第15話 私の決意 『決裂と思わぬ休暇』

 一郎さんや従業員が総出で出迎える。

 よくわからないまま私も付いて行った。

 店の前には、珍しい車と外国人を見る為に、多くの人が集まっている。


「ようこそ、お待ちしてました。ルグラン様」


 車から降りてきたルグランという外国人は、日本人男性にしては高身長の一郎さんより頭一つ分大きかった。燕尾服を着用している。外国の貴族だろうか?


「フランスの宝石商の方ですよ」


 千代さんが小声で教えてくれた。


 ということは、同業者?

 そのような方がはるばる海を渡ってきたのなら中野貴金属にとって大きな取引があるに違いない。


 その証拠に、普段は装飾部門にはあまり顔を出さないという義父も後からやって来た。


 先方と中野側と三名ずつ、商談席で話が進んでいるが、仕切りで囲っているために声は聞こえない。


「ダイヤモンドの入った時計が欲しいの」


「養殖じゃない天然の真珠の指輪を売っていただけないかしら」


 開店から一時間もすると、一人、二人とお客様が現れ、千代さんが接客する様子を見ているうちに、仕切りの向こうの取引のことなど忘れていたが――、


「Tu me déçois!」



 ルグランの荒々しい声が聞こえてきて、話が決裂したことがわかった。


 客も従業員も、仕切りを割る勢いで現れた金髪の大男を目にして、萎縮する。


 店内をギロリと睨んだその顔には、来た時とは全く違う、まさしく鬼のような険しさが漂っていた。


「ルグラン様、お待ちを!」


 追いかけてきた添田さんを振りきり、ルグランが向かった先は、何故か私だった。


「Êtes-vous une prostituée Yoshiwara ?」


 わからない言語。

 そして、いきなり左腕を掴まれた。


 ……な、なに?


 掴まれた手首から一気に血の気が引いていく。


「combien êtes-vous?」


 紅くなった顔。

 青く、冷たい瞳。

 拳にまで広がった金色の産毛。

 鬼に捕まったような恐怖にかられ、私は、悲鳴さえ上げられなかった。

 前夫の狂暴さを、嫌でも思い出す。


「は、」


 離して、と言おうとした時、



「彼女は僕の妻です」



 一郎さんが現れ、すかさずルグランの手を掴み剥がした。


 すると、ルグランは舌打ちし、連れの男達と一緒に店を去って行った。

 お見送りする間もなく、もの凄い勢いで走る車の音が聞こえた。


「大丈夫?」


「……は、はい……」


 一郎さんが、まだ震えの止まらない私を見て気遣う。

 いったい、あの宝石商はなんと言っていたのだろう。


「奥様は芸者か遊女と思われたんですよ」


 添田さんが、冷ややかな口調で言った。


「え……」


「一人だけ着物だったからだろう。あの男はそもそも日本文化が分かっていない」



 一郎さんが吐き捨てるように言い、私は、なんとか聴き取れた “よしわら” がそういう意味だったのかとわかり、途端に気まずくなった。


「今日はもう部屋に入って休んでいたら?」


「……そんな」


 仕事を手伝うと決めたのに、私は、まだ何もしていない。


「一郎の言うように休みなさい。 琴子さん、顔が真っ青だ」



 義父にまで心配され、私は、「……はい」と部屋に戻るしかなかった。


 おまけに、


「一郎、今日は私が店にいるから、お前は琴子さんのそばにいてやりなさい」



  義父の気遣いで、何故か一郎さんまでも休むことになり、申し訳なかった。


「すみません、私が店にいたばかりに」



 無言で店を出る一郎さんの背に声を掛けた。

 薄暗い廊下に窓はなく、重々しい空気の中、一郎さんがこちらを振り返る。


  その顔は、けして険しくはなかった。


「僕も仕事したくない気分だったから丁度良かったんだよ」








 

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