第7話 私の旦那様 『何もできない』
——
『前の結婚と同じようにしていたら?』
……と言われても、私は何もさせて貰えていなかった。
華族ではなかったけれど、前夫の家には女中頭の他に何人も使用人がいて、家事は全くする必要がなかったし、まだ十六歳だった私は “女主人” になれるほど腹も据わっておらず、何より、あの人が怖くて、ただ逃げ回っていただけだった。
「おはようございます、奥様」
一郎さんより早く起床し本館に行くと、使用人達が既に忙しく働いていた。
「何かお手伝いすることありませんか?」
台所に行って声をかけると、女中達が途端に顔を見合わせた。
「いいえ、大丈夫です。奥さまは朝食までごゆっくりなさってください」
「何かお気に召さない事がありましたら後でまとめて仰ってくだされば」
案の定、台所から丁寧に追い出され、仕方なく、私は土間を抜けて中庭の方へ向かった。
井戸のそばで洗濯をする女中に、同じように声をかけるも、
「そんなこと奥様にはさせられませんよ」
「私達が若旦那様に叱られてしまいます!」
やはり断られ、表の掃き掃除をするしかなかった。
「はぁ……」
掃いても掃いても通りの枯れ葉がハラハラと落ちてきて、思わずつく溜息が白かった。
お手伝いをする、と言ってはみたものの、私は女学校時代に習った裁縫くらいしかできない。
なぜなら、妾の子だからと言って、実家で女中のように扱われたこともないし、里子時代も梅吉と一緒に農業を少し手伝っただけだったから。
恵まれていたのかもしれない。
逆にそうじゃなかったのかもしれない。
……そろそろ一郎さんが起床する頃だわ。
灯りなくとも動ける時間になり、私は主寝室に戻って、火鉢の炭火をおこす。
そうだ。換気の為に窓も少し開けなくては。
部屋全体を暖めることはできないけれど、朝の身支度をするときにあるのとないのではかなり違う、はず、が……。
「……どうして火が消えちゃうの?」
何故か、炭火が立ち消えしてしまうのだ。
「炭が少ないのかしら……」
炭も独り言も増やして何度も試みているうちに、
「……っくしゅ!」
布団の方から一郎さんのくしゃみが聞こえてきた。
「……寒い……何してるの?」
布団の中からこちらを訝し気に眺める切れ長の瞳。
でも、一郎さんはまだ眠そうだ。
「お、おはようございます。火鉢の炭火をおこそうと思ったのですが、上手く行かなくて」
「……お茶でも沸かすの?」
「いいえ、そういうわけでは」
「……ちょっと退いて」
やれやれ、といった感じで、一郎さんが布団からのっそりと這い出て、火鉢の前に来た。
私は少し離れて、彼の慣れた手元を眺める。
「灰が湿ってるんだよ。もしくは固くなってるか」
灰をほぐして、粉灰を敷きその上に熾した炭を置く。
「何度かやっていると、炭火おこせるよ。というか……できないならしなくてもいいのに」
大きな欠伸をしながら一郎さんが部屋を出ていく。
……あぁ。
きっと、何もできない嫁だと思われたに違いない。(実際、何もできないのだけど)
せめて、何か妻らしいことは出来ないかと思って手を出したのに、私ときたら情けない。
まだ温もりの残る一郎さんの布団を押し入れに上げて、また溜息をつく。
顔を洗った一郎さんが部屋に戻ってくると、「奥様、朝食のご準備ができました」と女中が食膳を運んできた。一人分だった。
「僕は朝は何も食べないんだ」
浴衣から洋装になった一郎さんが、ネクタイを締めながら言った。
「え、そうなのですか?」
「朝から飯を食べると眠くなるからね」
居間に一人分の食膳を置いた女中が頭を下げて出ていくと、その後を追うように一郎さんも部屋を出ていってしまった。
無駄に早起きしたせいか、空腹を覚えていた私は、一人、膳の前に着く。
「これ、梅吉の漬物だわ……」
ポツリとかじって、懐かしく味わいながら、これではまるで引きこもっていた時と同じだ、とつくづく思った。
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