第13話 私の決意 『秘密?と嗜好』
その日の夜。
私は眠れずにいた。
工場の見学、デザイナーの紹介を通して、今まで知らなかった宝飾の世界の奥深さ、そして仕事に注ぐ一郎さんの熱意を感じ、妙に興奮していたのだ。
『僕の妻の、琴子です』
そうデザイナーの四谷さんに私を紹介してくれた。
当たり前の事なのに、それがとても嬉しかった。
卒業後、西洋に留学していたという四谷さんのデザイン画もいくつか見せてもらった。
桜や梅の形をした指輪はとても繊細で品があって、着物にピッタリだった。
元々、代々、刀に彫金を施す装剣金工の家系だったらしく、明治になって武士が刀を持たなくなったあとは、その高い彫金技術を活かして日本独自の装飾品を手掛けるようになったらしい。
その意匠のデザインを、中野貴金属店のために提供してくれているのだそう。
『琴子さん、一郎くんもなかなか筋のいい男だったんだよ』
学校の先輩である四谷さんがからかうように言うと、一郎さんは、『やめてくださいよ』と、話をはぐらかした。
眠れないのは、その後の四谷さんの言葉に少し気になるものがあったからかもしれない。
『あんな事がなければ、一郎くんはちゃんと学校を卒業できたのにな』
——あんな事って何?
学校を辞めなければいけないようなことって、規則違反?
もしかして、一郎さんが女性を抱かない事と何か関係があるのだろうか?
「……スゥ」
隣の布団から一郎さんの寝息が聞こえてくる。
『一郎くんも奥様の火遊びは黙認すると言ってたし』
今朝の添田さんの言葉も、胸を締め付けた。
……こんなに近くにいるのに、二人の距離は太平洋、いや宇宙の端にいるかの思うほど遠い。
この距離が、いつか縮まる日は来るのかな——
「まぁ、奥様、いかがなさったんですか、そのクマ」
翌朝。
朝食を持って来た女中のタエが、私の顔を見て言った。
「なんだか、眠れなくて」
欠伸を堪え、沸かした茶を湯呑に注ぐ。
「まぁ、それはそれは。若旦那様も同じではありませんか?」
どう解釈したのか、タエはからかうような口ぶりをしてから出て行った。
中野家では、一郎さんが女性を抱けないことは知られてないのだろうか?
義父も知らずに縁談をすすめていったのか。
政略結婚ならば、そんなことも関係ないのか。
今更のことをボンヤリ考えながら朝食を口にする。
相変わらず朝食をとらない一郎さんは、今朝はゆっくりとした様子で新聞を読んでいた。
何かの記事を見つけ、食い入るように瞬きもせずに読まれているから、つい声を掛けた。
「何か事件でも起こったのですか?」
新聞から顔を上げた一郎さんが、無表情なまま、「別に」と答えた。
仕事の話以外では、途端に口数が少なくなる。
「貴女も新聞とか雑誌には多く目を通した方がいいよ。経済も流行も、敏感に感じ取った方が生き残れる業界だから」
「は、はい……」
確かにそうかもしれない。
「先に店の方に行ってるね。来るなら10分前で大丈夫だから」
「わかりました」
新聞を置いた彼は、今日はちゃんと例の手帳を持って出ていった。
『中、見た?』
昨日の一郎さんの警戒した顔を思い出す。
私に見られては困るような事が書いてあるの?
不意に、彼が読んでいた新聞を手に取った。
――一郎さんが、真剣に読んでいた記事はどれかしら?
先ほど、あの方が読んでいた思われる頁を捲ってみる。
端からとんでもない文字が目に飛び込んできた。
【鶏姦罪と心中】
――なに、この題……。
その衝撃的な文字は、新聞掲載の連載小説の題名であり、1872年に鶏姦罪(同性愛行為―男性同士―の禁止)という条例が発令されたため、懲罰を受けた資産家と、その恋人(男)、その婚約者である良家の子女が自由恋愛を訴えるという物語で、【真珠婦人】に次ぐ話題作らしかった。
来月に単行本が出る広告まで付いている。
――こんなもの、お読みになるなんて。
冒頭の男性同士の性愛描写だけで刺激があり、それをお店に行く前に読んだ私は、妙な気分になった。
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