第15話 奇妙な武人
オキクルミが去ったコタンはそれまでと何ら変わってはいなかった。
敢えて言うならば、和人ともアイヌともつかぬ和人の侍の奇妙な姿が見えなかった位であった。
江戸到着の日に、この組屋敷で後輩で嘗ての上役の藤谷弥五郎が出迎えて呉れて接待して呉れたのである。
「武田殿ご苦労されましたなぁ。その後のことは蝦夷地より承って居ります」
「大した働きもせんと伝わって居りましょう」
「とんでもありませぬ。シャクシャインの乱の時にメナシクルの大きな部族を説得して回ったとか聞いて居りますよ」
「中立を守ったコタンの酋長らは御咎めなしだったが、結局松前は七か条の起請文で全ての部族を縛り付けたのだ。
だがシャクシャインのような騒乱は松前にとっても不利益となるので、交易に於ける交換比率をこれまでよりかは緩めたが、未だこの先何とも言えない状況にある」
九郎信行は久しぶりの江戸での酒を味わったものだ。
この時藤谷弥五郎から、武田の家が取り潰されてしまったが、新たに召し抱える形を取って呉れたのだという話を聞いたのである。
徳川の家臣は旗本にしろ御家人にしろ、譜代、二半場、抱席と格付けされていて、武田家は譜代であったが、赴任先に向かう途中に於ける海難事故で生死不明となって、家督を継ぐ者が途絶えた為、お家断絶となったのである。
だが蝦夷の地で生存が確認され、藤谷弥五郎によって復職の手続きを踏んだが、取潰しの復活は認められず、改めて一代限りのお抱えとなったものだった。
それで当初は七十俵取りとしたのである。
後に百俵に戻された。
さて蔵米取りは二月、五月、十月の三期に分けての支給であったが、遠地である為、それでは経費が掛かり過ぎるので、一回で済ませるよう、これも藤谷弥五郎が頼み込んだものだった。
武田九郎信行の家は召し上げられてなかったし、親兄弟は疎か親戚親類の類も居なかったのだ。
唯そんな中薄っすらと思い出したのが、若い女子の顔であった。
幼馴染なのか知り合いらしく、幾つかの場面で浮かんでは消えたのである。
それが誰なのか知りたいと思ったが、誰だか分からないのでどうしようもなかった。
翌日武田九郎信行は、辰の口にある遠地奉行所蝦夷地係の役所に報告に出向いた。
全体的にこじんまりとした建物で、その中に在って蝦夷地係は、五十畳ほどの広さの部屋を四つ程に区切って使っていたのである。
係の長は七百石の旗本で太田摂津守と言って老中板倉内膳正の配下であった。
家来は江戸詰めが二名、蝦夷地勤務が武田を含めて六名で、内御家人が六名いた。
此処に来る途中でもそうだったが、行き違う者達は一様に奇妙な二本差しに視線を呉れたのである。
「蝦夷地より報告に上がりました調役の武田九郎信行に御座りまする。
松前役所の調役頭鳥海欣五郎様の報告書を持参致しまして御座います」
「ご苦労であった。そこで寛がれるが良い」
長と思える年配の男が上目遣いに報告者を見て、
「お主が十一年前に船で遭難したという調役か」
「左様です」
「一時は言葉まで失ったと聞いたが、難儀であったな。その方の働きぶりは確と聞いて居るが、その髪は何としたことか…まるで」
「アイヌのようだと」
「何とかならぬか」
「畏れ乍ら申し上げます。我等は主にアイヌの居住地でありますコタンを廻っている訳ですが、松前のご家来衆との区別とこの髪型や服装は彼らと同じものを着用することによって親密さを得て、更には言葉も片言乍らアイヌ語を喋って彼らに接して居るのです。
この度は鳥海様から急に江戸行きを命じられました故髪を伸ばす余裕も御座いませんで、已む無く上府を優先した次第であります」
長は苦々しい顔をしていたが、急な命令に従わせた以上仕方なかった。
