第9話 私の旦那様 『恋愛遍歴』
一郎さん。
会社では専務という肩書きなのね。
“ 若旦那” よりずっと、あの方には合ってる気がする。
それに、さっきは良く見なかったけど、やっぱり和装より洋装の方が素敵……。
店の奥から此方に向かってくる一郎さんの背広姿にぽおっ、と見とれていると、
「どうした? 店に来るなんて」
ちょっと迷惑そうに言われ、花のようにトキメいていた私の心は急速に萎んでいく。
「……これをお持ちしました。きっとお仕事でお使いになるのだと思いまして」
手帳を差し出すと、一郎さんはそれをやや手荒に受けとった。
「……良くわかったね。これを使って僕が仕事してる姿なんて見たことなかっただろうに」
「え」
「中、見た?」
手帳を背広の内ポケットに仕舞ってから、冷やかな目で私を見た。
「い、いいえ」
「そう」
……もしかして、少し気持ち悪がられてる?
「一郎くん、まずはお礼じゃないかな。それ、商談の時も使ってるでしょう。あと5分もしないうちにお客様ご来店だし」
添田さんが私達の間に入ってきて、一郎さんの肩をポンボンと叩く。
すると、一郎さんは、少しだけ表情を和らげ、
「……ありがとう」
と、言った。
なんか、無理やり言わせてしまった感は拭えないけど。
「じゃあ、もう開店だから」
一郎さんが店入口の鉄戸を上げに向かう。時計はもう10時になろうとしていた。
商品を磨いたり、窓ガラスを拭いたりしていた従業員達が入口付近に立ち始めた。
部屋に戻らなければ、と思ったが、皆の引き締まった表情を見ているうちに、つい立ち止まって様子を眺めてしまう。
「いらっしゃいませ」
表には、既にお客様が二組待たれており、開店と同時に入ってきた。
お客様は、どこぞかのご令嬢と思われる方と、その付添人、そしていわゆる成金と呼ばれる新興富裕層のご家族だった。
「若社長、この度はご結婚おめでとうございます。桜小路伯爵のご令嬢が嫁がれたとあって、私ども、披露宴をとても楽しみにしておりましたのに、ご身内だけで済まされたとお聞きして非常に残念がっていますのよ」
”その伯爵令嬢は出戻りでして” と心で詫びる私を目に留めることなく、そのご婦人は一郎さんが案内する商談席へ。
店内に強い白粉の匂いが充満する。
「僕はあまり人前に出たくないタチでしてね。早速ですが、奥様が仰ってたオニキスとダイヤモンドの帯留め、支店から取り寄せました」
クールな表情のまま、一郎さんが商談を進め、それを少し離れた所から、もう一組のご令嬢がうっとりとした瞳で見つめていた。
あの容姿だ。
一郎さんにお会いしたくて装飾品を買い求める女性客も多いだろう。
でも。
一郎さんは……――
『そういうこと』
女性に関心がない、恐らく、″男色家 ″ だ。
あの方に恋い焦がれたところで、報われることはないのに。
まるで、私自身に言い聞かせるように心で呟いていると、
「お辛いでしょう、奥様」
「!」
いつの間にか隣に立っていた添田さんが耳元で囁いた。
なに、この人。
人の気持ちが読み取れるの?
ゾワッ、としながらも、この際だと思い尋ねてみる。
「……添田さんは、一郎さんと仲がよろしいんですよね?」
はた目、専務と秘書というより、兄弟か友人のような関係に思える。
「ええ、そうですね。家も近いですし、学校も同じでしたから親しい部類に入るかな」
眼鏡の縁を上げながら、添田さんが私を見る。
この方を苦手だと思うのはこういうところ。
品定めするような目付きは、無礼にも感じる。
「その僕に何か訊きたいことがあるのでしょう? 知ってることならお答えしますよ。まずは彼の恋愛遍歴といったところですか?」
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