第11話 私の旦那様 『お仕事と私の血筋』

――


「さっき、添田と何を話してたの?」


 遅い昼食を摂るために、部屋に戻ってきた一郎さんが無表情で訊いてきた。


「……あ、いえ。特にこれといって。世間話です」


「そう」


 一緒に天ぷら蕎麦を食べながら、結婚して、こうやって向き合って食事をするのは初めてだな、と密かに嬉しく思う。(それは多分、私だけだろうけど)



「仕事場に顔を出してすみませんでした」


 謝ると、蕎麦を啜っていた一郎さんが顔を上げた。


「いや。こっちこそ、客に紹介すべきところを面倒臭がって済まない」


 逆に謝られた。

 というか、面倒臭がってたのね。


「もし、御披露目が必要ならばいつでも呼んでください。その時は店に顔を出しますから」


 今日のように不意討ちでのこのこ出向いてはダメなのだろう。

 何せ、出戻りだから。


「御披露目というか……」


 何か言いかけ、箸を置いた一郎さんのシャツに、そばつゆが跳び跳ねる。


「あ、」


 急いで、手元にあった布巾をあてがうも、薄く染みになっていた。


「あー……、何だか子供みたいだな」


 胸元の染みを見下ろしながら、一郎さんが笑う。

 はにかんだ笑顔が可愛らしくて、私もつられて微笑んだ。


「ライスカレーでなくて良かったですね。シャツ、お着替えになりますよね?」


 私が立ち上がると、「自分でやるから!」と強く言われ、やっぱり、でしゃばる女性は好きではないのだな、とシュンとしてしまう。


 襖の向こうで着替えた一郎さんが、膳を片付ける私の前に立って言った。


「退屈なら、仕事、見学してみる?」


「え……」


 意外な事を言われ、卓袱台を拭いていた手を止める。


「いいんですか?」


「貴女が嫌でなければ、仕事を覚えて貰っても構わないよ」


「……嫌ではありません」


 嫌なわけがない。

 一郎さんの妻として何かしたかったのだから。


「工場も近くにあるし、装飾以外の工程も見てみると売り場で接客しやすいかもしれないね」


一郎さんの案に、「はい!」と大きく頷いた。


 私のような世間知らずな女を仕事で使ってくれる人なんて、きっと、この方しかいない。

 幽閉状態から私を解放してくれ、なおも人間らしい時間を与えてくださる一郎さんは、私の救世主なのかもしれない。



 工場に向かいながら、ふと、私に時間を割いて貰うことが申し訳なくなってくる。


「お店の方は一郎さんがいなくて大丈夫なのですか?」


 一歩前を歩く一郎さんに訊ねると、謙遜した答えが返ってきた。


「別に僕でなくても他に従業員もいるし、むしろ彼らの方が商品には詳しいんだ。僕は言わばお飾り店長だし」


「そんなこと……」


 あるかもしれない、と思った。

 悪い意味ではなく、美しい物を扱う売り子は、凡人より目を引く容姿の者がいいのかもしれないし。


「だから僕も、たまに工場に行って勉強してるんだよ。工業専門の学校は途中で辞めて知識も半端だしね」


「そうだったんですか」


 学校を卒業しなかったのは私と同じだ。理由は尋ねなかったが、こうやって少しずつ一郎さんのことを知れるのは嬉しい。


「工場は暑いし、汚れるかもしれないから覚悟しておいて」



 仰る通り、工場はこのような着物で行く所ではなかった。

 見学させてもらったのは、電解精製の本工場や、溶解作業場、鍛造作業場だったが、いずれも暑かったし、火花を噴いている時もあった。


「金属の加工方法は鋳造と鍛造があるけれど、うちはより強度の高い鍛造で製作してるんだ」


 作業員が、ハンマーで金属を叩いて加工しているのを見て難しそうだな、と思った。


「では、鋳造とは何ですか?」


「型に流して加工することだよ」


「成型するならそちらの方が簡単ではないです?」


「空気の排出が上手くいかなかったら、強度が下がるから」


「強度?」


「そう、下がると割れやすくなる。それに鍛造に比べると重量が重くなるんだ。重い指輪なんて嫌でしょう」


「……確かに」


 こうやって説明してくれる一郎さんも生き生きとして好きだな、と感じる。


「でも、指輪をはめる日本人てまだまだ少ないですよね、利益は上がっているのかしら」


 欧州大戦(第一次世界大戦)に伴う軍需製品の製造にも白金は必要で、それで中野貴金属工業は大きく飛躍したと聞く。

 けれど、指輪やブローチなどの装身具はあまり日本人には浸透していない気がしたのだ。

 金属加工の現場を見ながら、何気に思ったことを訊いたのだが、一郎さんは微かに笑って、「宝飾はまだまだ伸びるよ」と自信ありげに言った。


「日本の宝飾は洋装だけに留まらない、帯留めや櫛、羽織紐の鎖、と和装独特の品物があるからね。そしてその価値を広めてくれているのが成金や華族だけでなく、教養のある人気芸者であるのも大きい」


 ここで、一郎さんの口から “芸者” という言葉が出て、私は僅かに俯いた。


 良くある話だけれど、父が芸者に産ませた子が、この私だったからだ。



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