第9話 気になる娘
カイが席に着くのを見届けてからラヨチのチセに向かった。
熊の檻が手前にあり、一頭のへペレ(子熊)
が手前で寝転んで居た。
入り口で声を掛けると、
「入って来て」
と、ラヨチの声が招き入れる。
入って直ぐ横は物がきちんと整理されて置かれてあった。
「何してるの入って」
如何やらいらついているような声である。
「何してたのよ今まで…」
「何してたって」と口籠る。
オキクルミは何時のことを言ってるのか分からなかったのだ。
要は五年の間のことなのか、其れとも今日コタンに戻ってから今までのことなのか答えに弱したのだった。
するとラヨチは、
「カイがオキクルミが戻ったと言ったのに、あなたは一向に姿を現さなかったのよ。一体何してたの」
女房でもないのに
「此度は役目で来たのだよ。だから酋長に挨拶して話をして居たのだ」
「そう、チセの中に居たのね。大勢の人が出たり入ったりして落ち着かなかったでしょ」
「まぁな」
ラヨチが探りを入れてるのが判った。
「ところでラヨチ、さっきから覗き込む子が居るんだが知り合いの子か?」
ラヨチはそれには答えず。
「エル(ネズミ)お出で」
するとマッカチ(女の子)は嬉しそうにオキクルミの反対側を通って、ラヨチの膝の上に乗ったのである。
ラヨチは器の中からトぺムぺ(お菓子)を取ってマッカチの口にくわえさせるのだった。
「おいしいかい」
ラヨチは母親のように優しくその子を見る。
「エル、ユポ(おにいちゃん)はどこ?」
エルは知らないというように首を横に振った。
「その子は何処の子よ」
ラヨチは其れにも答えず、エルにこう訊くのだった。
「エルはユポが一人いるんだよね」
「うん」と肯く。
「じゃあ、ミチ(父さん)は」
「死んじゃった」
そういいながらラヨチの乳房を触ってじゃれる。
父親が亡くなったというのに、無邪気なものである。
〈可哀想に〉とオキクルミは思った。
「エルオナハ(ネズミのお父さんの話をしようか)」
「うん」
エルは嬉しそうにラヨチに抱き着くように
「痛いから止めて。大人しくしないとお話ししてあげないよ」
まるで母親に諭されたように静かになった。
「いい子だ。ちょっと待ってて」
ラヨチは一旦エルというマッカチを茣蓙の上に座らせると、プシニ(ホオノキ)の実を煎じたお茶のような飲み物を入れて出した。
オキクルミはその飲み物を飲みながら、ラヨチの独演会に耳を傾ける。
「さあエル、あなたのミチ(父さん)はね、神々が暮らす天上の世界から突然現れたんだけど、このコタンの為になるようにと、或る日地上にある別の世界に行ってしまったの。その世界を知っている人の話だと、運悪くそこの悪い人たちに騙されて掴まって死んでしまったというの。エルが生まれる前の話よ。さぁ、もう寝なさい」
横の寝台の上に寝かすと、マッカチ(女の子)は直ぐ寝てしまった。
オキクルミはラヨチと向き合うと、改めて訊いた。
「この子は誰の子だ?」
「気になるの」
「一応な」
「もうあなたには関係の無いことヨ」
と冷たくあしらう」
「だってラヨチの子だろう」
「相手は誰?」
「それを知ってどうするの。この子に話したように別の世界に行った為、そこの悪人に殺されてしまったのさ」
「気の毒には思うがどうもしないさ」
「なら訊かないで。関係ないのだから」
其処へカイが戻って来た。
「母さんも意地っ張りだなぁ。そうだオキクルミ、もう直迎えが来るヨ」
「迎え、誰が?」
「母さんたちは又暫く会えなくなるだろうからお別れのオチューをしたら、表で迎えを待って居るから」
カイは気を利かして出て行った。
ラヨチはオキクルミを迎え入れたかったが、オキクルミを呼びに来るのは誰か察しが付いたので受け入れを拒んだのである。
オキクルミはそれよりも寝台で寝ているエルというマッカチ(女の子)が気になってしょうがなかった。
表で話し声が聞こえたので、
「また来るよ」
と言って外へ出た。
カイの横にイセポ(兎)を抱いたマッカチ(女の子)がいた。
「もしかしてヤチ(泥)か」
「はい今はクナウ(福寿草)です」
五年も経つとヤチもすっかり大人びていた。
「ヤチが迎えに来たのか」
「そうよ、サハ(姉)に言われて来たの」
「イヤイライケレ(ありがとう)、そのイセポはあの時のか?」
「はい」と言ってクナウはイセポを見せる。
「大きくなったな」
「はい少し太ったでしょ」
クナウとオキクルミの話に興味のないカイは、何方に語るでもなく、
「待ってるだろうから行こう」
カイはクナウの手を引きアベナンカのチセに向かうのだが、立場としては複雑であった。
ハポの愛しているシサムの男を、若いメノコの元に案内するのと、カイ自身はまだ子供のクナウを将来マチ(妻)にしたいと考えていたからである。
そうなると更に複雑な関係になりそうに思うのだが仕方なかった。
如何やらハポはオキクルミに意地を張って真実を語らなかったようだし、オキクルミもラヨチの言動に疑問を抱きながらも言及しなかったので、カイも真実を語ろうとはしなかった。
カイが案内したアベナンカのチセは、大酋長の住まいそのままであった。
部族によっては異なるが、その家の主人が亡くなるとチセウフイカ(個人を弔う為そのチセを焼く)の風習があったが、アベナンカの希望によって、そのまま住み続けていたのだった。
「寄って行かないの」
そのまま帰ろうとするカイをアベナンカは引き留める。
「明日は早く出掛けるので帰るよ」
邪魔者が居てはと気を利かしたものだった。その時北の空が光ってドカドカドカ~ンと雷鳴が響いた。
「カムイフム(雷)こわーいよぉ。一緒に居てお願いだから」
クナウは怖がってカイにしがみ付いて離れない。
「お姉さんクナウを連れて行っても良いかな。明日出がけに連れて来るから」
「邪魔にならないかしら…」
クナウは大喜びだった。
勿論イセポも一緒であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます