
「あのフランス人はどんなお話をされて、何を憤慨されていたのですか?」
聞いたところで理解できないかもしれないけれど、一郎さんの胸の内を少しでも知りたかった。
「あまり良くない話、貴女は聞きたい?」
「はい。私も、中野家の人間になりましたから」
形だけと言えど、さきほど、『僕の妻』と助けてくれたことはとても嬉しかった。
私の顔を暫し見つめたあと、一郎さんがこう言った。
「この際、部屋で暗い話をするより、外に出て、気分転換しようか」
「え……宜しいのですか?」
昨日も私の工場見学に付き合わせたのに。
「部屋に籠ってるより健康的だろう」
「……そう、かもしれませんが」
やはり、私と二人で部屋にいるのが苦痛なのか、と思ってしまう。
「どこか行きたい所はない? 嫁入り道具も少なかったし、何か不足してるものがあれば買いに行ってもいい」
一郎さんが、部屋から
「羽織は? 厚手のものを作らせたら?」
一瞬、頷きそうになったが、それより、
「それなら、私、お店に立つときに着るスーツが欲しいです」
中野貴金属店の従業員として恥ずかしくない格好をしたい。
一郎さんは、少しだけ間を置き、
「洋装の貴女は想像つかないが、見てみたい気もする」
と、真面目な顔をして言った。
——ということで、今、私は一郎さんと二人、馬車の中にいる。
「百貨店なんて久し振りです」
「三越で良かったかな。高島屋か迷ったんだが」
「はい、どちらでも構いません」
一郎さんが見立ててくださるなら、洋服を買う店なんてどこでも良かった。
「やっぱり、店構えは鉄筋コンクリートの方が高級感があるな。うちも土蔵造りではなく新店舗はルネサンス様式にしよう……」
馬車から降り、洋風の建物を見上げた一郎さんが頷きながら言った。
正面玄関の二体のライオン像を通り過ぎ、履き物を預けて店内に入る。
雪が降りそうなほど寒いというのに、多くの客で賑わっていた。
このような所へ来ることは滅多にないので歩くだけで人酔いしそうだ。
「二階に、呉服と貴金属があるよ」
それなのに、一郎さんはうまい具合に人を避けながら颯爽と歩いていく。
「迷子になりそう……」
ポツリと言うと、一郎さんが立ち止まり、こちらを振り返った。
「はい……」
「え?」
無表情なまま、腕を差し出す。
「腕を組むのが嫌なら、袖を掴んでいれば?」
「……」
″腕を組むのが嫌なら″――
きっと、一郎さんは、私が男性には触れることもできないほど嫌悪感を持っていると、そう思っていらっしゃる。
……嫌ではない。
一郎さんとなら腕を組んでみたい。
だけども、私は、彼の気遣いをありがたく受け取り、コートの袖口をそっと摘まむだけに留まった。
西洋なら当たり前のエスコートも、我が国ではフシダラだと捉えられることもあるからだ。
洋装の事は良くわからないので、千代さんも着用していた膝下丈の動きやすそうなスーツを購入し、その後は同じ階にある貴金属売り場にも足を運ぶ。
こちらにも中野貴金属店の商品を置いているらしかった。
「若社長、お連れの方は、もしかして噂の奥様ですか?」
男性店員がすかさず寄って来て、私を物珍しそうに見る。
「ええ、そうです」
一郎さんが途端に面倒臭そうにした。この方は自ら紹介しようとした場合以外は、面倒臭がるようだ。
「妻の琴子と申します」
一郎さんの隣に並び、会釈をする。
「あー、いやぁ、伯爵ご令嬢だけあって品があられますな」
「ありがとうございます」
……さっきは吉原の遊女だと思われたけれど。
「洋服は初めてでいらっしゃいますか?」
「え?」
着替えるのが大変なので試着後、洋装のままでいたが、結い髪だったので違和感があるらしい。
彼の視線は、私の頭ばかりに行っていた。
後で断髪(おかっぱ)もしくは耳隠し(ボブのウェーブヘア)にしようかしら。
「その結った束髪を下ろしてコテで巻かれますと、その洋装にピッタリ合いますよ」
「コテ? そのような物も扱っていらっしゃるの?」
「三越に無いものはございません」
店員が少し離れた売り場の方を指して教えてくれた。
「商売がうまいな……行ってみるか」
感心した一郎さんが、急に立ち止まって懐中時計で時間を見た。
「どうなさいました?」
「もう昼時だ。何か腹に入れてからにしよう」
さっきからお腹が鳴って止まないのだと、子供みたいな顔をして言った。
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