武田九郎は報告書に沿った質問に詳細に答えて補足したのである。
此れでお役目は済んだので明日にでも蝦夷地に向かっても構わなかったのだが、結局何だかんだで江戸に二月近く滞在して、更に詳細な報告書の作成をする羽目になってしまったのである。
その作業の後三日程のんびりしてから、その二日後には蝦夷地に向かうという近江屋の船に便乗して帰ることになったのだ。
翌日、京橋から日本橋を通って真っ直ぐ筋違い御門に出て、神田川を超え、下谷御成街道から真っ直ぐ上野のお山に登ると、寛永寺に参詣し、鐘楼堂の脇の坂道から山を下って、不忍池の畔を池之端仲町と茅町の間の道を入った。
明神下の通りであった。
両側には旗本や御家人の屋敷があり、町屋との境近くにある路地を横に入るとその先に神田明神社の境内に上がる男坂があり、そこから上がってお詣りしたのである。
何処も人人人で溢れていた。
流石は江戸の町であった。
この時の武田信行の出で立ちは肩の辺りで切揃えた髪に樹皮衣である膝丈のアットゥシを着て足にはアベナンカから贈られたホシを装着して居たので草履を穿いてはいるものの、まるっきりアイヌであった。
更に言うと腰には近江屋善兵衛から寄贈された二尺の脇差一本を指していたのである。髷は結ってなかったが、顔立ちはどう見ても和人であった。
奇妙な出で立ちで通りを闊歩する人物に、行き交う人々は怪しむように見ていた。
武田信行は参拝を済まして東側にある茶屋で饅頭と茶を頼んで休んだ。
そこから見る光景は十数年ぶりで、とても懐かしく思えるのだった。
足元に蹴鞠が転がって来たので止めて拾うと、五つぐらいの女の子が駆け寄って来て、両手を出して頂戴をした。
「お前さんのか」
と訊くと、
ウンと
「ごめんなさい」
と母親らしい女が、慌てるように女の子の手を引いて去った。
無理もないことであった。
九郎信行の風体からすれば、奇妙で薄気味悪かったに違い。
〈どうして居るだろうか〉
信行は蝦夷地を離れる際、砂濱を走りながら、お父さんお父さんと呼びかけるエルを思い浮かべていた。
さっきの女の子を見て思いだしたのである。
松前から戻って初めてエルを目にした時から何故か気になって仕方なかったのだ。
ハポのラヨチからミチは亡くなったと聞かされていて、偶に顔出す他所のおじさんのことをウエンぺ(悪い人)というのもラヨチがそう言わせたものだった。
我が子と知ったは良いが、そのことをアベナンカに何と言えば良いだろうかと思案に暮れるのだった。
ラヨチが我が子を産んだとなればアベナンカとの関係が可笑しくなるが、正式にウトマン(夫婦)ではないので、婚約解消となってしまうのか分らなかった。
そんなことを考えながら男坂を下りて行くと、いつの間にかやくざ者に周りを取り囲まれていたのである。
如何やら茶屋の辺りから付いて来たようだ。
「おうへんてこりんな兄ちゃん、その腰の物くんねいか。そりゃぁ、おめぇには不釣り合いと言うもんだからよ」
顎のしゃくれた半端者がそう言って絡む。
「残念だが貰いものなんでお前達にはやれないな」
「おう此処はおめっちの来るとこじゃねえんだよ。銭はねえだろうからその腰のもので勘弁してやらぁ。大人しく置いてきな」
如何やらこいつが兄貴分のようだ。
相手は六人、どうってことなかったが、懲らしめるぐらいにして置こうと思うのだった。
「早くしなよ、こちとら気がみじけえんだ」
「兄さん江戸は怖いとこだね」
「おおよう、そもそもおめえらが来るところじゃねい。サッサと言うこと聞いて帰んなよ」
「残念ながら未だ役所に用事があって帰れないないんだ」
この騒ぎを聞きつけて野次馬が大きな輪を作っていた。
「あの変な格好した男は何者なんだ」
