第6話 私の旦那様 『初めての夜』
お見合いから二か月後。
神宮で二度目の結婚式が執り行われた。
一郎さんは初婚であるし、先方は大々的に披露宴をやりたがったが、それではまた世間を賑わすと思い、中野家で身内だけのお披露目に留めてもらった。
何より、一郎さんが「疲れることはしたくない」と質素な儀を望んだからだ。
——今日から私は、中野琴子になる。
宴を終え、夫婦の主寝室で二人きりになると、何も起こらないと分かっていても緊張してしまっていた。
「疲れたね」
一郎さんは見合いの時と同じことを言って、浴衣の上に羽織っていた丹前を脱ぎ、敷かれた布団に横になる。
開いた襟元にまるで女性のような色香を漂わせるから、私はそこから視線をそらした。
「一郎さんは明日も早いのでしょう?」
風呂から上がった私を見つめるその目に、欲情がないのは直ぐに見て取れた。
「僕は装飾の方だから、そんなに早くないよ」
会社は、装飾部門と工業部門があり、一郎さんは、主にこの家の一階の本店店舗でお仕事をされている。義父は親戚が仕切る工場や会社を行ったり来たりしているらしく、昼間は家にはいないらしい。
「……あの、」
一郎さんの隣に敷かれた布団に膝をついて、ふと、尋ねてみる。
「なに?」
「私は明日から何をしたらいいのでしょう?」
本気でお尋ねしたのに、一郎さんはまるで馬鹿を見るような目をしていた。
「琴子さんは、一応この家の女主人なんだから、屋敷内を仕切っていればいいんじゃないかな」
「仕切るって……?」
「貴女のお母さんのようにしていればいいってこと」
そう言われて私は、母は一体何をして一日過ごしていただろうか、と思ったが、物心つく前から里子に出され、戻ったら結婚をし、離婚してからは幽閉に近い生活を送っていたので、実はあまりその実態を知らない。
「僕が想像する伯爵夫人は、短歌を詠んだり、英語を学んで社交界で活かしたり、鹿鳴館で踊ったり、なんとか同好会みたいなの作ってサロン開いてるんだけど、違う?」
私は、ドレス姿でくるくると踊る母を想像した。
「……一郎さんは、そのような妻をご所望ですか?」
伯爵の家なら、お金さえあればそういう優雅な生活も送るのだろうけれど、私は、あくまでも一般の家に嫁いだのだから、他にやることがあるはずだ。
「僕に妻の理想像なんてないから。前の結婚と同じようにしていたら? 貴女に任せるよ」
「……え、あ、はい」
疲れた顔をして、一郎さんは背を向けて布団に入ってしまった。
「……おやすみ」
「はい、おやすみなさい……」
電気を消して、しずしずと私も布団に入る。
柱時計の秒針の音を聞きながら、目を瞑って一郎さんの言葉を頭の中で反芻した。
——“貴女” か。
たとえ、形だけであっても、せめて名前で呼んでくれないかしら。
……そういえば、あの見合いの日から、彼の笑顔を見ていない。
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