「服装からすると蝦夷だな」
「蝦夷?アイヌか」
「そうだアイヌだ」
「それをあの
「刀を寄こせとか言ってるようだ」
「気の毒になぁ、サッサと渡して逃げればいいのに」
野次馬は気楽に見物を決め込んでいた。
「帰らして貰うよ」
「帰りたけりゃそれを置いて行け」
と兄貴格の男が長どすを抜いて凄むと、破落戸共がどすや短刀を抜いて脅しをかけた。
武田信行は鯉口を切って待った。
後ろの男が長どすを振りかぶって襲い掛かって来たので、それを受け止めると同時に横手筋を素早く滑らして手の甲を刃先で撫でたのである。
「ゥワー」と悲鳴を上げて長どすが真っ直ぐ足先に落ちて刺さったのだ。
男は悶絶した。
更に素早く動いて右左の短刀を打ち落としたのである。
破落戸共が
野次馬達は大喜びであった。
地面に這いつくばっている破落戸に当身を呉れて起こすと、裾の埃を払って立ち去ろうとしたのだが、騒ぎを聞きつけてやって来た役人が呼び止めたのである。
「おいお前ちょっと待て」
「何か」
武田信行は涼しい顔で応える。
「騒ぎはお前が起こしたのだな」
と決めてかかる。
「言葉が解るようだな。宜しい素直に答えるのだぞ」
北町奉行所の竹岡直哉という同心であった。
「何処から来た」
「蝦夷地だ」
「名前は」
「オキクルミタケダだ」
「アイヌが江戸に何しに来た」
「何しにって報告だよ」
「報告?何を誰に報告すると言うのだ」
「お主に言う必要はないだろう」
と言って倒れている破落戸の長どすを地面から抜くと、
「何をする」
と竹岡は後退りしながら十手を翳して身構えるのだった。
武田はその長どすを竹岡と小者らの間に放り投げて愉快そうに笑った。
「貴さま愚弄する気か」
竹岡は舐められまいと恫喝するが、小者らは恐れ戦く様に後ろに下がっていた。
「竹岡殿、拙者は遠地奉行蝦夷地係配下の調役の武田九郎信行と申す者です。今般蝦夷地に於ける松前家とアイヌ部族との騒動の実情報告に参ったのです。
本日は暇を戴いて江戸見物をさせて貰ったのですが、此処でこの者らに絡まれて已む無く相手をした次第でして…。お手数をお掛けして申し訳御座らん」
九郎信行は少しやり過ぎたと許詫びたのである。
「そうでしたか、その格好につい惑わされまして失礼致しました。この破落戸共には手を焼いて居りましたので、取り締まる良い切っ掛けとなりそうです」
武田九郎信行は放免されて京橋の組屋敷に戻った。
翌日再び蝦夷奉行所に呼び出された九郎信行は蝦夷地の今後についてどのようにすべきかと意見を求められたのである。
「一部では知行地である商場を商人に場所貸して全ての交易を委ねることで運上金と称して、上前を撥ねるやり方をしている者も居るようです。交易に於ける料率が適正であれば宜しいのですが、ともすればそれらを崩す者も居ないとは限りませんので、油断はできませぬ。
松前家自体財政難に喘ぐようになりますと、一方的に条件を変える可能性はあるでしょう。そうなりますと、その他との交易に移行する危険が起こらないとも限りません」
武田九郎信行は各地の部族の実情を知るにつれて、そうした危惧を感じていたのであった。
「ならばどうしたら良い」
「ロシアなどの介入が懸念されますので、何れはこの蝦夷地は直轄領とすべきかと思います。その場合、松前家は本州の何れの地にか移封すれば宜しいのではないでしょうか」
こうした提言は飽くまでも参考意見として聞き流されて、具現化するのは可なり先のことであった。
話したことが現実に起こって、初めて議論の場に上がるのが常であったのだ。
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